私は生きている価値があるのでしょうか。回答受付中
ここで何度か相談させてもらっています。妻がある神道系の信仰にすがっていたのですが子供が生まれてから、指導者の方が「その子は人間じゃない。魂を入れ替えないと20歳までに死ぬか犯罪者になる」と言われ、妻がそれを信じ込むようになり関係がぎくしゃくするようになって10年以上が経過しています。一時期は妻はその信仰と関係切れたのですが、すぐに戻りました。そのような中で妻が「自分の命が危ない。」というようになり、実際に救急搬送され、集中治療室に入りました。妻が倒れている間、私は普段お参りをしているお寺にて妻の回復の祈願させていただきました。その後、妻は1週間意識をなくしていましたが、奇跡的に回復。ただ、退院後に私が妻が倒れている間に勝手にお寺で祈願したことを激怒し、また指導者に連絡を取らなかったことを怒り、責められてしまいました。妻は回復してきましたが、体調は今一つで、私の態度や対応がストレスで病気になる。ストレスを与えないでほしいといわれるようになりました。妻の信仰に私がトラウマを抱えていて私の価値観で妻を何とかしようと思っていましたが、結果としては全て裏目に出ています。私と価値観が違うところにいることを改めて確認しました。私は家族のためにも自分が耐えて一緒にいないと思っていました。しかし、最近もしかして私が家族にとって迷惑をかけているのでは、私は早く死んだほうが良いのではと思うようになってきました。妻からは「嫌がることばかりして見えないDVを受けている。」といわれて、自分はDVなんてしているつもりなかったのですが、私の価値観で強引にしていたり、妻との会話で私が余計なこと言ってまた何か言い返されたらどうしようと思い、最近は家のことに関して相談せずに自分だけで判断して決める場面も増えていてそういう風にとらえられていたのだと気づきました。私は妻を傷つけるつもりはなかったのですが結果としてはそういう行為をしていたことに気づきました。私に出会わなければ妻も苦しまなかったのではないか。私は生きる価値がない人間ではないのかと思うようになりました。妻も今は病み上がりでフォローが必要でもあり、子どものことも思うとここで投げ出すの無責任だと思ったり、自分はもう少し耐えたほうがいいのかと思ったり迷っています。ただ、それも自己保身なだけで自分は人間として偽善で非道なのかと思ってしまいます。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
離れましょう。あなたの心身が壊れてしまう。DV相談に繋がって
以前にもお伝えしましたが、死ぬか犯罪者になるなんて脅すようなものが、信仰なのでしょうかね。
お子さんのことで、藁にもすがる思いがあったのかもしれませんが、問題は、お子さんのことではなく、家族を信じきれない妻さんご本人にあるように思います。
あなたのせいではなく、信仰に洗脳されてしまっていることが、妻さんの状態を悪化させていると思いますよ。回復されていたのは、入院して信仰から離れ 医療に守られていたから。退院をした今、DVを受けていると言い出しているのも、幻聴幻覚の症状が出ているように思います。あなたも、信仰との関わりが切れない限り、解決はないと気づいておられるでしょ。子どもの将来を握り、不安を煽るような洗脳は、宗教ではありません。
医療のサポートと、宗教から抜け出すことが、求められると思います。
法テラスの霊感商法等対応ダイヤルに相談しましょう。心の悩みや家族の悩み、相談内容に応じて弁護士や心理専門職、その他適切な相談窓口の情報を教えてくれますからね。
妻さんのご両親にも、力になっていただけないのかしら。夫の言葉に耳を傾けてくださらない今、妻さんの親に説得や里帰りなど、しばらく別居も冷静になるためには、必要かもしれません。
追記。。。
そのような状態にいる妻さんは、既に生き方に納得されていますよね。両親も。ただ、あなた自身がついていけない。それは正常とも言えますが、妻さんの言動や態度はDVであり、あなたの方が追い込まれており、被害者になっておられますよ。
離れましょう。あなたが我慢をして耐えるような生活が、夫婦といえますか。このままでは、あなたの心身が壊れてしまいます。あなたのために、DV相談に繋がってください。
