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高名なお坊さんへの相談に意味はあるか

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私は仕事のサボり癖が抜けず長い間悩んでいます。そのため様々な方に相談させていただきいろいろなアドバイスをいただきました。結局は問題はあまり解決していませんが、こんな相談を聞いていただいた方皆に感謝しています。
さて、この悩みを一度だけお坊さんに相談させていただいたことがあります。妻が昔、評判のよいある高名な僧侶に相談をしたことがあり、その伝手で私もお話を聞いていただけることになりました。
ただし、すでにかなりご高齢であったため、そのお寺に連絡した時点では残念なことにその僧侶の方はお隠れになられていて、跡を継いだ和尚様がいらっしゃいましたので、その御方にお話を聞いていただけることになったのです。
そのこと自体は大変有り難く、またその和尚様が比較的若いとはいえ不満を覚えたわけでもないのですが、しかし、やはりモヤモヤとするものが残ってしまったのです。
はっきり言って、20年近い間に多くの人に相談しておいて未だに解決しないものは、誰に相談しようがどんないい方法だろうが到底変わらないだろうことは感じつつあります。それでも、人生経験が豊富な方や、長年多くの人の悩みに向き合って来た方であれば何かあるのではないか、という考えが頭を離れません。
自分は有能な人や名声のある人に弱いのはわかっていて、それだけでは必ずしも意味はない、と言葉では頭に入れたことがあるものの、本当の意味では身についておらず、すごい人についていきたい、という願望が抜けません。
当時はありませんでしたが、このウェブサイトではたくさんの僧侶の方が様々な悩みにご回答されていて有り難く思います。私自身は仏教の業界にはまったく疎いのでどなたが高名か、などといったことはわかりませんが、しかし仮に評判のよい高名な僧侶の方がいたとして、そのような御方に相談することは意味があることと思えますでしょうか?

2022年1月18日 2:55

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「高名な僧侶」の問題?

こんにちは。

「評判のよい高名な僧侶」ではない私の回答が、果たしてあなたに資することができるかどうかは分かりませんが、試みに一つ回答してみましょう。

まず、なぜあなたは「高名な」から入るのでしょう。

あなたは、「有能な人や名声のある人に弱い」という自覚はあるようです。ただ、それは「弱い」というよりも、正確には「高名」などの他者からの下馬評を自己判断よりも優先しているということです。つまり、その人自身を見極める見識が自分自身に不足している、またはあなた自身の判断基準が定まっていない、ということを意味しているのだと思います。

評判のお店だから美味しいのだろう(評判でなければ美味しくなかろう)。
有名大学の先生だから言っていることは間違いない(そうでない人の言は聞けない)。

例えて言うなら、そういうことです。

あなたは、他者(ハスノハの回答僧)に「高名な」他者のことを尋ねている。
そして、その「高名な」他者は、私に「意味」をくれるのだろうかと問うている。

このハスノハでの回答上の経験から言います。
「意味」を多くの人が問います。
生きる意味、夫婦である意味など。
それは、分からないから問うているだと思います。

しかし、問うている本人がそれを「意味」あるものとして受け止めるかは、その当人の問題です。回答者は「意味」を質問者と共に考え、示唆することは出来る。しかし、本人がその「意味」を肯定的に受け止めていかない所に「意味」は「意味」として成就しないのです。

お経の中に、「往き易くして人なし」と説かれます。
極楽浄土の門は阿弥陀如来様によって広く全ての人に開かれているけれども、実際に往く人は稀であるということです。それは、阿弥陀如来様の、仏様の側の力不足だからなのか。いや違う、仏様の心を受け付けない人間の側に常に原因があるから、ということを説いています。

あなたの抱えている問題が解決しないのは、「高名な僧侶」の問題ですか。
問題解決の可否を、他者のレビューに任せるのですか。
「20年近い間に多くの人に相談」した中に既に答えはあったのではないですか。

2022年1月18日 7:09
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おきもち


釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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あなたにとってぴったりだと感じるお坊様かどうか

こんにちは。

 「投機」という言葉があります。現在は株式などで機会を捉えて儲けを得ようとする意味で使われていますが、もともとは仏教の禅宗の言葉なのだそうです。
 「機」は、仏教語の「気根」の事で、ひとりひとりの個性や能力をいいます。「投」は、「ぴたりと合う」という意味です。
 つまり、師の教えと修行僧の個性や能力がぴたりと合う、という意味で使われていました。

