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生きてて良かったと思ったことがない

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ほぼ無職になり数ヶ月。金銭の余裕もなく働くしかないのですが、動けません。

失敗だらけの人生で、特技もなく、何の職に就けばよいのかすらもわからず、何度も堂々巡りです。

身内からの人格否定、変な人からの執拗な誘いなどで、仕事も人も怖いです。
普通の人が出来て当たり前のことが、自分はなにもできません。

ひとりはつらい。
自分はなにも持っていないのに、何度も幸福がおとずれる人もいる。ずるいと思い、また自己嫌悪。
自分には悪縁しかありませんでした。お金も時間も、たくさん奪われました。

今まで生きてきて良かったと思ったことは一度もありません。最近は好きだったことも楽しいと思えません。
この先もひとりで、地獄です。
まっとうに生きることもできず、死ぬこともできず、ただ食べて寝るだけのゴミ屑。

とにかく、まず仕事をするしかない、解決するしかない、と頭ではわかっているのですが、ひとりがつらくて苦しくて虚しいです。

心の有り様、保ち方、といったものはあるのでしょうか。
こんな自分に光が差すことはあるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心の安定は、経済的な事情に大きく影響されます。

人の心の安定には、ある程度の経済的な基盤がかかせません。
どんな方でも、経済的に困窮する状況になれば、心が不安定になるのは必然です。「武士は食わねど高楊枝」ということもありますが、それは極めてまれな事例です。

まず、経済的なことが安定されると、そこからようやく視界が広がり、一つずつ前に進めていけるのではないかと思います。

その意味では、憲法の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」に基づく、生活保護制度の申請を行って経済的基盤をまず立て直すことが先決です。申請がご相談者さまお一人で不安であれば、それをサポートする団体などもあるはずです。

そして制度を利用されながら、行政の担当職員などの助言も参考にして、就職活動などに取り組んでいければ、より前向きに歩んでいけると思います。

周りの人と比べはじめるときりがありません。
ご自身の人生の確かな一歩を踏み出せるよう祈っております。

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1971年生。岐阜大学教育学部卒業。医療法人に就職し、医療事務、経理、総務などを担当。退職後、瑞泉僧堂にて修行、2009年永正寺副住職、現在に至る。4/8お釈迦様誕生日の国民的行事化、H1法話グランプリ出場(2019年)など、より幅広く仏教が親しまれるようにと取り組んでいる。 資格:高校・中学教員免許(理科)、産業カウンセラー

自分史上最上級クオリティの自己センサーこそ最高の宝✨

こんにちは。あなたの心を闇から光へ。ヘビーからライトへ。ネガティブからポジティブへ✨仏の世界から遣わされた日雇い無賃金派遣僧ジョー・サトリアーニキ(仮名)です。(前フリいいから)
😎フッ。そういう時は身心のマイク、レンズ、感受センサーのお手入れを。あるいは研ぎ澄ましてみることに価値を見出していただきたい。外に求めず、内なるセンサー、心のマイク・レンズのお手入れ。ネットの動画でも高画質・高音質のものがあるでしょう。同じ。自己の身心というディスプレイ上で実現。心が疲れていたり凹んでいれば現実のリアルタイムの📹LIVE中継の再現・再生画質、音質ともに下がるのです。
今、この身心でインプット・アウトプットされることの「内容=映像・音声・香り・味・感覚・あらわれ」を客観的にみつめヨ!その響き・あらわれを心の目、耳で「👁監査・精査👂」セヨ!脳内再現クオリティをハイレゾ、8Kクラス程度に高めればカンタンに幸せ実現可能DA!どんな高画質も高音質もリアルタイムの実際の映像、実音にはかないません。
そもそもボーさんがなぜあの意味のなさそうな?坐禅や瞑想をしていると思いますか?その理由は…。おっと㊙。まずはそこに興味、関心、価値👁を…。
エレキギターでは最高の音出すためには、本人のテクニックよりも実はギターのピックアップというマイクやマイクが拾った音を出すスピーカー「アンプ」こそ最重要なのです。これを人間にたとえるならば、事実という映像、音声を受け止めるあなたの目や耳というより、その直後の瞬間脳内変換✨作業地帯こそが大事なのです。同じドレミを弾いてもアンプやピックアップが違うだけでゼンッ…ゼン音が違うからですッ。(# ゚Д゚)小さいスマホやパソコンのポ〇コティースピーカーよりも!ハイグレードアンプ、スピーカーの方が再現力が高いッ。人間も現実の体感直後の脳内で変換される受け止め㊙センサー✨を知れッ!そこの品質・コンディションによって現実の受け止めかた!キャッチ!受信の質が変わる!負担のない職場で病んでしまうことがある!被災地から何百キロも離れたところに住んでいる人が心が病むのもそういう道理なのですッ!さぁ、これをご覧になられた幸運な視聴者さん。「( ゚Д゚)俺が必要としてたの…これだ」と感じたら今すぐお電話を!先着3名まで無料!幸せや不幸は外にあるのではなくそれを受信す(以下略)

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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