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会ったことがない父に謝りたい

回答数回答 1
有り難し有り難し 9

19歳の女子大生です。
私の両親は私が生まれて直ぐに離婚してしまったため、私は父の記憶は全くありません。離婚後はずっと祖父母が育ててきてくれました。母のことは私はあまり好きではないので必要最低限関わっていません。
高校1年生の時に初めて父の祖母にメールをしたところ、父が再婚していることを知り、本当にショックでした。正直今でも、悲しい、悔しい、寂しいです。
高校2年生の時に、もう迷惑かもしれないから、諦めようと思ったのですが「父に会うために9年も頑張ってきたのに諦めるのはもったいない」と思い、最初は挨拶程度のメールを送ったところ、数分で返って来ました。その後、自分の気持ちも含めて「会いたいです」とメールを送ったのですが、1年以上経ってもメールは返って来ませんでした。
高校3年生の時に「もう諦めよう」と思い、自分の気持ちも含めて「迷惑ならもうメールしません」とメールしました。そのメールは返ってきたのですが、なんだかとてもそっけないように感じ、「私のことなんてどうでもよかったんだ」「何も知らず、9年も期待して頑張ってきた自分がバカだった」と思いました。
「大学生になるから、もう諦めて次に進もう」と思ったのですが、「父も離婚する時、悲しかったかもしれないのに、本当は父も私に会いたかったかもしれないのに」と父の気持ちを想像したり、祖母から「パパはほんとに優しくていい人だったよ」と聞くと、悲しくなり、本当に酷いことを言ってしまったと後悔しています。謝りたいけど、「もうメールしません」なんて言ってしまったので、なんて言ったらいいのかわかりませんし、今更メールしていいのかどうかわかりません。
やっぱり父は私から「もうメールしません」と送られてきて悲しかったでしょうか。どうやって謝ったらいいでしょうか。謝ったら許してくれるでしょうか。普段誰にも相談しないため、どうしたらいいのかわかりません。
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

むしろ謝るのはお父さんの方ですから大丈夫

おとうさんにはいつか会えるでしょう。
おそらくお父さんは再婚してしまったので、罪の意識もあるでしょう。そして、長年あってこなかったのであなたに対して申し訳ないという気持ちが強くあるはずです。ですが、今は再婚している以上、現在の家族であるお父さんの「謎の再婚相手」との関係が「ややこしや」だったりすると、身動きがとれないのですよ。たとえばおとうさんの新しい「謎の再婚相手」がめちゃめちゃ嫉妬深かったりすると「元の奥さん=あなたのおかあさん」とは絶対に合わないで!(# ゚Д゚)という態度だったりするもんです。(# ゚Д゚)子供にも合わないで!という人はあまりいません。いたら、相当凶暴な自分ラブ人間ですから、本当はお母さんと結婚継続していた方が良かったかもしれませんが、そんなに行ったり来たりできないのもオトナの事情。離婚するのもオトナの身勝手な都合。
いずれにせよ、まずあなたの心の準備として持っておいた方が良いことは「相手に高い人間性を要求しない」という点です。そもそもあなたのお母さんと離婚しちゃったという時点で何らかの要因「なにか」があったのでしょう。(*_*;
もちろんそこは禁断のZONEですので、お母さんはお母さんなりの主張や正義があり、お父さんはお父さんなりの主張があるでしょう。でも、それでもあなたのお父さんはその人です。一緒に過ごしてこなかった分、人間の責任としても貴女には本当はいろいろ支援や援助をしなければならないものです。養育費だってちゃんとしている人は毎月所得・給料に応じて払っているはずです。
今後あなたもお付き合いする人との中で様々な心理を経験するはずです。
男女というものは、今の世の中、大半が結婚したりしなかったり、交際しても別れたり、結婚したのに不仲で離婚したりと、とにかくくんずほぐれつすったもんだ踏んだり蹴ったりシュラバダバダシチャカメッチャカカムチャッカなものでございやして。かわいそうなのはあなた。何はともあれ、あなたはメールを悪く解釈しないこと。傷つくようなことがあっても、それは父ちゃんが悪い。大人の事情で今まで一緒に生活してきてあげられなかったから、あえてあなたに対して今以上に父親としての情をわかせないようにとか、娘に悪いから情をわかせないようにとかで心を鬼にして冷たくせざるをえなかったりで、すべては本人の人間性によるものです。

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます

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