hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

簡単に死にたいと思う

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

死ぬ勇気なんて全く無いし、自殺未遂すらしたことがないのですが、
簡単に死にたいと思ってしまうし、よく病んでしまいます。

人に嫌われる勇気も、(生きている間に)逃げる勇気も、だからといって立ち向かう勇気もありません。

自分でももうどうしたいのか、何をしたいのかが分からなくて、
これじゃあ死んでいるのと変わらないと思ってしまいます。

ただただ、自己嫌悪が募り、この世界(時間)から逃げたいと思っていて、
そのためには死ぬしかないのかなって思ってしまいます。

自分より辛い人も大変な人も沢山いるだろうに、ただ休みたいと思ってしまいます。

でも自分の身勝手な行動で、誰かに迷惑をかけてしまうことを考えると、そんなことも言ってられなくて、
ただ日々をこんな気持ちで過ごすことに、虚無感と情けなさを感じています。

人それぞれで皆さまざまな苦労があることは分かっていますが、前向きに努力を続けておられる方を見ると、
さらに自分への嫌悪感が増します。

ハスノハの過去の相談を見ていても、同じ想いを抱えている人は沢山いるんだなと思いました。

本心では死にたくないと思うのですが、自分がどうするべきなのか(どうしたいのか)、もうよく分かりません。

自分が不器用すぎて弱くて卑怯で、それなのに他人に何か言われると、いちいち傷ついてしまって、本当に嫌です。

稚拙でもはや相談でもない文章ですが、よければ皆様にご助言をいただきたいです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死にたいと思うことがいけないことだとは私は思いません

ゆきさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

ゆきさんは、死ぬ勇気も自殺未遂もしたことはないけれども、死にたいと簡単に思うことがあって、病んでいるなと感じることがあるのですね。

嫌われる勇気も、逃げる勇気も、立ち向かう勇気も無い。

自分でもどうしたいのか分からなくて、死んでいるのと変わらないと思っておられる。

自分より辛い人も沢山いるだろうけど、休みたいこと。ハスノハの過去の相談を見て、同じ思いを抱えた人は大勢いると感じたこと。本心では死にたくないけれども、どうしたら良いのかわからないこと。ゆきさんご自身が、不器用で弱くて卑怯であり、けれども他人なにか言われると傷ついて、本当に嫌だと感じていること。

ゆきさんの思いをそのように聞かせていただきました。

ゆきさん、死にたいと思っていること、またゆきさんご自身が考えておられることを、こうして言葉にして教えていただき、どうもありがとうございます。私は、ゆきさんが言葉で伝えてくれたことが嬉しいです。

他の方の回答も既にありますが、私も書きたくなってお応えさせていただきます。

それは、ゆきさんのお悩みを聞いて、私自身ゆきさんと同じような思いがあるなと感じているからです。

世の中を生きていくのはしんどいことですね。

私も、自殺未遂をしたことはありませんし、積極的に死を選ぼうとする勇気もありません。

でも、生きていくことはしんどいことだなあとか、死んだら楽になるのかなという思いは時々抱きます。

この間も新型コロナのワクチンの接種を受けてきましたが、これでアナフィラキシーで死んだら、家族にお金も出るし、意図せぬところで死んじゃったという形も取れるし、ある意味では万々歳だなと。不謹慎だと怒られそうですが、でも、そんな事を考えてました。結局、生きてますが。

ゆきさんに何という言葉をかけようか、迷っています。

その虚無感と、情けなさからあなたの仏道は始まるんだ、仏教を学びなさいと言いたい気持ちもあるし、また、仏様はね、不器用で弱くて卑怯なあなたに、仏様の国に生まれなさいと呼びかけてくださってるんだよとも言いたい。自分のことを嫌う必要なんて無いんだよとも言いたい。

仏様が私に教えてくれるのは、死にたいと思いながら、生きていても良いということです。今のままに、悩みながら、生きていても良いんですよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

真宗大谷派僧侶。共に悩める場所を求めてこちらに参りました。
このお坊さんを応援する

第三の道 活路を求める

まず、死にたいというのは今の苦しい状況から救われたいという心の叫びのようなものです。人は心の行き場を失うと今の状況を打破しようとするものです。ですが選択肢が見当たらない、見つからないと苦しくなる。こんな苦しいのだったら、、、せめて、死のう…、という悲しい選択をしようとしてしまうのでしょう。
一方、お日さまに照らされてふかふかのクッションの上で寝転んでこの上なく快適な状況にあるネコは死にたいというようなことはありません。ましてや動物は自殺なんてしません。人間も心の快適さ、安らぎ、自由さ=ふかふかな心を求めるべきでしょう。
仏教や禅というのは人間の根本、物事の根源を知り、何事も問題が無くなる生きた救いの教えです。
心の根本を知れば道理がわかる。
死にたくなるその理由も明確になる。
そもそも死にたいの前に何があったか。
そういう心理に追い込まれる「何か」があったわけでしょう。
まず、その原因=負の作用を知る。
作用には良い作用もあり、悪い作用もある。
心理行動も背中を押される働き(作用)があったのだと心得ましょう。
その負の作用に背中を押されることがあった。そこ「からの」死にたい、なわけでしょう。作用は負の作用ばかりをウェルカムしなくともよいはずです。
クラスにとてもいじわるな人がいたとします。他にももっとステキな人もいるのに、自分をいじめる人とばかり関わろうとするのは負の作用。それは選択で変えられる面があるのです。
大切なのはどのような作用を選ぶか。自分に縁を採用すればいいのです。
仮にバカとか死ねと言われてホントにその言葉をそのまま採用すると人は心が傷つきダメージを負う。大丈夫な人は死ねと言われても「(# ゚Д゚)そういう言葉を口にするな!」と反発したり、言葉を受け取らない。「なんか、病んでるみたいよ?大丈夫?」と悪口を言ってくる人をも良い方向に導くことだって心が豊かな人であれば可能になるのです。
だからこそ、あなたを含め、あらゆる死にたい人間に必要なのは豊富な選択肢でう。活路。第三、第四の新たな選択肢と言ってもいいでしょう。心をより良い心へ引き上げる「善導する精神」を求めることです。あなたが自分で「持とう!」と決心すれば変わる。「アタシ、変わらなきゃ。」という決心こそがあなたを変える。グダグダ死にたいZONEから心がアップデートする。なりたい自分は選べるのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

質問者からのお礼

お返事を書くのが遅くなってしまい申し訳ありません。
御二方が丁寧に書いてくださった回答(投稿当時も読ませていただきましたが)本当に感謝しています。

今でも病みそうな時期もあるし、ネガティブになってしまうし、不安なことがとても多いですが、そんな自分を徐々に受け入れられるよう努めながら、ゆっくりと自分のペースで考えを落ち着かせています。

まだ自分をすぐに変えることは難しいとは思いますが、以前より自分自身で追い詰めたり、考え込みすぎたりすることは減ったかなぁとは感じています。(ただ開き直っているだけかもしれませんが……)

急にポジティブになることはできなくても、ちょっとずつ変えていきたいと思っています。
本当にありがたいお言葉、感謝いたします。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