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一生懸命ののちに

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

こんにちは。
私は身近な人が困っているように見えると「できることは何だろう?」「どうしたら力になってあげられるか?」と必死になってしまいます。
相手によく見られたいとか、人のためになりたいと思ってる訳ではなく、なぜかその事で頭がいっぱいになり居ても立ってもいられないという感じです。
一生懸命に頑張って手助けをしているうちに、自分から始めた事なのにだんだん疲れてきます。
そして相手が私の疲れに気づかない事に不満や虚しさを感じてしまいます。

そこまでしなくていいのに!と誰もが思うでしょうけど、そういう性分みたいです。
こんなことばかり繰り返して疲れる自分も嫌だし、相手に不満を抱いてしまう勝手さも嫌になります。
結婚して同居をしてからずっと義理の両親に対してそうでした。
やっとそれが一段落と思ったのもつかの間、離れて暮らす母が父と死別したので一人暮らしや気落ちしているのが気にかかり、ずっと気が休まる時がありません。

今、プロフィールにあるように心療内科にも通っていますが、完全には心が楽にならず時々何もかも虚しくなる時期がやってきます。
誰かの役に立つことでしか自分の存在を確かめられないのではないか?と思うと生き方や自分への自信もなくなってきます。
こんな日々がつらくて嫌です。

どうしてこんな考えにとらわれてしまうのでしょうか。
見返りを求めているとは考えたくないのですが、そういうことなんでしょうか。
相手の力になりたいなんて、ごう慢な考えだから無理が出てくるのでしょうか。
お坊様たちはどうお考えになりますか?
教えていただけたらと思います。

2021年12月4日 19:50

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まずは自分に余裕があることが大切ですよ!

質問読ませていただきました。

相手のために何かしたいという気持ちは素敵なことです。しかし、そこにはいくつか条件があると私は思います。

1つ目は自分に余裕があることです。人は、自分の心に余裕があることで、初めて他人に親切にしてあげれます。余裕がない状態で「他人のために・・」と思っても、必ずどこかで歪みがきます。

2つ目は、お返しや感謝の気持ちや自分の事を見て欲しいという見返りを求めないことです。これは、1つ目の心の余裕にも絡んでくるでしょう。自分に心の余裕がなければ、他人への親切に何かを求めてしまいがちになりますから。
他人に何かをしてもらうと「ありがたいな」と思いますが、そこに何らかの見返りを求めてしまうと、途端に「余計なお世話」になってしまいます。
与えて求めずの精神が大切なんです。

また、これは前回のNHKの朝ドラの台詞なのですが、「他人からの『ありがとう』の言葉は麻薬です」というものがありました。ありがとうの言葉が自分を満たしてくれて気持ちがいいから、ついつい頑張りすぎて自分を壊してしまうし、自分の気持ちを相手に押しつけすぎてしまって相手もダメにしてしまうことがある。というものでした。
なるほど、言い得て妙だなと感心したものです。

相手の力になりたいということ自体は傲慢だとは思いません。私たちハスノハの僧侶も、相手の力になりたいとの思いで活動していますから。
しかし、先ほども述べたように、そこには「自分の余裕」が必要なんです。そこをまずしっかりと見定めて、自分を見つめ直してください。
その「自分の余裕」を持った上で相手の力になれることができれば、必ず自分の心も満たしてくれるでしょうし、相手も助かることでしょう。

何か少しでも参考にしてみて下さい。
不安でも追加の相談でも何でも良いので、必要ならばプロフィールを参照いただき、メールやZOOMの個別相談をご利用くださいね。

2021年12月4日 22:29
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有り難し
おきもち

京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
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自分に思いやりを向ける

かお 様 相談ありがとうございます。

まず、安心してください。傲慢ではありません。
人の苦しみに気づき、そしてどうしたらその苦しみから解放されるかと行動することは、まさしく仏教における、慈悲の実践と言えます。
ですので、自分に自信を持っていただいて大丈夫です。
ただ次のことにも気を配ってもらったらよいかと思います。
それは、自分に思いやりを向けるということです。
人の苦しみに気づき、どうしたらいいか行動することを、自分にも行ってください。
自分の辛さ苦しみはなんだろう、そしてそれから解放されるにはどうしたらいいのだろうか考えてみてください。自分に思いやりや優しさをむけて、自分の心と体を丁寧に扱い癒して考えてください。

他人に向ける思いやりと、自分に向ける思いやり、そして他人から受け取る思いやりのバランスを取りながら、出来ることと出来ないこと、他人に頼ることを、分けていくようにしていけば大丈夫かと思います。
出来ないこと、無理しないことを前提に、自分に思いやりをむけて判断して、出来ないことは出来ないと声を上げて、助けてもらえそうな人にお願いしてみましょう。福祉や公共のものなど、利用できるものはとことん利用していいのです。
他人や公共機関を頼っても少しもおかしくないので、自分に優しくして対処してみてください。
人の為にできることをするのは本当にいいことです。ただその時に、自分に不安や辛さが付き纏うような感じでしたら、一旦、自分の心を落ち着けて、自分を癒してから、それで判断して行動に移してもいいかと思います。
検討してみてください。
一礼

2021年12月4日 22:48
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有り難し
おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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質問者からのお礼

藤川 誠海様
さっそくの回答をありがとうございました。
私にはあまり余裕がないことに改めて気づきました。
他の家族の状況を考えると、どうしても身軽に動けるのは私ということになり、自分の調子の善し悪しに関わらず手助けしなければ…という思いが強かったのかもしれません。
無理を重ねて疲れた私に「大丈夫?」と声をかけてくれる人もなく、その時に虚しさを覚えたんだと思い当たりました。
『自分の余裕』も大切に考えます。

釋孝修様
回答をありがとうございました。
慈悲の実践などともったいない言葉をいただき心が落ち着きました。
それと、相手への思いやり、自分への思いやり、そして他人から受ける思いやりのバランスって本当に大切なんだなと気づかせていただきました。
今は自分への思いやりがどこにも無かったようです。私がするべき立場だから…と思い込む事が多くて、つい無理を重ねてきてしまいました。
いつも皆様に「周りの人にも助けてもらって」とアドバイスをいただくのに、なかなか実践できずに何度も同じような相談ばかりしていた気もして反省です。
自分自身にも人に対する気持ちと同じように、助けてあげたい!と思うようにしていきたいです。

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