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孤独感を癒せる考え方

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こんばんは。いつもありがとうございます。私はまだまだ未熟なので、お坊さんの下さった話を上手く吸収して受け止めることが苦手なのですが…ここが拠り所なのでまた質問をさせて下さい。
私は人付き合いが苦手です。どうしても心の底から信じることができず人避けしてしまいます。
仲がよくなり、向こうが距離を詰めてくると相手が怖くなって逃げてしまいます。治したい。
他人と心から通じあえず孤独を感じます。でもこの性格と付き合うしかない気がします…。

しかし孤独が強まり、嫌な想像をしては発狂しそうなほどの恐怖を覚えます。孤独との付き合いが良くなる考え方を教えてほしいです。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたを守るライン。遠慮しないで伝えてごらん。

人を信じられないのは、何か出来事があったからかしら?
パーソナルスペースというのを、人はそれぞれに持っています。他人に近付かれると不快に感じる空間のことで、対人との距離です。心の距離感は近すぎても遠すぎてもダメですよね。人により、感じる距離感は様々。

ですから、相手が距離を詰めてくると、怖くなったり、逃げたくなる。その距離は、まさに あなたを守るラインなのだろうね。ちゃんと距離がわかるのは、大事なことよ。我慢しないで逃げたらいいし、治すというよりは、上手くバランスを測れるように。

相手が あなたを傷つける人かどうかを、観察しましょうね。あなたを想う人は、あなたが距離を詰めたくないことを ちゃんと感じてくれるし、それ以上 無理に踏み込んだりしないわ。

お互いに、心地良い距離感を、一緒に測っていくものだから。心が通い合えない、孤独だと決めてしまわないで、「仲良くなるのに時間がかかるタイプで。ごめんね、これからもよろしくね」って、遠慮しないで伝えてごらん。周りは、言ってくれるほうがいいって思っているかもしれないよ◎

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として、慌ただしく過ごしております。 ◆ゲートキーパー ご相談 駆け込み寺 (訪問は要予約。まずはメールでお問い合わせください) ◆ビハーラ僧、終末期ターミナルケア、看取り、グリーフケア、希死念慮、自死、産前産後うつ、育児、DV、デートDV、トラウマ、PTSD、傾聴、手話、要約筆記、行政相談員、小学校 中学校支援員としても、サポートしています。 ◆一般社団法人『グリーフケアともしび』理事長 【ともしび遺族会】運営 毎月 第1金・昼夜2回開催(大阪駅前第3ビル) 14:00〜,18:00〜 お問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com *この活動は皆さまのご支援により支えられております。ご協力をよろしくお願いします。 ゆうちょ銀行 口座番号 普通408-6452769 一般社団法人グリーフケアともしび ◆『ビハーラサロン おしゃべりカフェひだまり』 ビハーラ和歌山代表 居場所運営 問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com ◆GEはしもとサピュイエ 所属 (Gender Equality 誰もが自分らしく生きることができる社会をめざして)DV・女性支援 ◆認定NPO京都自死自殺相談センターSotto 元グリーフサポート委員長(2018〜2024) ◆保育士.幼稚園教諭.小学校教諭. レクリエーションインストラクター.中学校DV授業 10年間 保育 教育の現場で 総主任として勤めた経験も生かしつつ、お話できることがあれば 幸いです。 いつも あなたとともに。南無阿弥陀仏 ここでは、宗旨を問いません。 まずは、ひとりで抱え込まないで。 来寺お問い合わせは⬇️こちらから miehimeyo@gmail.com ※時間を割いて、あなたに向き合っています。 ですので、過去の質問へのお返事がない方には、応えていません。お礼回答がある方を優先しています。 懇志応援も宜しくお願いします。 ※個別相談は、hasunohaオンライン相談より受け付けています。お寺への いきなりの電話相談は受け付けておりません。また夜中や早朝の電話もご遠慮ください。 法務を優先させてください。
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世の中にまじらぬとにはあらねども一人遊びぞ我はまされり 良寛

人間は寝ている時は隣に人が居てもいなくても寝ているのは本人だけです。一人で起きて一人で寝ている。そして、そのお一人性をとことん追求すれば、一人で呼吸して一人でまばたきしている。一人で蝉の声、洗濯機の音を聞いている。一人で一つの米粒を口にしている。一人で自分一つしかない自分の顔を洗顔している。
OH、考えてみれば生まれたのはお母さまのご縁とはいえ、その後はこの年になるまで勿論周りの方々の縁、助け、恵みを授かってきたものの、OMG、それでもたった今も呼吸をしているのは私が私の命の為だけに私一人でやっていることではなかろうか!それでも、それは孤独ではない。孤独ということを過剰に意識するまではずっと同じように生活してきたのだから。他人と比べるとなんだか、自分は孤独で寂しい、劣っているような気がする。むしろ「そっち」の見劣りするような心理を孤独と錯覚しているような心理ですらある。
私のこの恐怖は本当は孤独を恐れているのではない?
人と比べて劣るような、疎外感ではないだろうか?コンプレックスとは劣等感という意味もあるが、疎外感という意味もある。
だとすれば、その疎外感をうち破るためにはどうすればいいか?
それは絶対的自立「独尊」の精神。あなたの本名は本名以前の命。あなたはカボチャでもナスでもニンジンでもなく「このあたしの命」なのだという自覚を持つ。あの子はあれが得意、あの子はあれが苦手だけどあれが得意、私はこれが好き、これは得意、これができるということがあるように、ゴボウにはケーキに乗るイチゴのまねはできず、イチゴにそばに入れるネギのまねはできない。それぞれそれぞれの絶対的個性。比較がない。比較が無いということは比べようがない。だから、孤独なんぞは妄想に過ぎない。寂しい、私だけノケもんだ、自分だけ劣っている、疎外感だ、満身創痍だ、半信半疑だと思っていて全部、自分を苦しめる想念はどのようなものであれ、自分を負の沼に追い込む「想念」。
一方、耳に聞こえる蝉の声、目に映る空や雲はどうか。
今日もこちらの勝手な情報操作とは無縁なトリッキーで自由なLIVE配信でテロップすらない。
YOUTUBERのこれでもかと加工されたテロップ、効果音、画像加工のようなものは現実には「ない」。この「ない」というお手付きなしの世界。
そこにあなたの孤独や躊躇いや迷いや損ないを打ち消す天然の答えがある。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お二方。為になるお話をありがとうございました。
お一人は優しく諭してくださり大変心が休まりました。そして少しずつ、嫌な事を自分から伝えよう、自分の奥底の心を大事にしようと考え始めることが出来ました。まだまだこれからですが、気持ちが楽になりました。相手も自分も心の距離感を大事にしようと思います……。
そしてもう一人の方は、そうだなあと納得できるようなお話をありがとうございます。テロップがない……確かに、グッドボタンもいいねボタンも自然界にはありませんね。でも生き生きとしているし、何よりも自由に見えます。それが生きているという事なのかもしれません。
ネットだとさまざまな人間関係が目につきやすいので四六時中、雑念が迷い込んできます。…そういったとき、孤独になって自分の心と向き合うことは大事なのかもしれません。少し、孤独を謳歌してみようと思いました…。すぐには難しいかもしれませんが、少しずつ考え方を変えられたらいいなと思います。
ありがとうございました。

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