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死に対する恐怖、心を強くするには

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昔から、事件や事故に巻き込まれることに対する恐怖が人一倍強い気がしています。新型コロナ、無差別殺傷事件、残忍な事件や事故、世界情勢のニュースを見ていると、いつか自分や大切な家族が巻き込まれたらどうしようと不安でたまりません。家にずっといれば安全かもしれない、どこにも行きたくないという気持ちになる日も多いです。起きてもいないことに不安になって今の時間を無駄にするのは良くないと頭ではよく分かっているのですが、不安になるとそればかり考えてしまいます。

また最近はそういった不安から、夫が先に死んでしまったらどうしようとよく考えるようになってしまいました。私がくじけそうになったときにいつも隣で支えてくれた夫を失うのは私の人生で一番つらいことです。夫に先立たれるのもつらいし、夫を残して一人ぼっちにしてしまうこともつらいです。

死に対する恐怖に打ち勝つにはどうすれば良いでしょうか。また心を強くするにはどのようなことが効果的でしょうか。乱文となり申し訳ございません。よろしくお願い致します。

2021年8月25日 14:21

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死は終わりではありません

拝読させて頂きました。あなたが死を恐れ自分や大切な家族のことを思うと不安でたまらなくなってしまうこと読ませて頂きました。あなたのお気持ちとてもよくわかります。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
私も若い頃から死の恐怖に怯えながら生活しておりました。ある時は何もできなくなってしまい病院通いでした。今でも死は不安にもなりますし怖い気持ちもあります。

私達は生きものですから必ずその天寿を全うする時が参ります。ただその時は誰にもわからないのです。そもそも私達の生命は様々な方々やものごととのご縁の中で与えられ育まれていくものですからね。私達の肉体や生命も恵まれ与えられたものなのですからね。その生命や肉体には限りがあるものです。
とはいえ死は決して終わりではありません。私達は死を迎えた時に仏様がお迎え下さり先に往かれた親しい方々やご先祖様方が優しくお迎えなさって下さいます。そして一切の悩みや不安や迷いからも救われていきます。仏様やご先祖様方のもと心から安らかに穏やかになっていくのです。そして親しい方々と共に清らかに円満にご成仏させて頂くのです。
それからご先祖様方と一緒に皆さんを優しく見守り続けていくのです。ですからそのご縁は決して終わりではありませんし切れません、これからもそのご縁はずっと永遠に続いていくのです。
ですから死は一通過点なのです。死によって終わるわけでもなく無くなってしまうわけではありませんからね。どうか安心なさって下さい。そしてこれからもあなたをそしてご家族の皆さんとのご縁を大切になさって下さいね。
あなたがこれからも親しい方々やご家族の皆さんとのご縁を大切になさりながら皆さんと共に仲良く心から幸せに生き抜いていかれますようにと切に仏様やご先祖様方にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏

2021年8月26日 9:26
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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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生を明らめ、死を明らめるのが禅の修行。

