過去について
中学一年の頃、数ヶ月間にわたる一人のクラスメイト(aさん)に対する冷やかし、陰口等によるいじめがありました。未熟だった私は、外からそれを、被害者の方に気づかれないように、笑ってしまっていました。少しした後、主犯格とクラス全体に対する担任からの指導が入りました。それ以来いじめも収まり、私も反省し二度と同じ誤ちを繰り返さないよう誓いました。
それからは、知人からaさんに対する陰口を誘われた場合にも、自ら注意することや、困っている人がいたら自分のできる範囲で手助けさせていただくことを意識して生活して来ました。
又、私とaさんは互いに唯一の三年間、同じクラスになり続けたもの同士でもあった為、部活やクラスで話す様になりました。クラスでのaさんは、積極的にクラス行事、学校行事に参加しており、卒業間近のクラス会ではクラスメイトと仲良く話す姿や、写真に積極的に入って行く姿が見られました。私はそれを見て、勝手に許されたものだと思い、卒業しました。
しかしその後、中一の頃のことについて謝罪していないことへの罪悪感から、謝罪させていただきました。aさんは「◯◯君が私にしたことは覚えていないし、4年前についてのこともあまり覚えていないから大丈夫だよ。過去のことだし、気にしなくて大丈夫だから、仲良くしていこう」と返答してくれました。
しかし真に謝ることができた気がせず、現在は事あるごとに思い出し、罪悪感と反省を繰り返しています。私は自分の生活を楽しんで良いのでしょうか。生きていて良いのでしょうか。
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きっと許してくれていると思いますよ
きちんと気持ち伝えられてということはとてもすばらしいことです。そのaさんにもその誠実さがきっと伝わったと思いますよ。
多くの人はわざわざ嫌な話をしようとは思いません。そんな中でその話をしてくれたのはきっとaさん嬉しかったのではないでしょうか。
これから仲良くしていくことでわだかまりがないことが分かるのではないでしょうか。心配するより目の前のaさんを大切にしていくことですね。
親友と呼べるような関係になれたら素敵ですね。
学校は社会の縮図です
ガクさん。あなたは至極誠実な方だと思います。心の底から。「学校といじめ」、これは永遠のテーマだと僕は思いますよ。だって、学校は社会の縮図ですから、なぜなら?子供は親を見て育つ生き物です。
更生の余地があるから何かと「教育的指導」におさめきれていることでも、実社会では、グレーであったり、確実にアウトなこともありますから(断言は立場上控えます)。ご自身の深い懺悔を大切に、これからも健康的に「考え」・「悩みながら」生きていくことが、まだ、10代のきみに僕から送ることのできるメッセージです。
相談した事自体、人間としての成長ができたと思うし、その成長に寄与できたなら私としても幸甚です。あすに生きましょう。
質問者からのお礼
しっかりと反省して、二度とこのようなことはせず、いじめを見かけた場合は自ら止めるようにしていきます。有難うございました。