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私は生き続けていて良いのでしょうか?

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有り難し有り難し 4

・子供の頃母親の精神疾患(統合失調症)及び自身の保育園でのいじめがキッカケで12年半児童養護施設で育つ
・児童養護施設で何度もイジメにあい何度も自殺を考える(ただ当時は死にたくても施設が2階建てでベランダから飛び降りようにも死ねませんでしたし、田舎の施設だったので近くに駅も無く死のうにも死ねる手段がありませんでした・・・)
・中学・高校でも学校でもイジメにあう(その時も自殺を考えたことがあります)
・高校2年生くらいの時からウツの初期症状のようなものが出てくる
(ただ当時はまだ病院には行っていないです)
・高校を卒業後施設を出て一度就職するも今までの過度のストレスが
原因で1ヶ月も経たないうちに離職
・施設を出て半年も経たないうちにデパートの屋上から飛び降り自殺を考える
(ただこの時も花火大会の時で隣に母親がいたので飛び降りたくても飛び降りることが出来ませんでした・・・)
・その後何社か就職活動をするも面接でうまくいかず自信を失い15年近く引きこもりになってしまいました
・ヤングジョブという所にも行ったことがありますが就活に失敗しさらに自信が無くなってしまいました
・去年くらいから若者の就労支援に(サポステという所に)通っていますが今までいろんなことがありすぎてうつ病を発症し最近は少しお休みしている状態です・・・(アルバイトの面接にも挑戦しましたが全然上手くいきませんでした・・・)
・精神科には今通院中です
・最近は殆ど眠れない日が続き、生きていること自体が辛くてほぼ毎日布団の中で泣いてしまう日々が続いています・・・
・私は社会不適合者です・・・
・住んでいる地区の保健所の保健士さんが月1で訪問に来てくれるのですが毎日死にたい気持ちを伝えると絶対に死んでほしくなんかないと言われました・・・
こんなダメな私でも生きていて良いんでしょうか?・・・
毎日毎日精神不安定で涙があふれてばかりの日々が続きます・・・
・最近は何も楽しめなくなり生きるモチベーションが殆どない状態です・・・
・生きていることが本当に辛いです・・・
・毎日自殺することばかり考えてしまいます・・・
・アドバイスをお願いします・・・


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間というものを自身として第三者の視点からも学ぶ

たとえば動物でさえも自傷行為というものがあることを知りましょう。
ただし、知るというのはそういうことを観た、聞いたことがあるというレベルではだめです。
全国的に問題になった先日の兵庫の放置された動物園では自傷行為をしている動物の姿が報道されました。
自傷行為とは何か。
これは人間界でも社会全体として起こっている自刃の行為。悪心です。
ブラック企業のトップが幼少期毒親の元で育ったゆがんだ性格の持ち主であれば社員が社畜になる。毒される。それは企業や組織の自傷行為なのです。
独裁者が国のトップになれば周りの人間がみなトップを嘘の笑顔で擁護しなければならない。それも国全体の自傷行為。自刃の法。
あなたが学校でいじめられた、世間でひどい目にあわされてきた。
それだって、その人たち自身の方がまず病んでいたのだと知るべきでしょう。
だから、その邪悪の根源、邪悪性の根本・根源をみきわめる。
すると、人間は自分が可愛い、自分を愛したい、自分が安全地帯にいたい、自分が危険な場に居たくないという心理がだんだん見えてくる。
そして、その防衛のために他人を蹴落としてまで生きようとする。
うちで飼っているニワトリは定期的にタヌキ・アライグマの犠牲になる。
普段メスに無理やり交尾しまくっているショーモナ鬼畜性のオンドリも時にはジェントルマンでうまいエサを見つけてはメンドリに食べさせているものの夜寝るときは自分が一番奥の安全なところに陣取っている。
そこに「サガ(性)」というものが見受けられる。
人間・動物・生命全体に共通するサガ。
自傷行為もなぜそれが起こるのか。
行き場のない心理、自分を明らめられない心理。
自分を明らめられない心理とは小さく世界をはかること。小さく自分をはかることなのです。
持っている物差しや価値観や尺度、センサー、情報量が少なければ行動する選択肢すら狭くなる。
人間を生かせない国家が反骨分子を弾圧し、処刑するようなものでしょう。
それらの人間の心理は皆共通している。
だからこそ、この自分を傷つけたい心理の真相をきちんと見極めれば、そんなことをする必要もない、他の行動の選択肢がみつけられるようになる。
私自身も死ぬという選択肢しか思いつかなかった頃はそうでした。
そうではない。
自分の情報量が少ないだけなのです。
人生の学びの真意とはあなた自身を高めることが真の学びなのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

一通り読ませて頂きました!
ちょっと話が難しかったですが(笑)、生きるのって大変なんだなと実感しました・・・
[自分を傷つけたい心理の真相をきちんと見極めれば、そんなことをする必要もない、他の行動の選択肢がみつけられるようになる。]
[自分の情報量が少ないだけなのです。
人生の学びの真意とはあなた自身を高めることが真の学びなのです。]
この部分が凄く深イイ話でした!
私自身昔から落ち込みやすい性格なのでチョットずつでも良いから変えていこうと思います!
相変わらずウツが長引いて寝られない日も多く辛いですが自分なりに自分のペースで頑張っていこうと思いました!
この度は事細かにアドバイスしていただいて有難うございました!

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