 お釈迦様の説法は「対機説法」といって、その人の特性や能力に合わせたお話をするということです。

 相談するお坊様が高名であるかよりも、あなたにとってぴったりだと感じるお坊様かどうかという事の方が大切かと思います。高名であることと、あなたにぴったりくるかどうかは別問題でしょう。

 あなたがhasunohaの問答を読んでみて、相性が良さそうと思ったお坊様に個別相談をお願いするのも良いし、あなたの相談したい内容を、次の質問で書いてみて、様々なお坊様から回答をもらってみるのも良いでしょう。

 最後に、もうひとつ大切なのは、最終的に行動し解決するのはあなた自身だということです。お坊様は解決のための糸口や考え方は示してくれますが、あなたがそれを実践しなければ解決にはなりません。それはお医者さんに行って「今日はゆっくり休んでお薬を飲んでください」と言われたのに、夜遅くまで起きて薬を飲まない事と等しいです。

2022年1月18日 10:01
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おきもち


・曹洞宗/静岡県/50代 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、...
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「高名」にも「僧侶」にも、価値も意味もないものと存じます。

数年前、うちにご相談にきたご婦人が、御本尊さまに手を合わせたら
「おっしょさん、すまね!ほどけさんさ手あわせたら用事済んだわ」
といってニコニコとお帰りになられました。有難いなあと感じた
出来事です。

高名も無名も和尚であってもお掃除に来てくれるおじいさんであっても
すべてに価値と意味を見出すことは出来るものです。
たとえあなたにとって全く理解のできないお話であっても。

そこに価値と意味を見つけるのは、あなた自身でしかないからです。

うちの和尚の話をきかなくても、御本尊さんから「声なき説法」を
聴かされ、ニコニコと帰っていったご婦人はまさに「見つけた」のだと
思うのです。

わたしは臨済宗の和尚ですが、曹洞宗の道元禅師のお言葉に大好きなものが
あります。
「峰のいろ 谷のひびきも 皆ながら 我が釈迦牟尼の 声と姿と」

どうぞ、日常のこの世界中の「声なき説法」に耳をかたむけて
いただけたら幸いです。

2022年1月18日 22:00
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自分で自分自身をコントロールすることは、本当に難しいことです

自分自身のことなのに、なかなか思い通りにはなってくれない。

自分自身のことなので、何でも自分の思い通りになっても良さそうですが、実は、残念なことに、人間というものは、そもそもそのような仕組みになっていないです。

ダイエットをしようと思えば思うほど、食べ物が気になってしかたなくなり、
タバコや賭け事など、やめようと思えば思うほどしたくなってしまう。

勉強をしなければいけないと思うほど、サボりたくなってしまう。

一説には、何かをしようと思えば思うほど、真逆の方向へ1.5倍の力が働くといわれるほど、私たちは誰しも、自分自身をコントロールできない苦しみを本質的に抱えてしまっている存在です。

そのような仕組みであるのが私たち人間ですから、相談者さまが、何とか強制的にでも自分を変えようとするほど、実はより苦しんでしまうことになりかねませんし、また思考される能力が高いほど、より思い通りにならない苦しさが強くなってしまうのだと思います。

お釈迦さまの教えでは、「一切皆苦」といって、すべてのものは皆、苦しみだ と説いていますが、まさしく、思い通りにならない自分自身だからこそです。

そして自分の中に、思い通りにならない「もう一人の自分」がいることにまず気づくことこそ、お釈迦さまの教えの大きなテーマです。

ご質問の「相談することの意味」については、
「もう一人の自分」が思い通りにならない時に、神頼み、仏頼み、高名な僧侶頼みをしようとすることは、ある意味、自然なことだと思います。「自分でやろうとすると反発する」ことが無い分だけ、心のスイッチが入りやすいはずです。信じすぎたり、依存してしまわなければ、その分の意味や意義はありうると思います。

『内なる他人とも言える「もう一人の自分」との付き合い方』は、
相談者さまだけでなく、私を含め全ての人に共通する本質的な課題だと思っています。無理やりコントロールしようとするのではなく、良好な人間関係を作り上げていくつもりで付き合っていくことが大切なのではないでしょうか。

