ハスノハの皆様に感謝
非童而蒙と申します。いつも拝見しています。
多くの様々な悩みや質問に真摯に答えられているお坊様方のお言葉に触れて、とても温かな気持ちになります。たくさんのお坊様方の生きたお言葉に感謝致します。
また、相談者の方々が疑問や悩みを打ち明けること自体も、私のような他人にも学んだり考えたりする機会をくださる大変ありがたいことだと思います。相談者の方々にも同様に感謝致します。
仏教やハスノハの皆様、相談者の方も含めて皆様方とのご縁に感謝いたします。
このハスノハの場全体に、仏教のありがたさを感じる気がします。頭の中に「善哉~善哉~」と美しい調べが流れてくるようです。
感に堪えず投稿致しました。乱文平にお許しください。コロナもあり難しい時期が続きますが、どなた様も健やかにあられますように。
色々知りたがりすぎるかも。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
有難いお言葉に感謝申し上げます
有難い言葉を読み、たいへんうれしく思っております。回答僧の一人として、感謝申し上げます。
私は曹洞宗の僧侶ですが、曹洞宗では『修証義』というお経をよくお唱えします。其の一節に「面いて愛語を聞くは面を喜ばしめ、心を楽しくす、面わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず」という言葉があります。非童而蒙様からの言葉は回答僧にとっての愛語であり、大きな励みとなります。
質問も多岐にわたっており、人其々の生き方、信仰、感情、思想、人間関係等に違いがあることをあらためて認識することも多いです。皆様の質問から多くの学びをいただいております。本人にとっては切実な悩みであっても、身勝手さや甘えが感じられる場合もあります。時には厳しく時には寄り添うように、硬軟を上手く使い分け、少しでも「心の闇」を取り払ってあげられれば良いのですが、現実は厳しいです。反発失望された場合も少なくありません。私の力の至らなさを痛感することも多いです。
そういう意味では、他の回答僧の回答から学びをいただくことも多いです。回答僧も多種多様な人間がおります。其々の修行、学び、体験は異なります。「私には回答できないな。」と思う質問もたくさんありますし、何とか答えたいと思っても時間的に無理な場合もあります。質問から悩みをどう分析し対応するか、質問者にどう寄り添うか、他の回答僧の方々から学ばせていただいております。心から共感出来て納得できる回答も多いですが、違和感を感じたり疑問を感じたりする場合もあります。それも仏教と言うものの懐の深さであり、人間と言うものの裾野の広さであると受け留めるしかないと思います。
hasunohaという場を通して、自分のような者でも少しはお役に立てるこが出来てうれしく思っております。同時に、修行の至らなさ、学びの足りないことを痛感することも多々あります。非童而蒙様の御健勝をお祈り申し上げますと共に、この度の言葉を励みとして、精進いたしたいと存じます。
一問一縁
非童而蒙さま
東日本大震災から10年・・
あの震災がhasunoha誕生へのきっかけとなりました・・
hasunohaも来年で10年になるのですね・・
10年続ける、続くというのは大変なことです。
私も自分なりのペースですが当初から回答を続けることができました。有り難いことです。
しかし、無常迅速・・
いつまで回答できるかどうかはわかりませんが、一問一縁として取り組めればと考えております。
川口英俊 合掌
万人に伝わる法
仏教って特別なものではないし、崇高なものでもない。ごく当たり前、人としてのあり方ですから、求める人には伝わるはずだと思います。
相談があり、私達が回答することで多くの人の生きるヒントになると思っています。
相談者だけでなくそれを読む人にも伝わる内容がお届けできればと思っています。
感謝のお言葉ありがとうございます。
励みになります。
質問者からのお礼
川口英俊 様
お返事ありがとうございます。
東日本大震災時、私は高校生でしたが、あの時受けた衝撃は忘れません。今でも地震のことを思い出すと涙が出ます。
私も皆様には及びませんが、少しでも人々の幸せを祈りながら自分にできる努力をしていこうと思います。
邦元 様
お返事ありがとうございます。
"仏教は特別なものではない"とのお言葉を受けて、人の悩みを聞き、それに答えようとするのは利他行に他ならない…そして、人のアドバイスを聞いて変容できるのは、本来無自性だから…と考えました。謬見かもしれませんが、せめてものお礼と思い、書かせていただきました。ありがとうございました。
吉田俊英 様
『修証義』には「肝に銘じ魂に銘ず」とあるのですね!凄い。ありがたいお言葉だと思います。私もそのような心で人の言葉に向き合っていきたいと思います。
私の好きな『九條錫杖』冒頭に、「手に錫杖を執りて、当に衆生を願い、大施会を設けて、如実の道を示すべし」とありますが(誤読でしたら申し訳ないですが⋯)人々の悩みに寄り添い、真摯に答える。その営みが集まったこの場こそ「大施会」ではないかと思います。ありがとうございました。