過去の仕事での過ちについて
私は現在社会人として働いている者です。
今は真面目に働きミスなどをしたときも怒られたら自分が悪いんだから仕方ないと思い必ず報告するようにしています。
ですが、昔の私はそうではなく過去に経験した会社、今の会社でもですが、臆病で怒られたくない、周りの評価を下げたくないという気持ちが大きく自分のミスなのに他人のせいにしたり、お客さんの物を傷つけた時も誰も見てないし大丈夫だろうという考えでそのままお渡ししたりしてました。
そういった過去に行った過ちの数々をときどき思い出しては何であんなことをしてしまったんだろうと思ってしまいます。
こんな私がこの先普通に社会人としてやっていけるのでしょうか?
ご回答よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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気づくことが成長の証であるのです。
ここで今、懺悔を行なっておられ、これからシロマルさんが自ら悪因となる仕事での行い(業)、人生での生き様に善因を起こしていくことに慣れていけばいいのです。
はじめから成立な人は誰もいません。わたしも若いときはそうでしたよ。雑も雑で、楽をするにはどうすれば?なんて考えていたことは多々あります。
時が経過し、振り返れば、至るところは「誰かが責任を取り、他人に迷惑がかかる事に繋がっているんだなと気づき、これからは変えていこう。」と思うことから人生は変化を伴います。
人間の根底にあるものは、とても清らかな清浄心をもっており、悪を起こせば心に不安や内傷を負うといった因果応報へと繋がることを知っていきます。そう自身で気づくことが成長への大きなキッカケであるので、過ぎたことは過ぎたこととして捉え、これから多くの出来事の中で、悪が出そうなときは、善の心を起こしていく心がけをすることで、経験値と変化していきます。
勧善懲悪の心は誰ももっているものです。
「苦難の中では人は磨かれるが、安逸の中では人は堕落していく」ことを知るのと、知らないのでは人生に大きな差が生じます。
ミスを分かっていても「まあ、いいや」と済ませている人は、成長を止めるどころか心に煩悩をどんどん増加させるだけであり、シロマルさんのように「気づく」ということが何よりも大切です。
周囲に合わせることなく、シロマルさんが先導できる人間へと成ってください。
どんどんこれから良くなっていきますので。
合掌