亡くなった母について
2019年に母を亡くしました。
4年8ヶ月 ガンと必死に闘い、亡くなりました。
病気が見つかったときには既に末期で、もって半年から2年と言われましたが頑張って生きてくれました。
今更ですが、私にもっと稼ぎがあれば更に色んな治療が出来たんじゃないかとか、体が動けるうちにもっと色んな場所に連れて行ってあげたかったなという思いがあります。
もう亡くなってしまっているけれども、母にしてあげられることはありますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたが精一杯に生きる!
ご質問拝読いたしました。
御母堂さま、
激しい痛みや苦しみに
耐えてよく頑張りましたね!
4年半、ご自身の御寿命を
貫かれて御往生されました。
御立派!の一言です。
そんなお母さまが、
あなたに望むことは、
ただ一つ、
授かった命を精一杯、
生きなさい!
と言うことです。
お母さまは、
生みの親であり、
人生の師です。
その師匠と言えるお方が、
自ら示した生き様、
これをあなたは学んだのでは、
ないですか?
過去を悔いない、
未来を慮らない、
いま、たった今を、
精一杯に生き抜いて
ください!
あなたの笑顔が、
お母さまの喜び、
あなたの幸せが、
お母さまの幸せ、
極楽浄土から
お母さま見てますよ!
お母さまに恥じない生き方
こそが何よりの、
親孝行!
生き抜かれませ!
そして天寿を全うして、
極楽浄土に還った時に、
お母さん、私も、
頑張ったからと、
胸を張れる人生を
歩んでください。
ご活躍を祈念いたします。
供養しましょう
お母様四年以上もよく頑張ってくれましたね。お母様はすでに成仏されています。全ての苦しみから解き放たれ、迷いのない世界へと旅立たれたわけです。
今、何かお母様のためにしたいと思う気持ち。それは供養という形であなた自身の修行となり、あなたが悲しみや後悔から救われるのです。
仏壇やお墓に手を合わせ、お参りするのも良い。お経の本を読んでも良い。お寺に行って(事前に連絡して)追善供養という形でお経をあげていただくのも良い。
次はあなた自身が生きている間にお母様のため、周りの人のため、ご自身のために良いことをしていこうとする気持ちが大切になります。そしてご自身も含め、みんなを救える人になってください。
供養とは
何かについて、何度か回答していますので、よろしければ私の他の回答もご覧ください。また拙寺ホームページhttps://seikyoji.jimdofree.com/に『供養ってなに?』という冊子を公開していますので、そちらもご覧ください。
一言でいえば、供養とはお世話することです。直接お世話できない故人のためには、こちらが何か善いことをして、その功徳(善行為の結果)を「これはあなたのためです」とか「この功徳をあなたに廻向します」などと指定します。
届くかどうかは相手の様子が分からないので不明瞭ですが、亡くなっても消えたわけではなく何かに生まれ変わって頑張っておられるはずですので、気持ちは、人間同士でも通じたり通じなかったりするように、届くのではないかなあという気持ちで、こちらからは廻向します。
故人とは、直接の供養はできないので、間接的に善行為の結果を手向けるということです。
特別なことをする必要はありません。特に親が子を心配するのは、子の成長です。ご自分が日々しっかり生きて、朝起きたら、今日も一日頑張るぞ、とお母様にもあいさつし、毎晩、夜寝るときにも、今日一日の功徳をあなたに廻向します、と心で唱えて寝ると良いと思います。
母に恥じないように生きようと思ったら、それだけで相当心がはつらつとすると思います。心の善行為です。
仏教式の廻向は、誰か特定の人と、ついでに、一切衆生にも振り向けることが多いです。「今日の功徳を、お母さんと一切衆生に廻向します」などと。
そして、誰かのために頑張ることが、そのまま自分の功徳・成長にもなりますので、一挙両得になります。
質問者からのお礼
温かいお言葉ありがとうございます。
涙が出てきました。
周りの方に感謝して、精一杯生きていきたいと思います。