2022年1月20日 0:28
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おきもち


1971年生。岐阜大学教育学部卒業。医療法人に就職し、医療事務、経理、総務...
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質問者からのお礼

皆様ご回答誠にありがとうございます。
おかげさまでだいぶ腑に落ちました。結局は自分で意味を見出すしかなく、相談相手の評価を他人任せにしていては、自分で納得してお言葉を受け止めたことにはならない。そんなままではご助言を実践しても表面上のことにとどまってしまい前に進まないのかなと、そういったことを感じました。
私自身には人を見る目はありませんので、私がこれまで出会った方々の中に相性のよい人生の師と呼べるような人がおそらく何人もいたのでしょうが、たぶん、私がそのことを軽んじていたから、結局はうまくいかないのでしょう。
少なくとも高名な御方からのみ得られるようなものは、たぶんないのだろう、とすっきりしました。これからの人生で出会える人はきっととても限られていますが、それら一つ一つを大切にしていきたいと思います。

「お坊さん・僧侶全般」問答一覧

お坊さんから見たキリスト教について

相談というよりほぼ愚痴なんですが… 私は神仏との間にご縁を求めて神社やお寺でお参りしたりネットや本で世界の宗教を調べたりしています。 それで最近私は引っ越しがあり、たまたま近所にキリスト教の小さな教会があるのを見つけたので興味本位で飛び込んでみました。 で、特に教会の人たちに拒まれる事もなく私を受け入れて聖書講読が行われたのですが…正直嫌な気持ちになりました。 牧師さんの言葉にも新約聖書の中にも「神は人の作った宮にお住みになりません」といった言葉がありました。 ふ~ん…といった感じで聞いていたのですが牧師さんは更に噛み砕いて説明して下さりました。 その噛み砕いた言葉の中には「全知全能の神が神社の社に収まるなど人が小さな犬小屋に住むのと同じ事なのです!」 「お地蔵さんにはよだれ掛けや頭巾がありますが人がそのように面倒を見ないと何もできないのです!」 「更には巨石や大木に神が宿るなど私は呆れました!常々おかしいと感じていました!」 …などと、人差し指を立てながら声高に言っておられました 私は牧師さんのお話を聞いている内に「何?ふざけるなよ?」と怒りが込み上げたその後に頭が真っ白になり腹がズ~ンと重くなっていました。 キリスト教の教えの中には「偶像礼拝」という罰(?)があります 唯一神であるイエス・キリストを背き偶像(社や仏像)を拝むなどとんでもない、そのような罪人は永遠の火の池(地獄)に投げ込まれるんですって… なんだろ、日本に生まれて神道や仏教が身近にありすぎる為か、私がそれらばかり勉強していたからか知りませんが私の今までの参拝やちょっとした勉強、ひいては日本人のあり方や宗教感を根本から否定された気分でした。 キリスト教では愛の精神を持つ事など優れた教えがあるようなんですが、ならば他の宗教を悉く否定するのって「そうじゃないでしょう?」と思うんですよね。 ちなみに牧師さんと2人だけでお話する機会があり、これからの集会にも誘って下さいました。 とても真面目であり良い人でしたよ、他の宗教を引き合いに出して否定するだけという点以外は。 イマイチ答えにくいとは思いますが仏教のお坊さんはキリスト教をどう思いますか? 私はキリスト教にも優れた教えがあると思いますが正直な所もうウンザリしたので「キリスト教は…もう勉強しなくていいか…」と思いました。