お釈迦さまも祖師たちもみんな死がこわかったのです。
だから、死の苦しみから逃れるための道をもとめました。
そして、自分の本当の姿を明らかにされて(悟・得法)死の恐怖を克服されました。
あなたもそれを求めるべきです。
言葉やポチや一読でわかることではないと思います。
その為に存在するのが仏教・仏道・修行というものです。それが要らなければネットで用が足ります。できないからこそ、仏道がある。
私も仏道を求めて文字や言葉、概念や思考を捨てて自分なりに結論を出すことができました。それが仏道の「確かな手ごたえ」なのです。これは各自がそれぞれ思い立った時に絶対に求めた方がよいのです。その方が今後の人生も有意義で恐れが減ります。根拠のないことを信じ込まされて「👼死んだらこうなるらしいから大丈夫だ」という人であれば幸せな人です。そうでなければ、きちんと仏道・仏法を求める。仏の教えの中でもきちんと手ごたえのある確かな救いのあるものを求めるべきなのです。
死の恐怖、死の苦しみとは、死が怖いのではありません。死は体験ができません。死といういまだ起こらざることを先に「想定」して、そのことに対してあれこれ尾ひれ根ひれをつけてそのありよう以上に苦しみの思いをおこして心を騒がせる。それが死の苦しみの実際です。死が怖いのではなく、死ということを思い起こして死ということをあれこれ想像して自分流な暗く、悪い思いを起こして心をいじめていることが死の恐怖、死の苦しみというものでしょう。
昨日寝た時に「寝た」という自覚がなかったように、死は死ぬまで死を経験や体感ができませんし、死を体感するということは生命が終われば体感ができません。
ですが、生きていた、生きてきた以上、周りの人たちとの関わり合いもあり、身勝手にいつ死んでもいいやという生き方は仏教的ではありません。責任をもって世界という大きな水槽の中で互いに関わり合っている以上、共存しているすべての人たちが安らかになれるような心を共有し合って生きていくことが人間の本来の務めというものです。
死の恐怖の乗り越えるには菩提心・求道心をおこして、仏教業界の正師といわれる悟りの内容をきちんと明らかにされた老師の教えを学ぶことです。
瘦せてない人のダイエット本に効果はありませんし、実力のない人の指導書を読んでも力はつきません。
真剣に求めればちゃんと答えが得られます。

2021年8月26日 16:59
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

どうもありがとうございました

「死ぬのが怖い・死恐怖症にお坊さん知恵袋」問答一覧

親離れと親の死に対する恐怖心

通勤時間短縮や自立した生活をするために、数年前から一人暮らしをしている30代女性です。 両親とは仲が良いこと、実家も県内にあることから、月一回は帰省しているのですが、ここ最近、一人暮らしの家に帰る度に、寂しさと悲しさが込み上げてきます。 たまに、両親が一人暮らしの家まで送ってくれることがあるのですが、良い歳した大人が別れた後に泣いてしまうのです。 ひどい時は、車中で泣いてしまうことがあります(泣くと親を心配させるので、こっそり泣いています)。 また、両親に持病があることや、ここ数年で他の親族の死を何度か経験したことから、いつか来る両親の死のことを考えてしまうことが増えてしまいました。 命あるもの、必ず死が来ることは分かっているつもりですが、両親が亡くなったら、私はメンタルが保てないのではないかと、すでに恐怖を感じています。 実家から帰省後、悲しくなって泣いてしまうのは、親離れができていないせいだと思っているのですが、親離れをするためにはどうしたら良いでしょうか?やはり、帰省回数を減らす事が得策になるのでしょうか? また、いつかくる両親の死に対する恐怖にはどうしたら打ち勝つことができるのでしょうか? どうか、ご助言をいただけないでしょうか。

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大切な人を失うことへの恐れ

昨年10月に父を膵臓癌で亡くしました。 亡くなってすぐの頃は、早すぎる別れに落ち込み、辛い日々が続きました。 しかし、母や兄、夫の支えもあり、悲しみに暮れる日々は時間の経過と共に少しずつ減ってきました。 もちろん、今も生きていてくれたらなあと思うことは多々ありますし ふと思い出しては泣くこともありますが…。 8月の初盆を終えて、父の死の悲しみと共に生きていく覚悟が出来ました。 しかし、初盆を終えたあたりから いずれは、支えてくれた母、健在の祖父母も父と同じように亡くなってしまうのだなと考えるようになりました。 母は現在、実家で1人で暮らしています。 母も10年前に癌を患い、その後2回再発していますが、幸いなことに寛解しています。 私は昔から母親が大好きでした。 父が亡くなった時も母がいたから前向きに人生生きていこうと思えたのです。 しかし、人はいずれ亡くなります。 母親もいつ癌が再発してしまうか分かりません。 一度考え出すと、亡くなってしまう恐怖が心を支配し落ち着かなくなります。 起こってもいないことが不安でしょうがないのです。 夫には起こってないことを考えてもしょうがないと言われその通りだと思います。 しかし、なかなか心の切り替えができないのです。 父を失い、そして母を失ってしまったらと考えると、怖くてたまりません。 もちろん夫も大切ですが 両親は夫とは少し立場が違う気がします。 ここ最近は暇があれば もし母親の癌が再発したらどうしよう、と考えています。 この無駄な妄想をやめるためには どうしたらいいのでしょうか?

