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新興宗教の勧誘の断り方は?

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昔から宗教に興味があったので、キリスト系・仏教系問わず、新興宗教でも縁があった時は、資料を受け取ったり、話を聴いたりしていました。
しかし、いずれの宗派も絶対的な確信を持つことは出来ないので、入信することはありませんでした。
その中で、昔からの友人が「あなたを救いたい、あなたのために24時間勤行をする」などと親切心で熱心に勧誘しています。「その気は無い」と断りつつも20年になります。(最近は年に数回程度ですが)

そして、数年前、主人の余命宣告を受けた時、私としては人生の中で一番宗教を求めていました。しかしながら、その数ヵ月間はまったく連絡がありませんでした。

その事から、最近は「私が一番必要としていた時期に縁が無かったのだから、あなたの宗教に入ることは絶対にあり得ない。」と明確に何度も伝えています。
「勧誘であれば、話をすることは無い。勧誘の話は聞きたくない。勧誘の電話はしないで」ということも何度も伝えています。

それでも、「そろそろわかってくれた?入信する気になった?」と連絡して来ます。

その友人と同じ仲間が他に数人いますが、熱心に勧誘されているのは私だけです。他の友人たちは最初の頃に断っているためにその後は勧誘していないようです。

できることならば、他の友人のように勧誘を止めてくれたならば、その友人が企画する同窓会にも参加したいのですが、私の顔を見れば執拗に勧誘をするので参加できませんし、他の友人たちとも疎遠になってしまってます。

今まで「宗教に興味がある」という態度をしていた私の責任でもありますが、20年かかりましたが、「入信しない」という結論が出たので、それで納得して欲しいのです。

20年分の期待感があるので、宗教抜きの友人関係は無理なのでしょうか?
その子が中心の他の仲間たちとの関係も含めて、バッサリと縁を切るべきなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

肉屋に「八百屋になれ」とか言うなっていう話でしょう

私はいつもこのように断っています。
「魚屋は魚屋でイイんだよ。オマエのやっていることは魚屋に肉屋になれとか、八百屋になれといっているようなもんだ。そばには蕎麦の良さ、うどんには饂飩の良さがあって、それで十分オイシイ=救われているのになんでわざわざラーメンを押し付けてくるような真似するのか。それはお前自身が本当の宗教を知らないからだよ。何故なら、❝この宗教でなきゃ救われない❞❝ほかの宗教は一切認めない❞なんていうアブナい狭い考え方や排他的な精神自体がいかに❝宗教的でない❞アブナイ教えであるか、ということを自分で言っていることにさえ気づかないのか?それに気づけないくらい、オマエは世界観が狭いし自分たちを客観的に見る力がないのだ。」
本当に満ち足りている人は、何かをわざわざ義務的に拝んでよりどころとする必要がありませんし、本来お釈迦様も❝拝まれる❞的なものではなかったはずです。
禅を究めた道元も「私の死後、この教えを禅とか曹洞宗などというな」と喝破されています。それが宗教の究極である私は思っています。
つまりラーメンでたとえると、究極のラーメンとは、麺とツユでウマい!ということであって、ウマいということには絶対にこの麺とこのスープでなけりゃイカン、などという押しつけがましい事もないのが本来の宗教(調理)というものです。
さらにラーメン(宗教)とは所詮、料理ということであって、それを食べる人間側のほうが料理・宗教よりも大事な本体であるにもかかわらず、このラーメン(この宗教)こそすべてだ!!とか押し付けてくる人間は、本体であるこっち(人間)を度外視した盲信状態。頭が…、イエ、考え方がおかしいと私は思います。
私は友達づきあいを私がやめた人がいます。
彼はあるモノにハマるまでは、まともだったのですが、あるモノに入信して以来、立場で接してくるようになりました。
宗教の前に、ビジネスの前に、立場の前に、人間が先でしょう。
しつこい勧誘の宗教の本質はビジネスです。献金という名の高額受講料を払って新興宗教の講座を受けているようなものです。
そんなものに頼らんでも人生幸せに暮らしてきたでしょう。それでいいのです。
あなたはあなた、わたしはわたし、を尊重するのが本当の宗教でしょう。