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お坊さんが憎いです。

私の妻とお坊さんが不倫をしました。同じ会社で勤めていたことから関係がスタートしたようです。発覚から、半年程連絡もなく手紙だけをよこして謝罪終了。 手紙の内容もどこからか引用したようなもの。 お坊さんだけでなく私にも妻にも原因はあると思います。 また、そのお坊さんとはお世話になっているお寺の息子さんで、高校からの知り合いということもあり、特にお坊さんを責め立てると言うことはせず、穏便に済ますことにしました。 しかし、後日知人からそのお坊さんが結婚式を挙げたと聞きました。 また、そのお坊さんは私の叔父の会社に私が紹介して勤めており、何食わぬ顔で未だその会社に勤めています。(叔父は不倫のことを知っています) 妻は退職し、私は叔父や関係者に謝罪に回りました。 その間お坊さんは何もせず、普段と変わらぬ生活を送っていたようです。 手紙には1人のお坊さんとして、人間として信頼を取り戻せるように努力すると書いてありましたが、謝罪もなく謝罪の手紙を出す前に結婚式を挙げる人をどう再度信頼すれば良いのか。 何故、それで信頼を取り戻せるように努力すると言えたのか不思議でなりません。 私はそのお坊さんに対しての怒りが収まりません。 この怒りはいけないものでしょうか? いけないものであれば、どのように収めればいいのでしょうか。 お坊さんも1人の人間です。時には過ちもあると思いますが、あまりにも不誠実と思えて仕方ありません。 決してそうではないと思いながらも、お坊さんはこのような方ばかりではないのかと思うようになってしまいました。 このままお坊さん、お寺、仏教を嫌いになるということは避けたいです。 新たにお坊さんと出会う方法はないでしょいか? 伝わりにくく、拙い長文失礼しました。 よろしくお願いします。

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尼僧になるかどうか悩んでいます

現在大学生で、卒業後に実家を継ぐべきか、自分の夢を追いかけるべきかで悩んでいます。 実家が日蓮宗のお寺で、父が住職をしています。父は数年前に病気をし、現在は退院していますが、いつ働けなくなるかわからないそうです。 私には兄がいるのですが、先日一般企業への就職が決まり、とりあえずは継がずに夢に向かって働くようです。 私はまだ、将来について決まっていませんが、海外で仕事がしたいという夢があります。 しかし、あとを継がなくてはならないのではないかという義務感も感じてしまっているのです。 父は「もし誰も継がなくても、代わりに入ってくれる人を探すから、お前は自分の進みたい道に進みなさい。」と言ってくれています。 しかし、ご先祖さまが代々続けてきたものを、私が途絶えさせてしまっていいのかと不安に思うのです。 私は尼僧になることが嫌なわけではありません。ただ、自信がないのです。 住職として多くの人の支えとなる父の姿を尊敬していますし、憧れています。しかし、自分がそうなれる自信が全くないのです。 また、私は今までそこまで信仰心が強い方ではなく、寺の娘として何かやってきたかといえば、そうではありません。 もし私が「尼僧になり、実家を継ぎたい」と言えば、父は私の師僧となってくれるでしょう。 しかし、こんな自信も信仰心も中途半端な人間が、尼僧になることなどできるのか、なったとしても父のように尼僧としての責務を果たせるのかと考えてしまい、覚悟を決めることもできません。 話が長くなってしまいましたが、このようなことを悩み続け気づけば2年の時が経ってしまいました。選択の時が近づいています。 解決に向けて少しでも進展させるために、アドバイスをしていただけたら幸いです。 最後に決断するのは自分自身であるとわかっているので、あくまで皆様の考えを聞かせていただきたいです。 よろしくお願い致します。

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真言宗の先祖のお墓に父が入りました ◯お坊さんだけでは、管理手入れができない広いお墓です。墓守りさんは、だいぶ前に出て行かれました。 その為、お寺の入り口には、粗大ごみが置いてあり、草木はぼうぼうで、車から降りると、蚊が群れをなして襲ってきます。尋常な数ではありません、孫や母は、刺されすぎて熱が出るほどです、その為お墓参りは、時期を見てさっと行くしかありません。一度住職に、木や草が生えてて蚊がすごくて〜となんとなく伝えたのですが、木や草は空気の浄化をするから何もしないとのこと粗大ゴミや家の不用品も見えるところに、かなり置いてあり、かたす様子も全くありません ◯7回忌が終わり未だに墓誌を彫ってもらえないので、一度お願いしたところまとまったら、私が彫るからってことでした。 まとまったらとは、どう言うことなのか?石屋さんが彫るのではないのか?とにかく直接石屋さんに話はさせない住職です ◯父のお葬式の時どのくらい包んだらと母が聞いたら50万と車代と言われ包みました。これは相場なのでしょうか?父の戒名、院とか立派なのはついてません一般的と親戚の人が言ってました 母の時はそんなに包まないと思います ◯7回忌が過ぎた後、お寺から7回忌の法要のお手紙が来ました。もうお布施も送り終わってるはずなのに、えっもしかして何もしてもらえてないのかと不安になりました。 ◯父は生前、お墓石をきれいに建て直しました。その時もかなりな金額を言われ父は仕方なく住職の言う通り450万できれいにしました墓石は立派な石ではありません   住職とは話をしても中々こちらの話は伝わりません。母もあの住職はお金しか頭にないとあのお墓には入らず祖父と父のお骨だけ他に移して墓じまいしたいと言ってます たぶんあの住職の事ですかなりの金額を請求されるか阻止されると思います どうしたらいいかわからず、相談させていただきました。よろしくお願いします

