将来に希望が持てず学業を頑張れません。
こんにちは。私は現在学生で、内々定を頂いている企業に来年度から勤める予定です。あとは卒業のために学業に励むだけなのですが、学業へのやる気が起きず悩んでいます。
私は勉強を頑張れば充実した幸せな生活が送れると思い今まで努力してきましたが、就職活動を経てそんな生活は送れないことに気づきました。他の進路を考えようにも私にはできることもやりたいこともなく、今後生きていくならば企業に就職し働くことが最善であるという考えに至ります。
そんな今、楽しくもない社会人生活を送るために学業を頑張ろうと思えなくなりました。学業を放棄しあと半年の学生生活で全力で遊び、就職せずに生涯を終える方が良いのではと思ってしまいます。
私は人間関係や育った環境にも恵まれていると感じており、私のためにお金や時間を使ってくれた周りの人たちの期待に応えたいという気持ちはあるのですが、それ以上に学業や労働から解放されたいという思いが強いです。
このように考えることは悪いことなのでしょうか。また、周りの期待に応えつつ幸せな生活を送るための考え方などアドバイス頂けましたら幸いです。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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今を大事にしなければならない
拝
この経験で学ぶべき事は
今我慢したからといって
将来に望むような報酬は用意されて無いということです
そういう意味では今は徹底して遊んだらよいのではないですか?
経験の無いバイトなんかしてみても良いし
なんでもいいから、やったことないことにチャレンジしてみられると良いでしょう
色んな世界を見れるチャンスですよ?
くれぐれも
自暴自棄ではなくね
人の期待に応えるというのは
いつか限界が来ます
期待してくれている人には
自分の心境を理解してもらわなければなりません
期待してくれている人はあなたの全てを理解していないし
貴方の未来を勝手に決めている
考えているようには絶対なり得ないのにです
今この境地に至ったのは一つの気づき
あなたはもう誰かの扶養ではなく大人にならなければならないという事です
誰かの価値観ではなく
今度は全力で自分の心の声に応えてあげて下さい
とても大事な事ですよ
合掌
勉強を頑張ること自体が
こんにちは。かなり正論めいたことを書きます。
社会に出る前の、大学でする勉強は、「自分で関心あることについて、自分で調べ、まとめ、発表し、結果を得る」事が本質であるはずです。
ですから、「勉強を頑張ること」自体が面白さであり充実度であります。そうとはならず、勉強以外にしか面白さを感じられない様子なのは、残念なことです。
仕事についても、「言われた課題をこなす」か「自分で課題を見つけて追求する」かが、充実とか楽しさであると思いますよ。
もちろん、「老後のために今働く」というのは分かりますが、「いつまでも先送り」ではなく「今やっていること」に意味を見出した方が良くありませんか?
質問者からのお礼
丸山晃俊様
ご回答頂きありがとうございます。
私は元々自分から進学したいと言い出し支えてもらったこともあり、自分の気持ちを差し置いてでも周りの人の期待に応える責任を果たさなければならないと思っていました。
しかし、心境の変化は仕方のないことであり、それにより思ったような成果をあげられないことは期待してくれる人も背負うべきリスクであると考えると自分の幸せを優先することへの罪悪感が薄れました。
今はまだ将来仕事にしたいほどやりたいことはありませんが、最低限の学業はしつつ様々な経験をしながら探してみようと思います。
佐藤良文様
ご回答頂きありがとうございます。
私は高校卒業までに勉強を頑張ること自体の面白さを感じることができず、将来の幸せな生活のためだけに大学に進学しました。
面白いと感じる分野を勉強することが最善だとは思いますが、私の場合は将来のために我慢して勉強するという判断は間違ってはいなかったと思っています。
そして就職活動の結果、どんな仕事に対しても面白さを感じられず将来のための我慢ができなくなりました。
仰っていただいた通り、振り返ってみると私は我慢ばかりしていて今までやってきたことに意味を見出すということができてきませんでした。
将来のために我慢することも時には必要だとは思いますが、今を充実させることも重視し、今するべき勉強の意味を考え直したり様々な物事に意味を見出したりしてみようと思います。