真っ当に楽しく生きるには
26歳の女性です
自分の性格が嫌いです
私は、自分の中での「当たり前」を押し付けてしまう節が多々あります。
私の会社では「気づいた人がやればいい」という、当番制のない作業がいくつかあります。
私は率先してそれをするのですが、周りの人がやっているのを一度もみたことがありません。ましてや、やらない人が私と居合わせると気遣いなのか「なんで誰もやらないんだろうね」と言ってきたりします。
私はやらないなら何も言ってほしくないのですが、かと言って気づいていて何も声かけないのも腹が立ってしまうのです。
率先して作業をすることには、一切の抵抗はないのですが、やらない人に対しての怒りを持ってしまいます。
また、能動的に仕事をせず、指示されたことしかできない人に腹を立ててしまうこともあります。
そして思わず愚痴が出てしまいます。
私なら気付くのに
私ならこうやって動くのに
と、私の価値基準で相手に対して腹を立ててしまいます。
人は人、自分は自分というのは分かっているつもりです。価値観は人それぞれだというのも常々思っています。
なのにどうしてことに直面するとこうも自分の性格の悪さが出てくるのでしょうか。
愚痴を言わないようにと思っているのに留まれない自分が嫌いです。
仕事を例に出してしまいましたが、人生において、他人と比較せず、愚痴を言わず、楽しく生きるにはどうすればいいでしょうか。自分を好きになるには何をしたらいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
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拝読させていただきました。
人は見るもの触るものすべてに興味を抱き、善悪を判断していきます。
※それは六根、六境、六識からなる
「色・受・想・行・識」となる五蘊というものが人の意識の在り方を形成していきます。用紙があれば書いていきながら解釈してみてください。もしくは「十八界」とネットで調べてください。すぐに出てきます。基本、この十八界により心が作り出されていき、自意識となる観念が仕上がっていきます。※
※から※まで記述したことが、基本的に人の生き方に信号を送り続けると仏教ではとらえます。
「固定観念」「信念」「基準」「普通」など類義する言葉は多々ありますが、この言葉の類に“ かたより・こだわり・とらわれ ” があるものです。また、追求すると至るところは欲求心である「こうであって欲しい」「こうであるべきだと」と自意識が強まり、他人が異なること言動をすることで自我意識が過剰に反応・敏感になってしまうのです。
答えは「承認欲求が少し強い」となります。
しかし、人は誰もがもつものなのです。それをどのようにして変化させていくのか?
次の答えは「感情を上手にコントロールすることが自分を楽にする。」となります。
しかし、それができないから困っている。それなら仏教では出家・在家に関わらずできる日常の行いを六波羅蜜と説きます。
1、布施
2、持戒
3、忍辱
4、精進
5、禅定
6、智慧
この六つが人々を心安に導くのです。
「3、忍辱」がブレない意識を形成させ、欲求心を減退していきます。忍辱とは、辛抱・我慢ということに値します。耐えるということは他人に欲求するのではなく、相手に求めない心を作り出します。「自分は自分でいいや」ではないのですが、人間は形成された固定観念から離脱が難しいものです。
どう忍辱(我慢)していけばよいのかとなります。忍辱を行うことで、自己の心に蓋をしていたものが開いていきます。それは自身でしか気づけないものでもあります。気づき始めたときに他人との比較などからも自然に解放されていきます。
少し文章でしか伝えることが出来ませんが、実践を行っていくことで知識ではなく体得していく心に青空が広がりはじめます。
固定観念は大きな岩のように動きにくいものです。その大きな岩を動かすには同じ方向ではなく、環境や観点などのコテの原理により動きはじめます。
合掌