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質問をご覧いただきありがとうございます。20代学生のものです。 先日知人から紹介を受けて数回お食事にいった方に告白をされました。しかし、告白された時に慌ててしまい「いま忙しいから」とはぐらかしてしまいました。また「いま好きな人はいない」と嘘をついてしまいました。 その方はお坊さんの卵で来年には本山の方へ修行、下山後も実家(私の居住地からは車で3-4時間ほどの場所です)へ帰ってしまうようです。私自身も彼のことは異性として好きだと感じています。しかしその上でお付き合いするうえで来年から会えなくなってしまう、私自身の将来(就きたい職業があります)等色々考えお付き合いをするのは無謀なことなのかなと感じています。彼との会話から将来を見据えてお付き合いをしたいといった趣旨も見受けられます。私も周りからも彼自身はいいと思うけど将来的にはお付き合いするのは難しいのではないか、といわれています。 反対される理由は自分でも分かり切ったことなのですが、先日の発言をとても後悔しています。彼は優しい人で「自分はyayaのことを好きだけど友達として会えるうちは会いたい」といってくれています。また私もまだ彼のことが好きで未練タラタラな状況です。お互いまだ付き合えるチャンスがあるかもしれないと腹の探り合いをしているような状況です。好きだから付き合いたいという気持ちはあるのですが普通のカップルのように会えるのももう一年もないのだと考えると軽率に付き合うのは良くないと感じます。 私はこのまま意志通り付き合わないのが正解なのでしょうか?それとも短い間でも好きだから付き合うのが正解なのでしょうか? 身の回りでお坊さんとお付き合いしている方がいないのでここで書かせて頂きました。拙い文章で申し訳ございません。よろしくお願いします。

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菩提寺のお坊さんのこと

我が家の菩提寺のお坊さんのことについて相談したと思います。 尼さんで、嫁ぎ先の普通の家庭(サラリーマン家庭)に住んでいらっしゃいます。 お勤めの時にお寺へいらっしゃるようです。(お寺は先代がお一人で住まわれていらっしゃいます) 年齢(70歳前後)を理由に2~3年前よりお彼岸廻りもお盆廻りもされなくなりました。 私は昨年、息子と義父を見送りました。 枕勤めもお通夜も、遺族でと言われ、葬儀のみ来ていただきました。 葬儀の後、初七日含め49日までのお勤めをまとめてして頂きました。 息子は49日と初盆をまとめてしました。 まとめて、と言うのはお坊さんから言われてのことです。 義父は今年が初盆になりますので、日取りのお電話をしたところ「初盆されますか?」と言われ「出来ればしてあげたい」と伝えたところ「どうしても、と言われればやらない事も無い」と言うような反応でしたので無理なお願いするのも、と引き下がってしまいました。 最近は簡単にまとめて、とか、省略される方もいらっしゃると言うことは聞いたことがあります。しかしながら、お仏壇のある家庭に生まれ育ち、嫁いだ今の家庭もお仏壇があり、ずっとお世話させていただいてきました。熱心な信者とは言えませんがそれなりに信仰心はあるつもりでいます。 また、遺族が簡単に済ませたいと思うことの否定の気持ちはありませんが、遺族がきちんとしたいと思っているのにお寺さんの方から簡単に済ませる事への不満が少なからず沸いてしまいます。 息子のことは、出来ればひっそりと、と言う思いもあり私達が供養してあげればいいとも思っています。ただ、義父は「お葬式は派手にしてくれ」と生前言っていたこともあり、お寺への寄付なども他の檀家さんよりも多くしてきたりと言う人でしたのできちんとすることを望んでいるように思っています。 これからもお付き合いしていかなくてはなりませんし、不信感など持ちたくはありません。浄土真宗はお盆のお迎え(?)などはいらないとも聞いたことはありますが、その辺りのことも含めてご教授いただければ幸いです。

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