人生の行く末
母がいつ亡くなってもおかしくない年齢になりました。自分は母子家庭で、母の存在はとても大きく、いつも一緒に過ごして来た、唯一の家族だと思っています。母も自分も、精神疾患を抱えています。苦楽を共にして来ました。
母がいなくなった後の人生を考えられないです。とにかく母に尽くして来た、それだけの人生です。自分の家庭にも興味が無かったくらいです。
唯一の生き甲斐を失ってしまう事は、自分自身の死を意味します。自分の半分が死んでしまう様な感覚です。
こういう時代でもあります。完治しない精神疾患の患者。先は見えています。早いか遅いかです。それでも生きるべきなのか、死んでしまおうか。深く悩む様になりました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させていただきました。
お母様を思うやさしさとても素晴らしいです。わたしたちはいつの時代も母体から誕生しますことから母との繋がりは一層強く感じるものでもあります。
人間とは生まれながらにして病をもって生まれてくる生き物でもあります。
それは煩悩であり、欲というものを持ち備えていきます。歳とともに私たちは様々な事柄を経験していくことで、心の在り方に変化を常に伴いながら、形成もされていきます。
仏教では「中道」という“真ん中あたりの道”を歩みなさいと指針しています。
これはすべての言動において
・かたよらない
・こだわらない
・とらわれない
と、いうことです。
何かしらに「思い」が “かたよる” ことで執着が生じていきます。これは感慨深くならないという風にもとらえてください。
仕事などでは、探究心をもって熟慮することは繁栄に繋がることから必要なのですが、不安を深追いすることに探究心が赴いているのであれば、それは “かたより・とらわれ” に値することになります。
人は歳は関係なく、自身の人生の出来事、環境、境遇から心の在り方は異なるものであります。
お母様がいなくなれば自分の半分も死んだも当然であると記してありました。
お母様が大切であるからこそ、お母様がQkさんを生まれたときは、Qkさんの人生が豊かなものに成りますようにと神仏へ願うものです。
時期関係なく、今からでもお母様の願いを恩返しとして返していくことが、お母様・Qkさんが生きていくエネルギーと変化していきます。お母様を笑顔にするには、Qkさんが元気かつ笑顔をつくることを目標とすること。その姿を見たお母様は必ずといってよいほど歓喜されることです。また、Qkさん自身もお母様の喜ぶ姿にまだまだ笑顔にさせてやるという気持ちが湧いていき、ともに良くなるものへと繋がっていきます。
仏教では「利他」という、自分のためでなく他人さまを幸せにすることが、自身にもしっかりと繁栄をもたらす利益となる六波羅蜜行となります。
何度だって、やる気をなくそうとも、また前に少しずつ進んでいけるということを信じてください。
お母様が喜ぶためには、何をすれば方策であるのかがキーマンとなります。
南無大師遍照金剛
合掌
質問者からのお礼
温かいお言葉、ありがとうございます。
あまり決まりを知らずに投稿してしまいました。1年越しのお礼、というご無礼をお許し下さい。
中道というお言葉にハッとさせられるものがありました。苦難、病がやって来る以前は、何にも偏らない道を歩いて来たと思い出しました。
病に心を囚われていたのかも知れないです。人生の苦難に、しなやかな気持ちが足りなかったと今は思っております。
僕は母が喜ぶだけで幸せな人生です。やはり今はまだ、あまり自分の人生に興味がありません。
偏らず、自分の主軸も大事にしながら、これから歩いて行こうと思いました。
誠に、ありがとうございました。