hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

不安や怖さを乗り越えて質問するには

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

学校や仕事でわからないことがあると質問や相談をするのは当たり前のことだと思います。

私はそれができません。
質問をすると嫌な目にあうのじゃないかとネガティブな想像ばかりしてしまいます。
こんなこともわからないのかと怒られる/呆れられる
自分の無知無能さが周りにバレるのが怖い/恥ずかしい

わからないことを放置して時間が経って息が詰まるように苦しくなることも、分かっています。

それでも、後からさらに辛い思いが待っていると想像できても、質問した時の恐怖感で質問することができません。体が動きません。

なにか恐怖感を乗り越えられる術などは無いでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自己の過大評価に気付いてあげること。

拝読させていただきました、

自己の過大評価を無意識の内に高めてしまっていることが多くの人々が、自身を無知だからと勝手に決めつけていることに要因があるのです。

・ことわざでもありますように
「聞くはいっときの恥、聞かぬは一生の恥」とありますように、一年前も今も来年も、今の思いを留めてしまっては何歳になっても同じ結果を心に招いてしまいます。

自身の内にある不安の殻を打破る勇気をもつことはこの人生において一番怖いことです。
人々は日々戦っています。紛争・論争・戦争、喧嘩、殺し合いなども含めすべての戦いでは、相手と戦っているのではないのです。仏教観点からの答えでは、自身に打ち勝っていないということに値します。
いわゆる「克己心」ということです。

人生においての最大の敵とは、自身の内に潜んでいる不安というウイルスです。いわゆる煩悩であり、仏教でいう「三毒(貪・瞋・痴)」というものです。

1、貪(とん)= 貪欲(とんよく)
 いつまでも求めたり、欲する気持ち
2、瞋(じん)= 瞋恚(しんに)
 怒りです。
3、痴(ち)=愚痴(ぐち)
 決断力を下さない迷いから愚痴

 この三つに人は様々な後悔や失敗や自身に対しての不安の根源があるのです。

 他人の評価は気にするなといえど気にする現代でもあります。情報社会となったことからでもあります。しかし、自身の評価を高めることで、自身に勝手にプライドを高めることにより、周囲の目を一層高めていることにも気づくことが肝心です。

 人間には元々備わる承認欲求というものがあります。誰でもです。その承認欲求に対して“過ぎない“ということを心中に置くことです。
 私たち僧侶は仏様を念じ唱えます。これと同じように、「過ぎない!ほどほどに」ということを心の中で唱えることも、様々な貪瞋痴が発生しない一つの方法です。

タレントの明石家さんまさんはこのような名言があります。
『俺は、絶対落ち込まないのよ。落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。過大評価しているから、うまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん。』

必ず乗り越えられますので、少しずつ勇気の一歩を踏み出していく気持ちをもつことです。

合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

法源さん。
回答ありがとうございます。
1年経ちましたが不安の殻を破ることはできずにいます。
一歩踏み出すのに気力を使い果たし一進一退の毎日です。
少しでも前に進むことを意識していきたいです。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