因果応報とは本当にありますか?
いつもすみません。ありがとうございます。
好きな人の事でお話してました。散々振り回されて酷い仕打ちをされて嫌な思いをしました。
お坊さんに聞きたいです。
私が思ってる事と使い方が違うのかもしれませんが、因果応報とはあるのでしょうか?
教えて下さい。よろしくお願いします。
今も気持ちが辛くてもがきながら生活してます。普段も思い出すと涙が出るし仕事中も涙が出たりしますが、なんとか仕事は支障なくやれてます。私はなかなか体調良くならないので支援センターの精神福祉士のワーカーさんに話したら引きずる人も居るし人によるからと言われて病院とは言われてません。
趣味の卓球を夜、地域の活動で体育館にやりに行ってます。おじさん達に優しく教えてもらってます。辛さを忘れようとしたり、今年は原付を取ろうかと思い教習所や警察署にわからない事問い合わせしたりして自分なりにやってます。
私は彼の事とても許せなくて実際に因果応報とはあるのかとお坊さんに聞きたくて今回ここに聞いてみたいと思いました。
因果応報ある事を私は信じたいと思ってます。
私は彼やその彼の事を上手く操ってる彼女に対して何かしらバチが当たって欲しいとか辛い思いして欲しいと思ってしまうんです。
私みたいに彼もいつか辛い泣く目にあえばとか思ってしまい良くないんですがそう思ってしまうんです。
私は生きててこれからいい事あるのかと思ってしまいます。本当にまだまだ辛くて心が痛いです。
今居てくれてる、職場の人達、友達、保健師さんやワーカーさん達、卓球してくれてる人達やまわりの人達、大事な母親にとても支えてもらってます。
本当にありがたい、感謝です。
早く元気になりたいです。
聞いて頂きありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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因果の理
おまめさま
因果応報と申しますと、悪いイメージが先行してしまいますが、もともとは善いことも悪いことも含めて、全ての結果には因縁(原因・条件)があって成り立っているというニュートラルな意味合いの言葉となります。
実は、この因果の理は、仏教の中枢中の中枢となります。
善因善果、悪因悪(苦)果として、悪因を除き、善因に励んで、善い結果へと向かうという方法論を説いているのが仏教となります。
仏教の基本となる教説である「七仏通誡偈」そのままとなります。
諸悪莫作(しょあくまくさ)
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)
もろもろの悪い行いをなさずに(主には戒律を守って)
もろもろの善い行いに励んで(主には六波羅蜜を実践して)
自分の心(業)を浄らかに調えること(自分の行い・業を清らかに調えること)
これがもろもろの仏の教えである
となります。
因果の巡りはもちろん複雑です。
過去世からも含めての因縁となります。
この流れをできるだけより善いものへと調えていくために仏教はあると言えます。
また、自分がそのより善い流れへと乗れるように、他者への慈悲や利他も説かれるのが仏教となります。
悪いことを成している者には、その因縁によってもちろん悪い結果があることになるでしょうが、それを哀れみ、やがては清らかな善き流れへと乗れるようにと慈悲を向けてあげて頂けましたら有り難くに存じます。
合掌
質問者からのお礼
eishun 様
教えて頂きありがとうございます。
そうですね。因果応報はいい事も悪い事も言うと思ってました。