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死にたいと思いながら死ぬのが怖い

はじめまして。 どうしても苦しく、初めて投稿いたします。 中学生頃からずっと希死念慮があり、早く死にたいと思っていました。 大人なり愛する人に出会って、生きていたいと思うことが増えたのですが、それでも些細なことでやはり私は生きていてはいけない人間なのでは、と考えてしまいます。 死にたいと考えることで、夫に辛い思いをさせてしまう。夫に辛い思いをさせる私なんて要らないのでは、と矛盾した思いの堂々巡りになってしまいます。 そして、今年がん検診に引っかかり前がん段階で手術を受けました。現在は病理検査待ちですが、死にたいと思っていながら、いざ実際に死の可能性が目の前に来た時、最初に思ったことは「怖い」でした。 なんて弱くずるい人間なのでしょうか。 夫は癌になっていても、一緒に頑張ろうと言ってくれましたが、不安な気持ちはなくならず、意味もなく泣いたり八つ当たりをしてしまったり、毎日生きることが苦しいのです。 このようにままならない気持ちをどうしたらいいのでしょうか。 そしてこのままたとえ死んだとして、こんな私ではお釈迦様でもお許しくださらないまま、本当に無価値になってしまうのではないかと恐ろしいです。 まとまりのない文章になってしまい申し訳ございません。 このような場をいただけたこと、感謝いたします。

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過去と幸せな今について

はじめまして 私は、事情があり20年以上毎日が死にたい気持ちとの戦いでした。 あと一歩で自殺していたであろうタイミングが何度もありました。 しかし、自身の病気や手術、環境の変化や出会いなど様々な大きな変化がここ数年で起こり、ようやく死にたいと考えることがなくなりました。 それどころか、毎日が楽しくて幸せだと感じます。 食事は美味しく、友人と話せることも仕事も趣味もこんなに楽しい事だったのかと、大げさではなく生まれ変わったような気持ちです。 2か月後には夢だった業界への転職も決定しています。 ところが同時に、自分が死ぬんじゃないかという恐怖があります。 幸せだからこそ、なんとなくもっと悪い事が待っている気がして怖いです。 やっと自殺願望から抜け出せたのだから、もっと楽しみたいです。 明日死ぬかもしれないと思って生きろと言いますが、もしそうなったらと毎日焦りのようなものもあります。 時々襲ってくる、この不安や恐怖について自分はどう向き合えばよいでしょうか? どう幸せを受け入れれば良いでしょうか? 何かアドバイスやこれからの人生において心の支えになるようなお言葉を頂けたらと思います。 よろしくお願いいたします

