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死に対する恐怖、心を強くするには

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有り難し有り難し 11

昔から、事件や事故に巻き込まれることに対する恐怖が人一倍強い気がしています。新型コロナ、無差別殺傷事件、残忍な事件や事故、世界情勢のニュースを見ていると、いつか自分や大切な家族が巻き込まれたらどうしようと不安でたまりません。家にずっといれば安全かもしれない、どこにも行きたくないという気持ちになる日も多いです。起きてもいないことに不安になって今の時間を無駄にするのは良くないと頭ではよく分かっているのですが、不安になるとそればかり考えてしまいます。

また最近はそういった不安から、夫が先に死んでしまったらどうしようとよく考えるようになってしまいました。私がくじけそうになったときにいつも隣で支えてくれた夫を失うのは私の人生で一番つらいことです。夫に先立たれるのもつらいし、夫を残して一人ぼっちにしてしまうこともつらいです。

死に対する恐怖に打ち勝つにはどうすれば良いでしょうか。また心を強くするにはどのようなことが効果的でしょうか。乱文となり申し訳ございません。よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死は終わりではありません

拝読させて頂きました。あなたが死を恐れ自分や大切な家族のことを思うと不安でたまらなくなってしまうこと読ませて頂きました。あなたのお気持ちとてもよくわかります。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
私も若い頃から死の恐怖に怯えながら生活しておりました。ある時は何もできなくなってしまい病院通いでした。今でも死は不安にもなりますし怖い気持ちもあります。

私達は生きものですから必ずその天寿を全うする時が参ります。ただその時は誰にもわからないのです。そもそも私達の生命は様々な方々やものごととのご縁の中で与えられ育まれていくものですからね。私達の肉体や生命も恵まれ与えられたものなのですからね。その生命や肉体には限りがあるものです。
とはいえ死は決して終わりではありません。私達は死を迎えた時に仏様がお迎え下さり先に往かれた親しい方々やご先祖様方が優しくお迎えなさって下さいます。そして一切の悩みや不安や迷いからも救われていきます。仏様やご先祖様方のもと心から安らかに穏やかになっていくのです。そして親しい方々と共に清らかに円満にご成仏させて頂くのです。
それからご先祖様方と一緒に皆さんを優しく見守り続けていくのです。ですからそのご縁は決して終わりではありませんし切れません、これからもそのご縁はずっと永遠に続いていくのです。
ですから死は一通過点なのです。死によって終わるわけでもなく無くなってしまうわけではありませんからね。どうか安心なさって下さい。そしてこれからもあなたをそしてご家族の皆さんとのご縁を大切になさって下さいね。
あなたがこれからも親しい方々やご家族の皆さんとのご縁を大切になさりながら皆さんと共に仲良く心から幸せに生き抜いていかれますようにと切に仏様やご先祖様方にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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生を明らめ、死を明らめるのが禅の修行。

お釈迦さまも祖師たちもみんな死がこわかったのです。
だから、死の苦しみから逃れるための道をもとめました。
そして、自分の本当の姿を明らかにされて(悟・得法)死の恐怖を克服されました。
あなたもそれを求めるべきです。
言葉やポチや一読でわかることではないと思います。
その為に存在するのが仏教・仏道・修行というものです。それが要らなければネットで用が足ります。できないからこそ、仏道がある。
私も仏道を求めて文字や言葉、概念や思考を捨てて自分なりに結論を出すことができました。それが仏道の「確かな手ごたえ」なのです。これは各自がそれぞれ思い立った時に絶対に求めた方がよいのです。その方が今後の人生も有意義で恐れが減ります。根拠のないことを信じ込まされて「👼死んだらこうなるらしいから大丈夫だ」という人であれば幸せな人です。そうでなければ、きちんと仏道・仏法を求める。仏の教えの中でもきちんと手ごたえのある確かな救いのあるものを求めるべきなのです。
死の恐怖、死の苦しみとは、死が怖いのではありません。死は体験ができません。死といういまだ起こらざることを先に「想定」して、そのことに対してあれこれ尾ひれ根ひれをつけてそのありよう以上に苦しみの思いをおこして心を騒がせる。それが死の苦しみの実際です。死が怖いのではなく、死ということを思い起こして死ということをあれこれ想像して自分流な暗く、悪い思いを起こして心をいじめていることが死の恐怖、死の苦しみというものでしょう。
昨日寝た時に「寝た」という自覚がなかったように、死は死ぬまで死を経験や体感ができませんし、死を体感するということは生命が終われば体感ができません。
ですが、生きていた、生きてきた以上、周りの人たちとの関わり合いもあり、身勝手にいつ死んでもいいやという生き方は仏教的ではありません。責任をもって世界という大きな水槽の中で互いに関わり合っている以上、共存しているすべての人たちが安らかになれるような心を共有し合って生きていくことが人間の本来の務めというものです。
死の恐怖の乗り越えるには菩提心・求道心をおこして、仏教業界の正師といわれる悟りの内容をきちんと明らかにされた老師の教えを学ぶことです。
瘦せてない人のダイエット本に効果はありませんし、実力のない人の指導書を読んでも力はつきません。
真剣に求めればちゃんと答えが得られます。

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おきもち

質問者からのお礼

どうもありがとうございました

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