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お坊さんと面会するには

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有り難し有り難し 31

私の罪をお許し頂くために、お坊さんに個別で直接お会いしたいのですが、このご時世では無理でしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一度お申し込みなさってみて下さいね

拝読させて頂きました。
あなたがお坊さんにお会いしてお話しなさりたいお気持ちがあること読ませて頂きました。
ハスノハではオンラインでもそれぞれのお坊さんと直接お話しなさることはできます。もし宜しければ一度お申し込みなさってみて下さいね。そしてあなたがお話しなさってみたいお坊さんとじっくりと都合の良い日時でお話しなさってみて下さい。
私達はあなたのお話しをお伺いさせて頂きたいと思っています。

また直接お寺に行ってお話しを聞いてもらいたいと思われるかもしれませんが、その際には一度お坊さんにご連絡なさってみてご都合を伺ってから行かれた方が良いかと思います。感染予防なさっていらっしゃるお寺さんもありますからお会いすることできるお寺さんもお坊さんもいらっしゃるでしょうからね。できればあなたがお住まいの地域のお近くのお寺さんの方が良いかと思います。あまり遠いお寺さんですと行くのも大変でしょうし地域によってはコロナ禍で他県ナンバーの車を嫌がる方々もいらっしゃるかもしれませんからね。
あと一つ、もうすぐお盆を迎えます。私達僧侶やお寺にとって一年で一番忙しい時期ですからできればお盆後の方がお坊さんも都合がつきやすいかと思います。
いずれにせよあなたが直接お話しなさることは充分可能ですからオンラインでも直接伺うにしてもご連絡お申し込みなさって下さいね。あなたをお待ちしております。
あなたに良い出会いのあることを心よりお祈り申し上げます。

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

お近くでしたらいつでもどうぞ

ご連絡をしていただければ対応いたします。
罪の浄化をご希望でしたら当山では、
・懴悔の焼香供養
『懴悔文』
・菩提心の誓願
『四弘誓願文』
・読経あるいは写経(納経)
『懴悔滅罪』『発願利益衆生』の読経
・坐禅
般若波羅蜜の行を深く修して自我意識の立ち上がり以前の心に目覚めることで、自己本来の清浄なる心を開発(かいほつ)し、わが身可愛がりのエゴ意識を離れることで忘れている人間本来のやさしさ、慈悲心に目覚めることができます。
自己本来の無我の心を会得することで人は、他人にやさしくすることができるようになります。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

無理ではありませんよ。

このご時世ですから
どのお寺もコロナ対策はしています。
安心して問い合わせてみてください。

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 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

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