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普通の顔をして

すっぴんさん、こんにちは。

20年とは長いお付き合いですね。途中、連絡がなかったものの、20年。長いです。
そして、“そのご友人”はあなたと見ると執拗に勧誘をするとのこと。

すっぴんさんは「入信しない」という結論が出たので、納得して欲しい。
かつ、宗教抜きの“そのご友人”との友人関係は無理なのか。
その子が中心の他の仲間たちとの関係も含めて、バッサリと縁を切るべきなのでしょうか?

悩んでしまいますね。

さて、私事で恐縮ですが、お寺には色々な勧誘がやってきます。電話でも、訪問でも。
向こうさんは「普通の顔をして」ご来寺されます。
何度も断っても、「普通の顔をして」やってきます。
『この辺りの担当になりました(知らんがな)、御住職いらっしゃいますか?(まず名乗りなさい)、おいしいミカンのご案内です(頼んでません)・・・etc.』

たまにですが、向こうさんに期待感を持たせてしまうこともあります。

でも、関係ないようです。期待感は。
そして、向こうさんは、こっちの都合なんてお構いなし。向こうさんの都合で、勝手に声をかけてくるだけ。
そのため「普通の顔」という面をかぶった“そのご友人”には、あなたの言葉は届きません。

宗教ぬきにしたお付き合いも出来ません。残念ながら。
その子が中心の他の仲間たち、とのお付き合いも・・・。

20年分の期待感を、罪悪感に変えて、あなたが背負うことは無い。
「普通の顔」をして、あなたも断りつづけましょう。

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おきもち

臨済宗妙心寺派 陽岳寺 住職 1985年生まれ。 東京都江東区深川出身・...
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心にしっかりとした軸を持ちましょう

こんにちは。ご相談拝読させて頂きました。

20年間断りながらも、自分の心が辛かった時に勧誘が来なかった事を少々不満に思っているご様子ですね。

これは貴女自身が生きる上で心にしっかりとした軸が無いからではないかと思います。

軸は自信を持って生きて行く信条とでも申しましょうか。

その軸を必ずしも宗教でとは申しません。貴女が自信を持って生きて行ける信条が有るのであればのであればそれでいいのです。
軸がしっかりしていれば、必要以上に新興宗教の勧誘がつきまとう事も無いでしょう。

実は私も有髪なので新興宗教の勧誘に会った事があります。
その新興宗教の言うには「人間は生まれながらのカルマが多くて決して幸せにはなれないけど、この信仰宗教に入ればそれを消滅させる方法が出来る。つまり信仰宗教に入ってさらに新興宗教の入信者を増やせば、その事の徳によってカルマが消える。それがたった一つのカルマを消す方法で、それをしないと幸せになれないし不幸が来る。」とのことでした。

だから彼女らも幸せになりたい、不幸になりたくないの思いで必至に攻めてきますよね。

(もちろん、そんな都合の良いカルマなんて無いですよ。
もしこの世にカルマと呼べるものが有るとすれば、
それは自分で作ったもので、自分でしか解消出来ないでしょう。
人にどうこうして解消出来るものなんて無いんですよ。)

私は勧誘して来た人に、「それでは、貴女は本当に幸せになれたの?何か素敵な奇跡があったら話てみて。」と、どんな奇跡を話してくれるかと聞いていたら、何も話さず何と涙目になってうつむいてしまいました。

勧誘に来る彼女達も悩み苦しむ泥沼の渦中の人たちなのです。

苦しみの泥沼から自分が助かりたくて近くにいる人の足を捕まえて中に引きずり込もうとする感じが新興宗教の勧誘と言えるのかもしれないと思います。

泥沼に引きずり込まれないためにも、自分がしっかりとした軸を持って生きるという事が大事ではないかと思います。

泥沼の外と中ではお付き合いは恐らく難しいと思いますよ。

合掌

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仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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私の場合。

