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子供の頃にいじめをしてしまった。

回答数回答 2
有り難し有り難し 28

私は小学校3年生まで、人の気持ちが考えられなくて怒りっぽい子供でした。
身体的な特徴をからかったり、友達が嫌がっているのにわがままを言って泣かせてしまったりしていました。
逆に私がからかわれた時は相手に暴言を吐いて10倍返ししてしまった事もありました。
大きくなるにつれて人の痛みがわかるようになり、言わなくなりましたが当時傷つけてしまった人に対してとても申し訳ない気持ちでたくさんです。
その方の親の気持ちになったら最愛の子供がいじめられるなんて怒りでいっぱいなのもその当時は考えられてませんでした。
あと母親に迷惑かけてしまった事も
いつも後悔しています。
特に街中で子供を見ると心が痛くなります。
傷つけた人が今もトラウマで苦しんでないか不安です。
本当に謝りたいけど転勤族だったので昔の同級生とは繋がりが一切ないので出来ないです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その時なりの「人の痛み」「人の気持ち」があったはず

こんにちは。

ご相談の前提として、文中にある行為が「いじめ」なのかどうか、が第三者の目から見たとき判然としません。ここに書かれていない背景があるのかもしれません。

そもそも「小学校3年生」までというと、まだ右も左も分からない子供です。
「わがままを言って泣かせ」た、「からかわれた時は相手に暴言を吐いて10倍返しし」たということは子供には良くあることです。自分の思いを無理にでも通そうとしたり、過剰に反撃したりもままあることです。

しかし、これを「いじめ」と言うべきか、と考えると素直に首肯できません。
一対多であったり、特定の子に執拗に繰り返して悪意を持って接したのでなければ「いじめ」とは呼ばず、子供同士のぶつかり合い、コミュニケーションを学ぶ途上にあった出来事というべきだと思います。

そもそも、あなたが今気が付いていることは、大人になってからの結果論です。

「人の気持ちが考えられなくて怒りっぽ」かったという自覚も、
「暴言を吐いて10倍返ししてしまった」という客観的視点も、
「人の痛み」というものの存在も、
「迷惑かけてしまった」という道義的な観点もです。

結果論の注意すべきところは、終わりなき自己批判の沼に入り込んでしまうことです。ありていに言えば、過去のことは何とでもいえるのです。ましてや、成人の立場で未成年の10歳にも満たない子の行いを責めるというのは、あまりに酷なことです。

あなたは、過去のことと結び付けて「街中で子供を見ると心が痛くなります」と書いています。あなたは、「人の痛み」「人の気持ち」が分かるからこそ、今、他者に対して、他の子供に対して傷つけるようなことは言わないでしょう。

しかし、あなたは唯一「人の痛み」「人の気持ち」をよく考えていない対象があります。それは、幼き頃の自分です。当時は当時なりで「からかわれ」て嫌だなと思ったり、感情が爆発せざるを得ない時もあったのではないですか。その時は、その時なりの「人の痛み」「人の気持ち」があったはずです。それを責めるべきですか。人を傷つけることはもうしたくない、でも自分には今もしている、のでは。

文面だけで判断すれば、過去の行いは「いじめ」ではありません。
そして、いまあなたがプライドの高さから過去をなかったものにしたいと考えているのではない限り、過去のことは放念するべきです(字数制限)

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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悟りは分かるということ

アルメリアさん、はじめまして。質問を拝読しました。

アルメリアさんは、小学3年生まで人をからかったりして傷つけたり、お母様に迷惑を掛けたりしていたことがあったのですね。そして、傷つけてしまった人がトラウマになっていないか気になるのですね。

アルメリアさんは大切なことに気がついたことを認識しているでしょうか。

人を言葉で攻撃することで傷つけたり、トラウマにさせたりしまうことがあることを。

仏教では、したかどうかも分からないことも含めて懺悔します。そして、新たな一歩を踏み出しなさいと説きます。

アルメリアさんは人を傷つけてしまったことに気がついて懺悔しておられます。自分がしたことを分かることは悟るということです。
これからは同じあやまちを繰り返さないように歩いて行くのが仏教的な生き方です。

アルメリアさんが仏教的な生き方をすることは、過去の過ちに対する謝罪にもなるのです。

アルメリアさんが仏教的に一歩を踏み出せるよう祈念しております。

合掌

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おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
とても大切な事を教えてくださりありがとうございます。
被害者の気持ちについて考える事はあっても、子供の頃の自分の気持ちを考える事ができていなかった事に気づきませんでした。
人を傷つけてしまった過去は事実ですが、これからは傷つけた分以上に人に幸せを与える人生にしたいです。
人にも自分にも優しく生きていこうと思います。
本当にありがとうございました。

回答ありがとうございます。
人を傷つけた過去は消せないけど、教えていただいた仏教的な生き方でこれからは過去を反省し次は人の傷を癒し、優しくできる人生にしたいです。
本当にありがとうございました。

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