悟りとはなんでしょうか?
悟りについて教えて下さい。
心を鍛える事が悟りなのか?
心を成長させる事なのか?
自分に起きる事を受け入れ、行動する事なのか?
心に湧いてくる色々な感情がわかないように、セルフコントロールする事でしょうか?
どのような意味なんでしょうか?
自分でも色々調べてみましたが、調べれば調べる程、深いものだと感じますし、よくわからなくなっていきます。
一言で分かりやすく伝える事は難しいと思いますが、是非教えて下さい。
また、トレーニング方法があれば教えて頂きたいです。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教のゴールは「お悟り」
カイシンさん ご質問ありがとうございます。
この質問は僧侶ならよく聞かれる質問です。
色んな答えがありますが、私は日常の「気付き」の積み重ねが「お悟り」への道と思っております。
仏教は「仏になるための教え」ですから、貴方が日頃の生活を通じて「気付かされていく」「目覚めて行く」世界があります。その「気付き」が積み重なって「智慧」となり「智慧の完成」である「お悟り」に至るのではと思います。
共に「智慧の完成」に向かって歩んでいこうではありませんか。それが仏道です。
まずは己の問題を解決出来ることです
拝
過去どれだけ多くの人達が
同じく貪欲に悟りを求めた事でしょう
欲しいと思っても手に入らない悟りとは
なんなのでしょうね
仏教徒にとってはロマンでもありますね^_^
おおよそ貴方が述べられた様な
弛まぬ気づきの積み重ねを求める事は
当然
勿論自分の身辺や頭の中だって
いつも綺麗に掃除しておかなければなりません
一つ気になりました
心の成長というのは妄想であり
心はただ記憶、経験、感覚、直感、不安、慢心、五感、本能、人、自然などなど
あらゆる関係性の中に存在しているだけです
例えばコレを今貴方が私から説明を受け
知ったとしても
それは本当の意味で心を知った訳ではありません
それを
ただ知識として知っているのと
時間をかけて深い考察と体験を持って
かつ科学的に
言葉にできない所も含めてその真の関係性を知っているのとでは違います
同時に私がなぜこうした説明の仕方をしたか足りない所や解釈の違いや
私のその心境に至るまでの思考的なプロセスも理解できた
これが次のステップ
ややこしいですね
更に上のレベルと言いますと
それら全て知っていながら
全て感じていられるわけですね
ここまでくると意識のレベルも違う事が分かりますよね
言葉で言えば単純だけれども
ロジックだけで到達できるレベルではありませんね
強いて言うなら
我から離れ
全てと一つになっている
高い意識レベル自体を指すと
私は思います
あらゆる問題は全て己にある
故に
問題が問題でなくなる事が最低条件
悩みフリー状態ですね
しかし、それは常人では一瞬の閃きであり次の瞬間には元の我に囚われた曇った目に戻る事は間違いありません
勿論その前と後では
アップデートされているのですが
まぁそこは所詮人間
さて
悟った人がいるとすれば
それこそお釈迦様
それでもやっぱりお釈迦様も人だった
だからその悟りへの道を示そうという慈悲を大事にされたわけです
だから、悟る事が必須なわけでは無いのですよ
我々にとっては
余計なことは考えないで煩悩から己を解放するに精進ですね
合掌
悟りの道が仏教です
拝読させて頂きました。
真理を全て理解してあるがままに受け入れていくことです。そして一切の迷いを絶つことです。一切の苦しみから解放されて楽になることです。そしてあまたの衆生を救っていくことです。
私は悟っていないのでその境地には至っていませんが、これからの全てをかけて仏を信じて仏の道を日々精進していきたいと思います。
仏教には八万四千通りの修行の道があります、それ全てが悟りを得ることつまり成仏への道です。きっとあなたにあった修行の道があるでしょう。あなた自身で自分にあった悟りの道を選択して精進なさって下さいね。
あなたを心から応援してますね。
スマナサーラ長老の
YouTubeの説法を探してみると、悟りに関してもいろいろ見つかると思います。
藤本晃『悟りの4つのステージ』(サンガ)にもきちんと説かれています。
一言、
心を鍛えたり成長させたり何か行動することは、悟りではなく、悟りに至るための道・修行です。悟りそのものはそのような道・修行の結果として至る境地です。
悟りに達する正しいトレーニング方法=修行法は、ヴィパッサナー(観)瞑想です。
これは、スマナサーラ長老の本が出ています。YouTubeもあると思います。探して、見たり読んだりして見様見真似でやってみてください。
悟りについて
カイシンさま
「悟り」とは、真理を悟ること、それはつまり「空性」を現量了解した状態となります。
また、悟りへと至れたということは、悟りへの条件である「智慧と福徳」(具体的な内容は六波羅蜜)の二資糧を円満に積まれたということであり、仏陀・如来のお身体である「法身と色身」を完全に備えられた存在になられたということにもなります。
「菩提心」を原因として、「智慧と福徳」を条件として、そして、「悟り」という結果へと至れることになります。
このことにつきましては、この度のお盆の法話にて少しお話させて頂いておりますので、ご参考下さい。
拙法話「悟りへの道」
また、悟りへと至った仏陀・如来の認識のありようにつきましては、下記図にて、凡夫と阿羅漢との対比をしていますので、ご参考下さい。
凡夫と阿羅漢と仏陀、三者における認識の対比図
https://ameblo.jp/sunyahide/image-12688198158-14976612608.html
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
藤本晃さん
教えて下さりありがとうございました。
拝見してみます。
Kousyo Kuuyo Azumaさん
ありがとうございました。
分かりやすい説明ありがとうございました。
自分にあった、修行方法を探してみます。
丸山晃俊さん
ありがとうございました。
心の成長というのは妄想という文章に衝撃を受けました。
大きな事に気がついた感じがしました。
レベルに分けた説明も非常に分かりやすかったです。
ありがとうございました。
久念さん
コメント頂いてありがとうございます。
そうですよね、まずはそこから始めてみようと思います。
凄く分かりやすかったです。
ありがとうございました。
川口英俊様
お答え頂いてありがとうございました。
動画も拝見しました。
非常に分かりやすかったです。
以前に他のサイトで話聞いていた時に、「空」という言葉に出会いました。
その方がおっしゃっている、空の言葉の解釈は、「意識したものが実態になる」。
「この世は虚で、この世にあるものは無でもなく有でもなくて空である」という内容でした。
私はこの意味の解釈が難しくて出来ませんでしたが、今回の動画を拝見して意味が分かった気がしました。(空と空性の意味を一緒として捉えています。違っていたら申し訳ございません。)
ありがとうございました。
All
分かりやすくお答え頂き本当にありがとうございました。
仏教の考え方について、ますます興味が湧いてきました。
もっと仏教の考え方について学んでいこうと思います。
ありがとうございました。