灌頂 お経の真言について
灌頂を受けていないと真言を唱えてはいけないと聞きましたが、般若心経や毘沙門天王功徳経にある真言も唱えてはいけないのでしょうか?
唱えてはいけない場合は真言の部分だけ飛ばして読めば良いのでしょうか?それとも読まない方が良いのでしょうか?
また、この様な場合唱えても良い真言などはありますか?
見返りを求めがち、仏教に対する興味が強いDKです。最近は仏教と互いに影響しあった道教にも興味有り。
煩悩では怒り、イライラする事がが多め、後は怠け心。強い欲は飲食系の贅沢欲、その次に睡眠とか性欲とか。嫉妬とかはしてもすぐ忘れる方。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
菩提心
ジョニー・ホースさま
真言をお唱えするのに、灌頂、伝授、ルンが必要であるというのは、如来や菩薩方の諸尊によるその真言のお加持のお力を確実に頂戴するためであります。
ですから、できれば、灌頂、伝授、ルンを頂いておくに越したことはありません。
ただ、真言を唱えるに際して、必ず灌頂、伝授、ルンが必要であるのかと申しましたら、必ずしも必要ではないと考えております。
但し、「菩提心」は必要であると存じます。
その理由は、大乗仏教、金剛乗にせよ、その目的は、一切衆生の済度ということになります。
ですから、「真言」も、一切衆生の済度に資するものとしてお唱えしていくことが大切なことになります。
宝篋印陀羅尼を読誦しても大丈夫ですか?
https://hasunoha.jp/questions/49614
真言・陀羅尼を読誦するのは、読誦による功徳を含めて、見仏、作仏、念仏、滅罪、悪業消除、悪趣清浄、浄土往生、または、延命、病癒、厄災消除、現世安穏等の現世利益などの世俗的な幸せや楽のための要素も含みますが、その目的は全て「仏道精進」、「仏道成就」へと向けたものとなります。
ですから、現世利益的な側面はあくまでも副目的、二次的なものであることに注意しなければなりません。
また、仏教においては、仏道の成就へ向けて、必ず「菩提心」(悟りを目指す決意の心)を伴わないといけないものとなります。
その菩提心には、「一切衆生を救いたい」という気持ちが大切なものになります。
自分も含めて、この苦海にある者たち全てが、この輪廻の苦しみから逃れられたら良いのにと、憐れみ、慈悲の心を起こして頂いて、そして、皆が救われますようとして、自分も仏様の道を障りなく歩みたい、その道を歩む障りをどうか取り除いて下さいということで、それぞれの真言による仏様のお加持のお力を頂戴できますようにとしてお唱えを下さいましたら有り難いことになります。
合掌
質問者からのお礼
ご回答有難う御座います eishun様と回答を頂けた御仏縁に感謝です
仏道を志すという目的を忘れず、菩提心を持って行けるよう、凡夫ながら精進に努められればと思います。
出来るか分かりませんが、eishun様が解凍して下さった様に真言や経を唱えながら誰かを助けて苦しみを減らせたらと思います。
本当に有難う御座いました