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死ぬのが怖い

こんにちは、拙い文章だとは思いますが読んでいただけたら幸いです。 私はよく死んだらどうなってしまうのかを考えてしまいます。自分がなくなるのが怖い、死ぬのが怖いと思い涙が止まらなくなります。体も重いです。 最初に一番悩んだのは高校2年生の時、死ぬことや自分が存在するということを考えすぎてご飯も食べられなくなりあまり眠れませんでした。母親の前で大号泣しなんとか克服したのを覚えています。そこからは、たまに死んだらどうなるのかが頭をよぎることはありましたが、なんとか考えないようにしてきました。 そして今、24歳になる私ですが、ここにきてまたこの思考を止められなくなりました。というよりも止めてしまうことが怖いのかもしれません。前ほどではありませんが寝つきが悪くなり睡眠時間も短くなり仕事に集中できない日が続いています。涙も止まりません。 ネットで色々見て自分以外にも考えている人がいると安堵する気持ちとそこからまた他人がいる、思考している、とどんどん自分が存在していること、なくなったらどうなるのかと結びつけて怖くなってしまいます。 生まれ変わりや幽霊はいるなど信じていないわけではないですが、もし生まれ変わりがあったとしてもその思考が自分ではない(現に私は前世の記憶はありません)と考えてしまい、励ましてもらってもうまく消化できないでいます。 それでも自分の中だけでは苦しくなるだけなので相談してみました。皆様のお考え等を教えていただいきたいです。

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自分の死を受け入れて生きる事は可能か

お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。

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初めてこのサイトで質問をする中学生です。 私は幼い頃、意味もなく虫を殺してしまったことがあります。また、人からお借りしたものを無くしてしまったこともあります。そのことを深く後悔し、捕まえた虫は逃し、精一杯人に親切にするように心がけていますが、今も毎日歩くたびに、手を洗うたびに、息をするたびに、たくさんの微生物を殺し、食事のたびにたくさんの動物の命をいただいて生きています。人に悲しい思いをさせてしまうこともあります。 最近、こんな自分が世界一の悪人であるように思え、命を脅かされることもなく幸せに暮らしていることが心苦しくて仕方なくなりました。すると、死後に罰を受けないはずが無いと思い、何をしていても死の恐怖が頭から離れなくなってしまいました。今この瞬間も生き物を殺してしまっているのだと思うと、心臓がバクバクして、辛くてたまらなくなります。それでも、罰を受けたく無い、死にたくないと思ってしまいます。幸せを実感するたびに、申し訳なさと、死の恐怖で頭がいっぱいになります。自分勝手なことだとわかっていますが、死後もずっと今のように家族や友達と笑い合って、今のように平穏で幸せな暮らしをしたいと思ってしまいます。死によって今の幸せに終わりが来るのが怖いです。 私はやはり地獄へ行くのでしょうか。死んだら、もう二度と大切な人たちと暮らせないのでしょうか。めちゃくちゃな文章でごめんなさい。回答をいただけると幸いです。

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死ぬために死恐怖症を治したい

お世話になっております。 久しぶりに相談します。 突然ですが死にたいです。 でも怖くて踏み出せません。 人間の生理的なものなので「死にたくない」と思うのは仕方のないこととわかっていますが 『今この曲がり角で刃物を持っている人に遭遇したら刺されるな』とか 『地震でマンションの上の階が落ちてきたらつぶされて死ぬな』とか 『通勤ですれ違ってる人に何かをしてしまって恨まれて殺されてしまうな』とか 常にありもしない妄想で不安になって死ぬのが怖いです。 これを死恐怖症と呼ぶらしいのですが、この症状なのかなと最近思っております。 なぜ死にたいかというと人生に疲れたというか。 私の様子を聞くと、きっと多くの人が「え、そんなことで!」と驚かれるのでしょうが もう、しんどいんで若いうちに人生終わらせたいです。 プライドが高いせいか、思うように人生が進まず『なぜ?』と 劣等感にさいなまれることが多くしんどいです。 知り合いに『今の状態がメリットがあるから無意識にそのように生きている。 そのメリットを享受しているのにデメリットを嘆くのはおかしい』と指摘され、 なんだかもう難しいことは考えたくないし、 死んで困ることはないのでもう生きてる意味もないかなと漠然に考えてます。 そんな時に『死にたくない』を乗り越えれればいつでも死ねるなとふと思いまして。 死ぬための方法はネットを漁ればいくらでも出てきますが、 死を克服するための方法はほとんど出てきません。 死を受け入れる、もしくはその恐怖を克服する方法は何かありませんか? 教えていただけますと幸いです。

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