自分の無力さが辛いです
こんにちは。精神病になって10年経つ者です。
波はありますが、10年目にしてやっと身の回りのことがある程度できるようになりました。
毎日、夢の中に居るような感覚で、ぼんやり生きています。
発病して数年は寝たきりの生活でした。
いつも天井を見つめながら、普通のこと、当たり前のことができるようになりたいと思い続けてきました。
それがある程度できるようになった今、今度は自分の現実を突き付けられています。
私は精神病の無職独身女。まもなく40歳を迎えようとしています。
結婚した友人は家を持ち、子供の成長を楽しみ、独身の友人はキャリアを積み、休暇は海外旅行を楽しみ…。
私の経験した10年と友人達の経験した10年の格差を感じてとても苦しいです。
時間が足りないです。本当にあっという間に日々は過ぎて行き、このままでは年ばかり取って私はやりたいこともほとんどできないまま死んでしまうのかと思うと悔しくて涙が出ます。
もちろん、私よりももっと苦しんでいらっしゃる方もたくさんおられることはわかっています。
家族、友人の支えもあってここまで来られたと感謝もしています。
でも、こんなに無力で何もない人生でいいのでしょうか?
気持ちがうまく書き切れませんが、アドバイスいただけたら嬉しいです。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたは「今ここ」にしかいません。
「彼らは過去を嘆かない 未来を願うこともない
ただ現在に生きている そのため皮膚が輝いている。
未来を願うことにより 過去を嘆くことにより
愚かな人は干からびる 刈られた緑の葦のように」。(相応部経典)
よしこさま。苦しみを強く感じるのは、どのようなときでしょうか。
10年分の過去を「もし健康だったら、こんなことができたのに」と悔いるときですか。これからの未来を「どうやって生きていけばよいのだろう」と不安に思うときですか。あるいは他の誰かを想像し「私はあれもこれも持っていない」と比較するときですか。
過去の貴女はもういません。未来の貴女もまだいません。他人は貴女ではありません。確かにいるのは、たった今ここにいる貴女だけです。
「無力で何もない人生」なんて、ご自分を卑下しすぎないでください。
ご家族友人の支えに恵まれ、ここまでご快方に向かわれている現状。素晴らしいことです。私の子供は脳の病気をしました。自分で思考し、行動すること。食べたいものを咀嚼・嚥下できること。言葉で他人とコミュニケーションすること。当たり前と思っていたどれもこれもが、どれほど難しい、奇跡のようなことかと思いました。長らくご闘病なさっていたよしこさまのお気持ちと、通じる部分があるかもしれません。
いま大きく開こうとしている可能性の扉の前で、なぜひとり顔をしかめていらっしゃるのですか。
未来とは「いまの自分」の積み重ねに他なりません。どうかいまこの瞬間を、ほほえみとやすらぎの内にお過ごしくださいますように。
何もないなら それも捨ててしまえ
私は修行道場で22~32くらいまで過ごしたので青春も何もアラジンでした。
ですが、今振り返ってみてもどんなに輝かしい過去も、どんなに悲しい過去も、夢の如しです。あなたもそうでしょう?過去なんて全部、夢と同じです。あるのは今だけ。
ましてや人の体験の過去なんて想像するだけ無駄です。
それよりも、いま・ここから、スタートしましょう。
おススメは坐禅です。といってもすわる事じゃありません。
(坐)禅の心をマスターすると世界は御馳走だらけになります。
禅の心をマスターするには坐禅をすることが大事ですが、要点は「自発的脳内情報を少なくする」ことからです。自分自ら発動させている思いを休めてみてください。
そうすると、この世の主人公があなた(自我意識)から、あなたの命の側に切り替わります。
人間は自我意識のフィルターを通しているセルフモードの時は世界に接すると幸せにはなりません。
自我意識のフィルターが取り除かれたライフモードの時であればどこにいても頂きもの、授かりもの、一期一会、二度とない、それっきりワールドです。
これがお釈迦様の言われたところの「世界は美しく光り輝いている」ということです。
多くの人は坐禅とは、坐禅をするもんだと思っていますし、禅僧もそうだと思っている人もいますが、私はそうは申し上げません。効果的で、役に立つ禅を広めています。
