子供が苦手です。
相談で宜しくお願いいたします。
私は子供がおりません。だからかもしれませんが、赤ちゃんや子供が苦手でどう接したらいいか分かりません。
どうしたらいいか分からずギクシャクです。元々話ベタのコミュ障です。
ようするに、良く思われたいんでしょうけど、悩みの種です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人は悩みをもつ。だから智慧が生まれていく。
拝読させていただきました。
人には何歳になろうが、何回経験しようが苦手なことというものはあるものです。
『“無理”に接したり、話そうとしなくていいのだと』いうことを心構えとしてもつことが第一段階であります。
人は、生きとし生けるものの中で、生き方に答えを出せない生き物です。
何事にも名前を付けたり、分類したりすることでようやく判別できる生き物が人間です。そこに不平や平等感の境界線が生じていきます。
何をいわんとしているかと申し上げますと、「世の中の決められた在り方という基準に はじめつかさ さんが、合わしていかなくていい」ということです。
人は今を生きており、現実を生きる中で世のあり方には、それぞれの人の立場があり、人それぞれの“世界観”があります。
基準という「普通は...」という観念から離れることに意識を向けていく練習をしていくことが、今必要なことです。
普通はありそうで、普通なんてないことを心に気付くことが大切です。
他人や世間の在り方に捉われることで、人はそこに合わしていかなければならないというプレッシャーが秘かに感じていきます。ここで大事なのが、私は私という風にとらえても駄目であるということです。
人は何か行動を実践に移すときには、心の中に思ったことから、心に風が吹いたような「心の舟は帆を立てて動きだします。」
釈迦は「汝よ、水を汲み出したならば、舟は軽やかに進むであろう。」と説かれました。水は悩みや苦しみという執着を表し、舟はその人の心を表します。
心に不安など、まだ起きていないことを考えてしまったり、過去に起きた後悔や失敗から自信が持てなかったりする生き物なのです。
なぜ?人はこんなに苦難があるのか?
仏教では、苦しみは『迷い』から生じると説きます。過去に起きた経験には自信と不安の“業”が宿っています。また、苦しみには数えきれないほど在りますが、大きく分けると2つに分かれており、「外苦と内苦」です。
迷わない生き方をしなければ、不安という苦は徐々に去っていきます。そのためには、何を行うときに「自分に無理をしないだろうか?」と自問自答することが軸となります。
はじめつかさ さんの今には、世間が決めた当たり前に合わすのではなく、自分らしく生きるために無理をしない楽観的を取り入れていきましょう。
合掌
見守っておもしろがる
はじめつかささん、はじめまして。質問を拝読しました。
はじめつかささんは、赤ちゃんや子供が苦手でどう接したらいいか分からないことが悩みの種なのですね。
子どもは大人ではあり得ないような行動をとることがあります。
例えば、凧を揚げようと必死に後ろを見ながら全速で走ります。ですが、前を見ていないので何かにぶつかってしまうことがあります。
子どもは突然に何かにぶつかったので、驚きと痛さで大泣きします。
大人の感覚からすれば「前を見ていないから、ぶつかるのは当たり前じゃないか」と思います。ところが子どもは目の前のことに必死なのです。
子どもたちは、観察してみると他にも考えられないようなことをやっています。不可思議な子どもの行動を観察しておもしろがってみると、なかなか興味深いですよ。
仏教ではよく観察してやさしいまなざしを向けることを眼施(がんせ)と説きます。子どもを好きになろうと努力するより、観察して眼施をしてみませんか?
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせるよう祈念しております。
質問者からのお礼
法源様 ありがとうございます。「自分に無理をしないだろうか?」と自問自答することが軸となる。
いつも世間一般に合わせようとして、自信が無いままに行動や発言して落ち込んでいました。
自分らしく生きるために無理をしない楽観的を取り入れる。
心に留めておきます。ホッとしました。ありがとうございました。
中村太郎ご住職様
眼施ですね!暖かい優しい気持ちを持つ眼差し。今度小さいお子さんと接することがあったらそうしようと思います。ありがとうございました✨