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面倒くさがりを直したいです

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しなければいけないことに向かうのが恐怖でしかありません。向き合えばそれなりに進むのですが、向き合うまでが恐ろしくて、ぎりぎりまで放っておいてしまいます。何かアドバイスがあればお願いします。このまままでは社会に出ても生きていくことができません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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リストUPを…。

そうですよ。しなければならない事に面と向かうのは大変な恐怖です。
私もよく漫画の〆切前に行動が凍り付いている事があります。^^;

でも、くろねこさん、向き合ったら行動は早いんではないですか?

私は人間には何か「やらねばならない事」をする時に、二通りのタイプがあるのではと思う事があります。

1、やるべき事をタイムテーブルを決めて少しずつ同速度で確実にこなすタイプ。

2、ギリギリまで手を付けず、心の中のポテンシャルをぐっと引き上げてから、最後にイッキに行動してこなすタイプ。

この大まかに分けた2つのタイプで…1の確実性も良いのですが2の爆発力も良いと思うのです。

くろねこさんは、もしかしてこの2のタイプかなって思ったりしています。

本来は自分の時間をどう使っても良いのでしょうけれども、しかし一般の会社では確かに非難を受ける可能性はあるかもしれないですね。

そして、その2のタイプを直さねば!…って思った時、今度はその「直さねば」の行動に2のタイプが働いてやはりギリギリまで動けない…という事もあるかもしれません。

さて、そういった場合でしたら…良い方法があります。

まず、自分がやらなければならない事を、凄く細かくリストアップして書き出します。
そして、「今」出来る事だけを選んで一生懸命やれば良いのです。
するとあら不思議、いつのまにか仕事は終わっている事が多いものですよ。

この方法は何も他の事を考えず、やるのがミソです。

くろねこさんにこの方法がマッチするかは解りませんが、
よろしかったら一度試してみてはいかがでしょうか?

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おきもち

仏道に入門して39年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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頼ったり、頼られたり

くろねこ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

恐怖や不安につきましては、これまでも下記のような各問いにてお答えをさせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_321055.html

その中では下記の問いの拙回答が少しく参考になるのではないかと存じております。

問い「仕事に対してできるか不安。何か言われてないか不安」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1003004269.html

『・・実は、「不安心」や「恐怖心」というものは、ほとんどが妄想によって、自分自身で大きく膨らませて尚一層に苦しんでしまっている可能性が高くあります。

問い「こちらの心が無くて、あちらの心が動くでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/380

そのため、まずは、一体、何が自分を不安とさせているのか、冷静にしっかりと物事を分析して観察してみる、検証してみることをお勧めさせて頂きます。

そして、次に、優先順位を定めて、一つ一つできることから徐々にやれることを増やして進めていければ、やがてそのような不安を少しずつでも無くしていけるのではないかと存じます。

もちろん、進めば進むほどに、更に不安なことも出てくるでしょうが、同様に、現実に即して対応していくことが大切となります。

周りの皆さんの助けや励ましもあるみたいですから、あまり気にし過ぎずに、甘えるところは甘えて、どうぞ一つ一つ着実に進めてみられて下さいませ。・・』

上記の優先順位を定めて一つ一つできることから徐々にやれることをというのは、悟東様のおっしゃられているリストアップの趣旨とも同じこととなります。

あとは、社会では何も自分一人だけで生きている、生きていけるわけではありません。多くの者たちによる支え合い、助け合い、分かち合いで成り立っている世界であるとの認識をしっかりと持つことで、助けられて、また時には助けて、支えられて、また時には支えてということにて、上手に頼ったり、頼られたりということを成されていかれるのが良いのではないかと存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

細かいリストアップ、まだ慣れませんが少しずつやり始めました。目の前の小さなことから逃げ出さないことに対する、良い訓練になりそうな気がしています。大きな壁という認識を捨て、小さな階段を一歩ずつ、一歩ずつ、マイペースを保って登っていくような心持ちで色々なことに向き合っていこうと思います。ありがとうございました。

