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人の気持ちを考えたくてもわからない

回答数回答 2
有り難し有り難し 12

はじめまして。
初めて質問させていただきます。自分の中で整理がついていないのでお見苦しい文章になりますが、お目を通していただけますと幸いです。
 
本日、上司のお子様の機嫌を損ねてしまいました。お子様は今度ピアノの発表会があるのですが、その会場は県外かもしれないという話を小耳に挟んだのです。なのでお子様ご本人に聞きました。
「今度の発表会は県外なの?」と。
するとお子様は
「知らない。そんなこといちいち聞かれたくない」
と怒ってしまわれました。この発言については詮索されるのが嫌いな子なんだな、今後は聞かないようにしようと納得をしました。しかし次の発言で目が点になりました。
「コロナが流行ってるときに県外に行くの?って聞かれても良い気分なんかしない。なにが言いたいの? なんて答えてほしかったの? ちゃんと人の気持ちを考えて話してよ」
と言われたのです。
 
確かにコロナ禍で遠方に外出するのは感染のリスクがあります。その上で「遠方に出かけます」と答えるのは気分の良いものではないでしょう。そこは理解も納得もできました。
しかし続く言葉が自分の中で消化できません。軽い世間話のつもりで振った話題でしたのでなにが言いたかったわけでもなく(強いて言うなら気を付けてね。頑張ってね。くらい)、そもそもどういう風に答えてほしかったのかなど考えていませんでした。
 
「人の気持ちを考えて」とは確かに浅慮だった私には耳の痛い言葉です。一方で、そこまで言われるほど酷い発言だっただろうか、なにがいけなかったのだろうかと首を傾げる自分もいるのです。
 
お子様の機嫌を損ねた原因は私です。悪いのは私です。それはわかるのです。でもどうしてあんなに怒ったのかも、「なにが言いたいの~話してよ」の発言の意味もわからないのです。お子様の言葉を基にどんな風に反省すればいいのかが全くわからないのです。
 
取り留めのない内容で申し訳ありません。どうか私に答えをください。私はあの言葉をどう受け止めればよいのでしょう。どのように反省すればよいのでしょう。助けてください。本当になにもわからないのです。自分がどうしたいのかさえもわからないのです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

妄想は思い 思いは用いるなら良い思い すると言葉も良い言葉

自分がその場にいたわけじゃないので、そのお子さまのこともあなたさまのことも良くわからない立場の人間ですので、勝手に妄想で推測して「おそらくこういうことなんじゃないだろうか」という感じで勝手に独り言のようにお話しします。

まず、あなたもそのお子さんの言われた言葉に対してやたらと気にする印象を受けましたが、その上司に普段から頭が上がらないような感じなのでしょうか(妄想)
。文章からものすごく距離感や慎重さを感じましたが、それは私の妄想です。そして、まるでどこかの家庭の執事のような文章。すてきな文章表現ですね。丁寧で誠実なお人柄、とても上品な印象を受けました。

さて、お坊ちゃま?お嬢ちゃまの言われた、
「知らない。そんなこといちいち聞かれたくない」
「コロナが流行ってるときに県外に行くの?って聞かれても良い気分なんかしない。なにが言いたいの? なんて答えてほしかったの? ちゃんと人の気持ちを考えて話してよ」
実に聡明な印象を受けますね。
今のお子さまがたはおコロナちゃんの影響でお外に行くことも制約されて、みんな内にこもってネットネットで情報も早いです。
また、学校ではみんな大人たちの「変な」同調圧力で「外に行ってはいけない」「みんなと遊んでもいけない」「友達の家に遊びに行ってもいけない」ような雰囲気が。かわいそうに。当方、埼玉狭山市のドイナカ村CITYでもなんとなくそんな感じでございますの。ですので、そのお子様も普段から上司にあらせらる親御様や学校のお先生方から抑圧されている窮屈な心理状態にあったのではないかと。本音ではみんな「コロナタヒね」が今時小学生の本音だそうです。(埼玉民)それは学校では言えない、言ってもいけない、あれするな、これするな。遊びたい盛りの学生にそれは酷、地獄、とても怒り・フラストレーションが溜まるのでしょう。それをぶわっと発散しやいきっかけとなったのが、あなたの控え目さ、謙虚さ、話しやすいお人柄ゆへに、まことの言葉が発せられたのでは。私の親は貴女上司。だから、なんとなーく立場も貴女より上の立場っぽく上から目線で言いやすかったから(子供だから許してね)溜まっていた心のつらさもついあなただけに「うっかりポロリ」で心情を吐露してくださったのでありましょう。(妄想)
頑張っての励みと共感をこめてちょっとメッセージカードを添えて贈られていかがでしょうか?

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

移り変わりゆくもの

拝読させて頂きました。
あなたのこと、そしてその子のこと、詳細な経緯や関係性はわかりませんけれども…私はあなたは決して悪くはないと思います。
あえて言うならばその子の感情がとても不安定な状況にあって、腫れ物に触るような状態だったのではないかと思います。

人の気持ちも考えもコロコロ変わっていきます、いっときとして同じ状態や感情であることはありません。

ですからそれほど気になさることではないかと思います。

あなた自身のお気持ちを穏やかに安定なさって下さいね。

毎日ものごとも人も移り変わっていくのですからね。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