マルチ商法、私も学生のころからの同級生に誘われました。
宗教の勧誘しつこくてイヤ。けど寂しいので私にかまってくれる人を失うのは怖い。どうすればいい?
と相談を受けたり、いろいろありました。

「宗教以外の用件なら連絡して」
そう言って、相手がどう反応するか。

宗教は宗教と別にして、関係が継続するなら大切にする価値はあると思います。
ぷっつり、縁が切れたならそれはそこまでの関係だと思います。

ひとつの目安になればと思います。

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泰庵  一法
「変えるべきは自身ではなく歩む方向」「時間とお金の使い方」「向きが変われば...
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新興宗教に関して

すっぴん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

新興宗教でも千差万別にて、一概に全てが悪いというものではなくて、ただ問題となるのが、カルト、それも破壊的カルトの場合となります。

いずれにしても、すっぴん様は、「入信しない」という結論が既に出ておられるので、しっかりと更に意思表示されて強く断られるべきでしょうし、あまりに迷惑に、その方が相手のことを思い遣れない人のようであれば、少しずつでも関係性をフェードアウトさせていくのも一つかとも存じます。

以下は、新興宗教に関しての過去問での拙回答となりますが、すっぴん様は既にしっかりとご自身にて色々と検証されておられるご様子にて、誠に良いことであるかと存じております。

問い「無宗教の私と新興宗教信者の彼との結婚」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_325515.html

「宗教への態度」と題して回答させて頂いております。

『・・特にその新興宗教が破壊的なカルトなどで実害が生じない限りは、義理的な付き合いとしても構わないかとは存じますが、大いに疑問・疑念のある中で入信して様々な行事やイベントに参加していても、何も効果的な利益(りやく)は得られないのではないかとは存じます。・・』

問い「新興宗教をやっている夫。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002973021.html

『・・盲目的・妄信的・狂信的な信仰は誠に危険でございます。このことは、仏教、宗教・信仰について携わらせて頂いている者と致しましても十分に気をつけなければならないと存じております。そのため、拙生自身も、仏教の学びにおきましては、できるだけ批判的・合理的に検証を繰り返すことに努めて参りたいと考えている次第でございます。・・』

とにかく、新興であろうがなかろうが、宗教に対しての態度は常に批判的・合理的に検証を繰り返すことが大切であるかと存じております。

また、下記問いも少しご参照下さいませ。

問い「師を探すには」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002848305.html

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

法昌さま、向井 真人さま、回答頂きありがとうございます。
「泥沼の外と中ではお付き合いは恐らく難しいと思いますよ。」そして、「宗教ぬきにしたお付き合いも出来ません。残念ながら。 」の回答に納得しました。
考えてみれば、「宗教に興味があった」というよりは、「何故、そこまで盲信できるのか」っていうことに興味があったように思います。「軸が無い」というよりは、盲信できる何かがあれば、強すぎる自分軸だけでなく、謙虚・感謝などを身に付けられるかもしれないという期待があったように思います。

そして、結論として「人間は一人では生きられないけれど、私は死などの恐怖にもそれほど動揺しない強さがある」という確信を持ちました。

今後も、今まで同様に「宗教に関することであれば連絡しないで欲しい」と普通の顔で断り続けたいと思います。ありがとうございました。

泰庵さま、丹下 覚元さま、回答ありがとうございます。
「宗教と仕事と健康食品の押し売りは友人同士ではNG」なるほどですね。
私自身、それほど友人付き合いを大切にする方ではないので、「連絡をしてくる数少ない友人」の縁を切ることに若干の抵抗がありましたが、「縁が切れた時は切れた時」で構わないという気がして来ました。
ありがとうございます。

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