他人の「私は不幸、あなたは幸せ」という言葉への怒り
人の悩みや、昔のつらい出来事などの話を聞いている時、必ずと言っていいほど
「それに比べて、あなたはいいよね」や「あなたは幸せだよね」、「悩みなんてないでしょ?」
と言われます。
そう言われるまでは、大変だね、辛いねとその人の話に共感できるのですが、
その言葉を言われると「私の何を知ってるの?」と傷つきますし
「私だって辛い!」と怒りもこみ上げてきます。
勝手に順位をつけられて
「私のほうがあなたより不孝!!」と理不尽な八つ当たりのように思えてしまいます。
私自身、昔は自分の境遇、家族をも恨んで、周りの人を妬んでいたこともありました。
情けないですが、私はなんてかわいそうなんだろう、などと思っていました・・・。
でも、その境遇でそれを経験できたことで、自分の幸せに気づくことができ、今はすべてに感謝できるようになりました。
なぜ私がその言葉に傷ついて、怒りが沸くのか、
私も実は自分の幸せに気づいていなくて、誰かと比べて、自分が辛いと言いたいだけなのか。
考えてもわかりません・・・。
そういう言葉を言われた後は、数日は夜も眠れず昔の辛かったことを思い出してしまったり、
今現在の悩みや不安などを考えてばかりです。
そう言った人のことも憎くてたまらなくなります。
そして自己嫌悪になります。
最後は、そんな事を言う人は惨めな人だと、相手を見下すことで自分で満足し解決してしまいます。
そんな考えをやめたいです・・・
相手のことも、優しい気持ちで考えられるようになりたいです。
幼稚です分かりにくい文章、長文になってしまい申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
時間を布施
ゆずこさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
人の悩みなどを聴いていると、その方が自分と ゆずこさんを比べるような事を言うことに傷つき、また怒りをおぼえるとのこと。せっかく相手に寄り添おうと耳を傾けているのに、感謝されるどころか八つ当たりのような言葉を浴びせられ、つらい気持ちになるのも無理のないことです。
ゆずこさんも私も「八つ当たりのよう」と書きましたが、事実それは八つ当たり以外の何ものでもありません。でも、私も他者から相談を受ける身として、八つ当たりをされるのはすごいことだと思いました。
なぜなら、よほどの信頼が無ければ、せっかく耳を傾けてくれている方に対し、感情をあらわにすることなど出来ないからです。ゆずこさんは「そんなのイヤだ」と思われるかもしれませんが、誰もがそのように聴ける方ばかりはないのです。
多くの方は相談に乗っているつもりでも、相談者の話を否定したり、自分の考えでアドバイスをしたり、話を乗っ取ってしまったり、なかなか「聴く」ということは難しいのです。ゆずこさんはナチュラルにそれが出来ているのではないでしょうか。
幸せや不幸は、地位や収入などの条件で決まるものではありません。家庭環境や仕事内容や収入など全く同じ2人がいたとしても、片方は自分を幸せに感じ、もう片方が不幸に感じることも有り得ます。
その分かれ目は、ゆずこさんが書かれているように、自分の手の中にある幸せに気づき感謝できるかどうかです。それができているゆずこさんに対し、相談者はつい八つ当たりまでしてしまうのかもしれませんね。
私だったら、相手の八つ当たりを否定も肯定もせず、穏やかな表情で耳を傾け続け、相談者ご自身が「ああ、自分は八つ当たりをしたんだ」と気づいてくれるのを待つかな…と思います。でもこれは、私が僧侶という立場で、僧衣に守られているから出来ることかもしれません。
他者の悩みで、ゆずこさんが悩まれてしまうのでは本末転倒です。あまり無理をなさらず、ゆずこさんが可能な範囲でご自身の時間を相手に「布施」なさってはいかがでしょうか。
◎お礼を読んで追伸
感謝の言葉、有り難うございました。
実は「布施」とは修行のひとつです。修行であれば苦しいこともあるでしょう。でも同時に、自身が得るものもあるはずです。
お互い無理せず、耳を傾けて参りましょう (^人^)
「ものさし」が違うんだから、気にしないことです
人はそれぞれの価値観を持って生きております。特に「幸か不幸か」という事に関しては、かなり見解が分かれると思います。一人一人の人間が異なった「ものさし」を持っているのです。異なった「ものさし」だから、幸・不幸の判断も違ってくるのです。
質問文を読んで思った事ですが、あなたは謙虚で自制心があり思慮深い方だと思います。それ故、他人の「ものさし」も尊重し、あなた自身の「ものさし」を押し付けようとは、決してなさらないでしょう。それなのに、お友達はお気楽に自分の「ものさし」で「あなたは幸せねえ。」と言ってくるから、癇に障るんでしょう。お友達が「あなたは幸せねえ。」と思うのは、お友達の勝手です。しかし、同時にあなたにしてみれば、「勘違い」「誤解」「曲解」「言いがかり」であると感じてしまうでしょう。しかも、お友達は自分の「ものさし」だけを絶対視して、あなたにはあなたの「ものさし」があることを考慮しようとしてくれない。あなたは優しい心で友達に接して友達の事を思っている。しかし、友達が無神経すぎる。あなたの怒りは其の辺から来ている様に思います。
「ものさし」の違いからくることに怒るだけ無駄だと思います。また、お友達の無神経さに腹をたてても、友達はなかなか気付いてくれないと思います。他人の「ものさし」を変えるのは難しい。あなたにはあなたの「ものさし」あることを考慮し尊重してくれる人もいるでしょうが、全く考慮してくれない人もいますよね。世の中、いろんな人が居るんだし、あなたのように「謙虚で自制心があり思慮深い方」ばかりではありません。腹を立ててもしょうがないことに、腹を立てるようなもんですよ。
幸せについての考え方ですが、他の質問への回答を参考にしてみて下さい。
http://hasunoha.jp/questions/5249
質問者からのお礼
浦上様、お忙しい中ご回答くださってありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。
あなたはいいよねという言葉を受けて、
私がどれだけ苦労してきたか、どれだけ苦しんでいるか、あなたのほうがよっぽどマシ!と
その人に分からせたいとまで考えていました。恐ろしいです。
自分の怒りに向き合ってみよう、相手を許そう、
他人の言葉に寛容に、やさしい気持ちで考えてみる、等々自分なりに色々考えたりしたのですが
どれも、自己保身だったり、なんとなく上から目線のようで・・
そもそも、許すとか自分と向き合うとか、そういう問題ではなっかたのですね。
「時間を布施」
今私が在ることへの感謝の気持ちを、悩みを話す人に時間として布施する。
心が穏やかに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
涙が止まりませんでした。
浦上様、本当にありがとうございました。
吉田様 お忙しい中ご回答ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。
とても気持ちが楽になりました。
無駄な怒りでした。
不幸の尺度は人それぞれで、
その時の話では語り切れないこと、見えない背景があると思い
相手の立場に立って聞いているつもりになっていました・・
私はこんなに配慮してるに、相手はしてくれないと。
でも、それは
人が自身の「ものさし」を私に押し付けていたように
「私はそんな言い方しない」と価値観を、人に押し付けていたんだと気づきました。
吉田様、悩みを聞いてくださって、本当にありがとうございました。