内閣府 DVナビ 全国共通の電話番号「#8008 (ハレレバ)」
DV相談プラス(電話メール チャット24時間対応)
救い
仏教的には、少なくとも人間として生まれ仏教を学べるだけでも、その人の生きている価値は激レアなんです。
また、あなたはお子さんや妻等の人生に影響を与えられるので、それにも価値はあります。
さて、仏教では、欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩が悩み苦しみストレスの原因になると考えます。
特に、それら煩悩によって、過去や未来や自分や他人についてあれこれ妄想雑念を膨らませたり、同じ情報の中で思考の堂々巡りに陥ると、悩み苦しみストレスが増大しますね。
あなたのご相談内容も、結局は、過去や未来や自分や他人に関する思考が膨らみすぎて、「今・ここ」の六根(眼耳鼻舌身意)と六境(色声香味触法)からかけ離れた雑念に苦しんでいると言えます。
そこで、まずは「心は無常である」と意識してみてください。
心(思考や感情)は、実は瞬間瞬間に浮かんでは消えており、だから瞬間ごとに新しい心であり、瞬間ごとに新しい自分なのです。
昨日の記憶も前世の記憶みたいなもの、「今・ここ」の1秒間の新しい自分の人生には、実はあまり重要ではない過去かもしれない。
例えば、今、手を洗うとしたら、妻や子供や自分や宗教者のことを考える必要すらなく、ただ水を出して手を洗って水を止めるだけ。
そこに、過去や未来や自分や他人に関する思考は必要なく、淡々とこの1秒間を生きれば、自動的に次の1秒の人生まで生きていけます。
ということで、「心は無常である」ということが、仏教的な救いの一つです。
それを踏まえて、お釈迦様の弟子のチューラパンタカ尊者について調べてみてください。
あなたの次の1秒間が幸せでありますように、祈念いたします。
質問者からのお礼
ありがとうございます。妻の親も実は妻の信仰に賛同していて、「私が妻の信仰に対して足を引っ張り娘を不幸にしている。」と怒っています。そして、妻の親も妻に対して「神様に反したらえらい目に合うから気をつけろ」と言い、妻は自分の親もそう言っているのだから正しいと思っています。また、妻は最近は指導を受けておらず、自分で自分の思う信仰をしており、自分は霊感があり私の先祖が家に来て泣いているといっています。そういう意味では今は誰かの指導指示という話しでもなくなり、妻が独自に信仰をしています。進めば進むほど、妻との会話で私が余計なこと言ってまた何か言い返されたらどうしようと思い、妻に言いたいことも言わず、時にはうそをつき、無理をしてでも妻のその時に言動に合わせ、土下座をして謝ることもあれば、妻に言われて行動がフリーズしたり、トイレにこもったりしていました。最近は家のことに関しても相談せずに自分だけで判断して決めて、余計に妻が怒る場面も増えていていました。そして私がDVをしているというようになったのは妻が回復しかけた時に神様にばかり頼るのはやめてほしいと伝えたことや倒れた時に神様でなく親族に頼ったことが、妻としてはとても嫌な行為であり、DVをしているといわれるようになりました。妻からすると私は神様からの指導も受けておらず、𠮟られることもないから成長できないかわいそうな人であり、黙るだけの卑怯な人と言われ、陰湿ないじめをしているといわれ自分はどうしたらいいのかわからなくなっていました。妻は「自分は宇宙でトップの神様を信仰しており救われてきたが、あなたが仏教の道を選んでいるが仏教は救ってくれない、仏教の信仰をしてもいいが家に持ち込まないでくれ」と言われ、自分が間違っているのかとか思ったりしていました。最近はいかに迷惑をかけずに自殺できるかシュミレーションしたり、遺書の下書きを書いたりして、いつでも死ねるならもう少しぎりぎりまで生きてみようという思いで日々過ごしています。ただ、一方でこんなことを考えている私はまずいのかなと我に返ったり、死ぬなんて無責任ではないかと責めたり、私のせいで妻もこうなったのではと思い、子どもをおいて逃げるわけにもいけないのかなと思い、私自身がどう判断したらいいのかわからず身動き取れなくなっているのかもしれません。