hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

過去に犯した罪と罪悪感

回答数回答 2
有り難し有り難し 47

33歳の会社員、男です。

私は13年ほど前、ある犯罪を犯しました。3年経って、罪悪感に耐えられなくなった私は警察署に相談し、警察官の方からは被害届などなく、この内容では捜査はできない、今から頑張って生きれば良いとのお言葉を頂きました。このことは両親や今の妻など誰にも話していません。

その後しばらく精神的に苦しい時期が続きましたが、大学を卒業して就職し、日々忙しく過ごす中で、次第にこのことを封印し前向きに生きられるようになりました。

過重労働に疲れたこともありましたが、頂いた人生と開き直って乗り越えることができ、今では仕事の能力を周囲に褒めていただけることもあります。

そして妻と出会い、心から笑える日々もあり、結婚して今妻は第一子を妊娠中です。

妻は妊娠初期入院を繰り返していたので私にできる支えをし、妻からはあなたのおかげで乗り越えられた、と言ってもらえました。この時ほど生きていて良かったと思えたことはありません。

しかし今、3ヶ月ほど前にドラマであるシーンを見たことをきっかけに、当時の罪悪感が再び心を覆うようになりました。毎日起きている間はそのことを考え苦しく、仕事中も上の空で呼吸も荒くなり、妻にも不調を疑われています。

そもそも仕事に取り組んだり、妻を支えたり、良い人、良い夫と映っているかもしれない私は、本当の私ではありません。本当は罪を背負った汚い、社会から生きていることを望まれていない存在です。死ぬのが怖いから、それを隠して生きているに過ぎません。

そんな私が結婚し、ましてや人の親になろうとしているなんて許されるのでしょうか。人として最低限のルールを守れなかった私が、子どもに何を教えられるというのでしょうか。

今、好きなことをしても、どう過ごしても心から楽しいと思えるときはありません。叶うことなら一度きりの人生、罪と無縁に、自分を誇りに思って生きたかったですが、取り返しはつきません。寿命を迎えるその日まで罪悪感に苛まれる惨めな最期を迎えるのであれば、早めに終わらせてしまう方がまだましでしょうか。

以前に義母の3回忌でお会いしたあるご住職の包み込むようなお人柄を思い出し、お坊様であればどのようにお聞きくださるのだろうと思い、こちらで投稿させて頂きました。今書きながら、涙が止まりません。見つけてくだされば幸いです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

子に学ぶ。子から教わり一人前の親となる。

お悩みのお気持ち、聴かせてくださりありがとうございます。
どんな過去があるかは知りませんが、気になったところがあります。

>そんな私が結婚し、ましてや人の親になろうとしているなんて許されるのでしょうか。人として最低限のルールを守れなかった私が、子どもに何を教えられるというのでしょうか。

というところです。
他の宗教なら許す許されるの議論がありますが、仏教は許す許さないを判断するのでなく、煩悩をさとりに変える教えです。

子の誕生を許す許されないを決める立場をとりません。
親の資格がないから許さないではないです。
妻様の体内にはすでに家族がいらっしゃるるんですよね。
許す許されないの問題ではなく、自信や覚悟が足りない話のすり替えになってはいませんか。

自信がないなら補えばいいだけの話です。
親だからといって経験ないまま子にマウントとろうとすると執着や反抗、争いが生まれます。
子に教えるではなく、子の誕生を含め子に教えられ、子に学ぶ姿勢は持っておいた方がよいです。

あと、過去のことを気にされているようですが過去の自分自身に労りの言葉をかけてあげたことありますか?
過去の自分を責めることばかりしてませんか?
過去のあなたを追い詰めることではなく、過去のあなたをフォローする側に回るなら今より、しんどさは軽減されるのではないかと考えます。

例えば、
私は過去に迷惑をかけたことがある。それは、罪じゃないかと思って警察に相談したこともあったがそれは罪として扱えないと言われた。でもこの前、テレビ見ていて、心に傷は残ったままだということに気がついた。
それから,ちょっとしんどい。
子どもの親になることが不安。
心配かけてごめん。
そんな感じ。
というニュアンスのことを妻様に話すことは難しいことでしょうか。

親とは子が生まれたから親になるのではなく、子の誕生をきっかけにいろいろなことを学んで一人前の親になっていくものです。
過去をなかったことにするのとは違いますが、過去に逃げ込むのではなく、あなた様がすべきは妻様と子と家族をともに育てることです。

キツいいい方になってごめんなさい。
でも、そこは覚えていてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

泰庵  一法
「変えるべきは自身ではなく歩む方向」「時間とお金の使い方」「向きが変われば...
このお坊さんを応援する

対処の仕方に不十分さ、未消化がある

こんにちは。

「ある犯罪」がどのような種類のものかは分かりませんが、触法行為であり、何らかの被害に苦しむ被害者がいるということなのでしょう。

私は、あなたが今もって罪悪感に苛まれているのは、「ある犯罪」に対するその後の対処の仕方に不十分さ、未消化が残されているがあるためだと思います。

あなたは、「3年経って、罪悪感に耐えられなく」なり、「警察署に相談し」たそうですね。その対処自体は間違っていないのだと思います。しかし、「3年」間は「ある犯罪」に蓋をしようとしていた、保身から隠蔽しようとしたのでしょう。

「被害届などなく、この内容では捜査はできない」と警察から言われたとしても、あなた自信が証人である限り、事実であることに変わりはありません。「被害届」がなくても「被害」があったのは事実ですから。

通常、罪に対しては一連の適切な流れがあります。
罪、罪に対する罰則に服する、謝罪、賠償、悔悟、自責。

しかし、あなたは罪、隠蔽、悔悟、自責になっています。
つまり、途中の過程に違うものが入り込んでいる、もしくは抜け落ちているのです。ここが、未消化な部分です。

今になって警察の捜査は事実上できないのだから、罪に服する、被害者への賠償はできません。しかし、世には犯罪で苦しんでいる人たちが多くいます。せめてもの償いとして、犯罪被害者団体への寄付などをして償うことは出来るのではないではないでしょうか。不十分さをここで幾分かを補うのです。心の中だけでぐるぐる考えるのではなく。

また、もう一つのアプローチとしては、罪を犯してしまう、罪を抱えきれない人間を仏様が同ご覧になっているかという視点を持つことです。奥さんに話すわけにもいかず、かと言って一人で抱えられない。そんなときは仏様とお話するのです。

あなたの宗派が分かりませんので概略のような言い方になりますが、あなたの宗派の仏様に親しんでください。仏様のお心を訊ねてください。

罪を忘れる、罪を消すことは出来ません。
しかし、罪と向いあうことは出来ます。
一人ではなく、仏様と。

以上のような道筋をお勧めします。

{{count}}
有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
このお坊さんを応援する

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