生きるのが辛いけど、死ぬ勇気もない
これまで生きてきて幸せ、心から楽しいと思えたことがありません。
学校生活は、人間関係の悩みなどいろいろありましたが、将来良いことがあると思い、頑張って乗り越えました。
友人は数人います。
幸い好きな仕事にもつけ、女性職場特有の中でも、それなりに頑張ってやってきました。
ただ、最近頑張ることに疲れてしまいました。
要領が悪く、いつも頑張って上手くいかないことの繰り返し。
子供の頃から、死にたいなと思うことは良くありました。
結婚、出産も周りで増えました。
私は自分が好きになる人とはうまく行きません。
私がこの先、絶対手に入れられない幸せを持ってる友達が妬ましいです。
大丈夫!なんて言われると腹が立ち、そのせいで疎遠になってしまった友人もいます。
優しく聞いてくれる友達には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
死ぬ勇気があれば多分死んでいます。
でも勇気がないので死ねません。
短いけどこれまで頑張ったんだから、もう楽になりたいと思うのはワガママなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなただけの幸せを探してみてください
質問読ませていただきました。
頑張っているのにうまくいかない・・その繰り返しで心身共に疲れ果ててしまっているのですね。
心中お察しいたします。
さて、えりさんは周りに合わせなきゃいけないと、必要以上に気を張っていませんか。
また、周りと自分を比較して、必要以上に自分を追い詰めて落ち込んだりしていませんか。もちろん、人間は他人との関係の中で生きていますので、相手に合わせなきゃいけない場面もあるでしょう。また、どうしても他人が近くにいれば自分と比べてしまうでしょう。
しかし、考えてみてください。
何のために自分を周りに合わせるのでしょうか?
それは、自分が無事平穏に幸せに生きるための手段として、周りに同調して生きているのでしょう。しかし、周りに合わせて生きようとする故に自分を抑圧し、結果的に自分で自分を不幸に追い込んでしまっている。
それは本末転倒ではないですか?幸せになるための手段が、逆に自分を不幸にしているのですから。
ですから相手に同調しすぎずに、自分らしく振る舞ってみる、自分らしく生きてみることも大切なんですよ。
また、他人と比較してしまうのは仕方ありませんが、それにいかほどの意味があるのでしょうか。自分は自分の持っているものを精一杯活かして、幸せになる道を模索するしかないんです。
比較して落ち込んで後ろ向きになってしまうと、自分が見えなくなります。それでは自分の良いところは埋もれてしまいますし、活かすことなんてとてもできません。つまり、比較して自分を貶めることで、どんどん幸せに繋がる道から外れていってしまっているということです。
人にはそれぞれの人生がありますし、持っているものも異なります。えりさんはえりさんの幸せを見つけてみてください。ひょっとしたら、他人から見たらそれがとてつもなく羨ましく見えるかもしれませんよ。
このように、自分らしく生きて、自分だけの幸せを探しすことが大切なんです。それが出来れば、必ずえりさんの進む道は希望に満ちたものとなりますよ。
何か少しでも参考にしてみて下さいね。