禅とは、自分が幸せになる為の釈尊の悟りのエスプレッソです。
私にも何にもありません。だから、何でも手に入るし、世界中がゴ馳走だらけです。
あなたも何にもナイのですか。だったらトコトン何もなくしてみてください。
世界が輝かしくなりますよ。
あなたの言う何もないは、まだ至っていません。参禅、坐禅をお勧めします。
千葉だったら来れるでしょうから。カラッポになりに来てください。
PCも、データファイルも、空だからこそ何でも入ります。
半紙もスケッチブックも何も無いからこそ何でも書けるのです。
私は、心うちに❝なにもない❞というネガティブな意識すらないので、あるものだらけです。
何となく言わんとすることは伝わったかと思います。人生もっと明るく楽しくなります。
どうぞお越しやす。
よしこ 様。
人夫々です。
人皆同じでは有りませんよ。
夫々が夫々で居る事が大事なのです。
ですから、あなたは今の貴女でいる事も、大事な何かを得る為の時期なのです。
焦っても致し方のない事、時期が来たら動き出すのです。
貴方自身も仰って居られる様に「10年目にしてやっと身の回りのことがある程度できるようになりました。」ここです。
焦っては成りません。
出来る事からこつこつと…ですよ。
辛かった事を宝に変えましょう
10年もの闘病生活…それはさぞお辛かった事でしょう。
あなたは、それを乗り越えて快方に向かわれた、
本当に素晴らしい事です!
乗り越えられない人々も多くおられる事でしょう。
あなたの人生が何も無いなんてことありませんよ。
こんな比較はあまり良くはないのですが、あなたが羨むご友人達が
もしあなたと同じ立場になって、同じ病を得た時、
あなたと同じように闘病できるでしょうか?
ご神仏はその人に乗り越えられる事しか人生で与えないといいます。
あなたは今の辛い現状を乗り越えられる素晴らしい力を持っているからこそ
今の現状が乗り越えるべき課題としてあるのかもしれません。
あなたの闘病の経験が、次に続く同じ病を得て闘病を始める人々にとって
本当に心強いものになるのではないでしょうか。
同じ病を得たからこそ解って差し上げられる事も多いのではないかと思うのです。
あなたは人を助けて差し上げる事が出来るのかもしれませんよ。
あなたが辛い思いで過して来た日々のおかげで、
誰かが、いや複数の人々が救われるのかもしれないのです。
ブログなどで闘病日記をつけるのも良いでしょうし、
同じ病気の方のためのネットで話合える場を作っても良いかもしれません。
あなたには協力して下さるご家族や友人がおいでとのこと、
きっと何か出切る事があり、そこからいろんな広がりが出るやも知れませんよ。
まだまだ、あなたの人生はこれからですよ。
あなたの歩まれる道の先が明るく照らされるようお祈り申しております。
合掌
第二幕のはじまり
よしこ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
心の病と長年にわたって闘って苦しまれておいでにて、誠にお辛いことでございます・・この度はようやくに当たり前のことができるまでにご回復なさられましたこと、本当に良かったと存じます。
さあ、ここからが始まりです。人生再スタートです。今まで我慢して耐え忍ばれてこられた分、是非、頑張って参りましょう。
よしこ様は、これまで人一倍に辛い思い、しんどい思いをされてこられてきただけに、これからの生活や、働くこと、遊ぶこと、恋すること・・そのどれもが新鮮で、有り難く、尊いものになるのではないかと存じます。
更には、同じように辛く苦しい立場の人たちの気持ちもよしこ様であれば自分の事のようにお分かりになられるのではないかと存じます。その人たちのためにも、何かできることで励ましや応援をして頂けましたらと存じております。
人に優しく、もちろん、自分にも優しく、これからの人生を自分のため、そして人のためにも歩んでいって頂けましたら有り難くに存じます。
あとは、あまり周りと比べないことです。他と比べては自分を卑下したり、劣等感に苛まれたりすることはあまり宜しくないことでございます。比べることにつきましては、これまでも下記の各問いにても扱わせて頂いておりますので、是非、参照して下さいませ。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_320135.html
さあ、人生、第二幕のはじまり、はじまりです。。
川口英俊 合掌