事故を起こしてしまった
こんばんは。夜分遅くに失礼します。
当方 21歳 大学生です。
言葉足らずで読みにくい文章になるかもしれませんが最後まで読んでいただき回答してくださるとありがたいです。
今日の午後、私は両親の車(新車)を運転しており、助手席に親が乗り近くの施設まで運転していました。
ですが、パーキングのチケットを受け取り右折しようとした時に曲がりきれず、近くの柵に接触してしまいました。
その後、施設の方に連絡し柵自体は擦り傷程度であり「ペンキで色を塗る程度で大丈夫」と言われました。また不幸中の幸いで人や他の車にはあたっておらず警察にも相談し物損事故として扱っていただいてます。
もちろん事故を起こしたのは私の責任で施設側にも申し訳ないのですが、何より父が大切にしていた新車の破損が激しく「私のせいで傷つけてしまった」とそちらの方が精神的に追い詰めてしまっています。
父は「対人じゃないだけよかった。怪我もないし大丈夫」と言ってくれたのですがやはり責任を感じます。
大学生なので車の修理費を負担することもできませんし、「大学生だからそんなことはしなくてもいい」と優しい対応をしてくれています。
そんな私は今後どのように考え生きていけばいいですか?
私はこの事故をきっかけに何か自分の嫌な部分などを変えていければと考えています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自己はぶつかった瞬間だけだ 後は片付けだ
当山の本寺、天岑寺禅会に来られていた小島道林さんという方は曹洞宗の昭和の名僧、臨済宗・曹洞宗で印可証明をお持ちの故井上義衍老師や井上貫道老師の下で長く参禅されておられました。当山によくお手伝いに来ていただくことがあり、先日も病を患う中もお手伝いに来てくださいました。ある時、山門の前で車の事故が。「ガチャン!🚙」すごい音がしたのですが、事故直後、車から出てきて「ぶつかっちゃった(笑)」と平気で笑っておられたのです。事実を事実の通りにみて、取り乱すことも無く一切動じなかったのです。落ち着いてすぐに携帯をとりだして警察に連絡をしていました。立派な対応ですね。
私も学生時代、友達が迎えに来てほしいというので(いかなければよかったのですが)その道中に事故を起こしてしまいました。33万エーン。泣
しばらくあなたのように数か月?暗い気持ちで凹んでおりましたが、師僧が法話の際に「交通事故はぶつかった瞬間だけだ。後は片付けだ!」と言われた言葉によってフッと心が軽くなりました。
真実を正しく認識したということなのです。
仏法、仏教、正法とは、人を迷い苦しみから救う確かな内容のある真実説法。
法を明らめられた禅僧たちの説示というものは「事実」と「思い」の世界とをきっちり分けて説いておられます。
交通事故の事実はその瞬間だけ。「ガチャン!」🏠🚙💦
そのあとの負の思いはみーんな頭の中の考え事。後からやっている。心の引きずりです。
👻
幽霊とは髪を長くしているのは過去のことを引きずっている姿。
手を垂らして先を憂いているのは未来を不安に思っている姿。
地面に足がついていないのは現在を生きていない姿なのです。
その残念な心残りな幽霊とはあなたの一念。今の心が残ると記して残念。
迷いの心を目覚めさせる道歌
「過去を思い 未来をここへ引き寄せて 今現在を常闇(とこやみ)にする」(義衍老師)
成仏の為の道歌
「今のみで後先なしが真の法 過去も未来も今の一念」作者不明
諸念は一念にしかず。
百八の煩悩も、その正体は今の一念。
過ぎたことを今新たに蒸し返しては、やれ自分は愚かじゃ、可哀そうじゃと浸っている気持ちの悪い、何の得にもならんベタベタな汚泥意識なのです。
それを肥やしに転ずるのが禅、正法、仏教の功徳、菩提心です。
※男性かと思って回答していました。最後の道歌はカット✂しました。
罪悪感に閉じこもらず、周りの気持ちも受け止めてみましょう
質問読ませていただきました。
車の事故は怖いですよね。みなさんがおっしゃるように、対人の事故でなくて本当に良かったです。
さて、お父様の新車を傷つけてしまったとのことですが、お父様は本当にニーナさんのことを大切にしているんだと思いますよ。
「もし対人の事故だったら、もちろん相手の方にも申し訳が立たないが、ひょっとしたらニーナさんの人生は一変していたかもしれない。
もし事故で怪我をして後遺症や傷でも残ってしまったら・・・」
新車に傷が付くよりも、こういったことの方が心配でたまらなかったのでしょう。
そんなお父様の気持ちをまずはしっかりと受け止めてあげましょう。
そして、修理費は出さずとも、お父様への感謝の気持ちを伝えることは出来ます。
お父様の誕生日か父の日にあわせて、何か手作りで差し上げて、「あのときは本当にありがとう」と言ってあげるのはどうでしょうか?
それだけで本当に喜んでくれると思いますし、少しは罪滅ぼしにもなるんではないでしょうか。
ご自身の罪悪感に閉じこもらずに、周りの気持ちを受け止める努力も大切なんですよ。人は、周りの人との関係の中で生きているんですからね。
これからの人生も同じですよ。何か失敗をしたとして、反省することは大切です。しかし必要以上に罪悪感に閉じこもってしまっては、周りが見えなくなります。周りの気持ちを受け止められなくなります。
自分一人で受け止めて、自分一人で立ち直り、自分一人で強くなる。そんな風に強くはなかなかなれません。そんなときこそ、周りのアドバイスや優しさに触れながら生きていけばいいと思いますよ。
また、今回の事故を通して、「車の怖さ」を再認識されたと思います。
人は失敗や怖さを知ることで、本当の意味で「学ぶ」ことが出来るのだと思います。
これからも、車の運転は十分に注意なさってくださいね。
何か少しでも参考にしてみて下さい。
必要ならばプロフィールを参照いただき、メールにてご連絡くださいね。
一つ経験を積んだと思いましょう。
ニーナさんのお悩みお察し申し上げます。
まずは大きな事故でなくて良かったですね。
こういういい方は良くないかもしれませんが、私は、時々、若い人に事故を起こしたことある?と聞いたりします。中には、一度もないと自慢する人もしますし、いや自分の不注意で事故してしまったことあると正直に話す人もいます。
どちらがいいとか悪いとではなく、事故を起こしたことのある人の方が、事故の恐ろしさや、不注意は危険であること、自分の運転能力や弱点を知っていることの方が多いということです。これだけは経験した人でないと分かりません。
ゆえに、一度も事故をしたことがない人の車には正直、怖くて乗れません。何故なら慢心しているか、事故の恐怖や、その後の大変さを知らないからです。イザとなった時の回避を知らないからです。
ニーサさんのご心配も分かりますが、今回のことで自分の運転の弱点も知ることが出来たのです。これだけの車が走っているのです。大小の違いはあれど、対物も自損も含め事故が起きない事の方が不思議です。ゆえにそれぞれが注意しなければなりません。今回のことはそういう意味ではいい勉強になったと思いましょう。
たしかに新車ですから、ダメージも大きいかもしれませんが、それゆえにさらに慎重にとなります。
今回の事故(運転の未熟さ)を起こしたからといって、人格を人生を否定されてたわけでもありません。あまり自分を責めずに、これからはもっと注意して運転を心掛けようよ思いましょう。
質問者からのお礼
お忙しい中真摯に回答していただきありがとうございます。
事故の恐ろしさをたしかにあの時初めて体験し、それまでは正直「自分は大丈夫だろう」と慢心していました。
この経験を元にこれからは気をつけ、また父のことも大切にしていきたいと思います。ありがとうございました!