「自分を・性格を変えたい・直したい」問答一覧

生きづらい悪い性格を良くしたいです

自分の悪い性格を変えたいです。 私は咄嗟に出た言葉で人に勘違いをさせて嫌な思いをさせてしまうことが多いです。私は傷つけるつもりで言ってなくても、言い方や表現が悪いせいで相手が傷ついてしまいます。 それだけでなく、わざと傷つけるような発言をしてしまうこともあります。これは私の性格が根本的に悪いことが原因だと思います。 子どもの頃から怒りっぽい性格で、イライラして暴れることもありました。それくらい性格がもともと悪いということです。 両親の仲がよくなかったことや、転校して不登校になったことも悪い性格の原因のような気もしますが、そういった辛い出来事がなくても、きっと根っからの悪い人間です。 数年前に気分障害になってからさらに性格が悪くなりました。 人のせいにすることも多くて、ネガティブな考え方ばかりして、すぐに怒って、愛情を持てません。自分の利益ばかり求めて、人のために何かをすることができません。 だから仏様はどうしようもない人間の私が人を傷つけないようにそばにいてくれているのだと思います。 穏やかで優しい人を見ると、うらやましくて、憧れと嫉妬もあって自分がとても惨めに感じます。良い人の周りには良い人が集まるという考えがあります。それならば私は悪い人間だから私の周りには誰もいないか、悪い人だけ集まるということなのでしょうか。 どうしたら穏やかで優しい人に変われるのでしょうか。仏教の勉強をしても、実践が難しくて、頑張っても悪い性格が治りません。 良い性格になるための教えがあったら教えていただきたいです。 わかりにくい文章でごめんなさい。 頭が悪いから、人に伝えるのが下手です。 まだ20代前半で、これから長いこと生きて行く可能性も高いのに、今のままでは生きていくことが辛いです。

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寄り添ってもらえなかった心

こんにちは。 いつもお世話になりありがとうございます。 季節の変わり目のせいか、自分が更年期も含めて不調なせいか、気持ちが落ち込む日が続いています。 ふと振り返ると、義理の両親との同居生活で辛かったとき、夫は仕事に集中していて私の苦労には無関心で寄り添ってくれませんでした。 孤独で責任感に押しつぶされそうでも他人事のようで、その姿に怒りや悲しみでいっぱいでした。 また実家の父が亡くなった時には、母は自分一人が悲しみのパニックに陥って、一緒に悲しみ苦しかった私を一度も気遣うこともなく、亡くなってからもそれは続き『共に』という考えはなく私には寄り添ってはくれませんでした。 いろんな悲しみや辛さを一人で心の中にしまいこみ、寄り添うべき相手から寄り添ってもらえなかったことが今でも深い傷になっています。 後になって相手に私の気持ちを打ち明けてみれば、一応形だけは反省する気持ちを見せてはくれますが、どうしてもその時の癒しにはなりません。 誰にも精神的な力になってもらえなかったことは、今生きていることへの無力感や虚しさにとても大きな影を落としている気がします。 どうしたら自分を立て直すことができるでしょうか? なにかお知恵をお貸しいただけたらと思います。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
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強すぎる規範意識に苦しんでいます。

神経質でルールに厳しいところがあり、グレーを許せない性格をしています。強迫性障害として現在は治療も受けているのですが、根本的に物事の捉え方を変えたいと思っています。 法律はもちろん、例えば「取扱説明書」に書いてある指示や、「利用規約」、会社の規定など、言葉に表されたルールや指示が存在すると、自分の行動がそれに反していないか、あるいは過去の行動がそれに反していなかったかと何度も言葉の解釈を検討したり人に聞いたり確認したりを繰り返してしまいます。 もちろん明らかな犯罪行為とか、他人に迷惑がかかるマナー違反などはやるべきではないと思いますし、ルールを守る意識があること自体はむしろ良いことだと思います。 しかし世の中、取扱説明書や利用規約は読まない人のほうがおそらく多いですし、はっきり言って商品の説明書の注意事項など、書いてあることを言葉通りに受け取って厳密に解釈・実行していたら、まともに生活ができなくなるんじゃないかと思うほどですよね。 とは思っているのに、「この充電の方法で合っているのか?」「この洗濯の仕方で良いのか?」などと細かく確認し、少しでも疑いがあるとやり直したり、厳密に正しいと言えるやり方に限定したり、どんどん生活が不自由になっています。(普通に考えて、ただのシャツを1枚ずつ個別に洗濯機で洗ったり、家で延長コードを全く使わなかったりする人なんてこの世にいるんでしょうか。) そして、誰かに迷惑がかかったり、事故が起きたりしたわけでもないのに、自分がとても悪いことをしているという意識に苛まれます。 最近は、数年前に知らずに法律違反を犯していた可能性があったことがきっかけで、知らない法律や規則があって、自分の行為は実は禁じられているのではないかなどと考え事をしたり調べごとをしたりする時間が増えました。 元々の性格もあるとは思いますが、少し前まではもっと大雑把な感じだったと思っていて、もう少し気楽に生きたいです。杓子定規により厳しい方に決まりや指示を解釈し、自分を縛るのをやめ、なんでもないことに罪の意識を感じたりしないようにしたいです。 治療も続けていますが、波はもちろんあるものの全体としてはあまり改善している印象がなく、考え方や物事の捉え方を変えたいです。もちろん医師にも相談はしますが。 何とか肩の力を抜いて生きられるアドバイスをいただけないでしょうか。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