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私にできることは何でしょうか

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私にはパーキンソン病のおばあちゃんがいます。
私のお父さんのお母さんで、車で3時間ほどかかる距離に住んでいます。
そして、お父さんには妹がいて、その妹の家族はおばあちゃんの家のすぐ近くに住んでいます。

最近おばあちゃんの症状がひどくなって、お父さんの妹のおうちに何度も行ったり、同じ内容の電話を1日に5回ほどしたりしているそうで、お父さんの妹は老人ホームで働いているので、おばあちゃんよりもっと症状のひどい人を面倒見ているために、おばあちゃんにきつく当たってしまったり、仕事で介護をして、家でも介護をするために精神的に病んでしまっているようです。そのことを私のお母さんとお父さんの妹が電話で話しているのを聞いていました。
でも、お父さんは自分のお母さんのことなのに、話すと機嫌が悪くなって、ばあちゃんのことはほっとけとか、好きにさせとけって怒ります。そこでお父さんとお母さんの喧嘩が始まります。
お父さんは今、仕事で重要な位置にいるみたいですごい忙しくて、お父さんもきっとお仕事で精一杯で他のことを考える余裕がないのかもしれません。
そしてある朝、おばあちゃんから私の家に電話がかかってきて、私が出ました。そしたら、おばあちゃんが、
『私のことで◯◯(お父さんの妹)が悩んでしまって、あさ爆発して泣いてしまって仕事に行けなくなってしまったみたいだから、お父さんとお母さんに◯◯の相談相手になってもらえんかってゆっといてくれんかね』と言いました。
私はおばあちゃん自身がみんなに迷惑をかけてしまっていると悩んでいるのも辛くなって、お父さんの妹が辛い思いをしているところや、お母さんがどうすればいいのかわからなくて悩んでいる姿や、お父さんの辛そうな様子や、お父さんとお母さんの喧嘩をみると、私がなんとかしてあげないとっておもうんです。
でも、どうしたらいいかわかりません。
私は、おばあちゃんのために、家族のために、何をすることができますか?
長い文になってすみません


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ありがとうの花を届ける

わたしも三年ほどまえ、認知症の祖母を見送りました。

なかなか手ごわい祖母でしたが、
わたしに出来ることとして、まず母に、祖母の様子を
聞いたり、それに対してお疲れ様。ありがとう。と
感謝を言うようにしました。

お手伝いにくる叔母(普段から気難しい人なんです)にも、
御礼をいって、またよろしくと、お願いしました。

それから、わたしは祖母の顔を拭いたりしてましたが、
「お顔を拭かせて頂きますね。ありがとう~」と
声を掛けながらいたしました。

祖母は最初すごく嫌がってましたが、そのうちに
だんだん笑うようになって、最後のころ、はっきりと
「ありがとうございます」と言ってくれました。

祖母は子供番組が好きでしたが、おかあさんといっしょ
という番組の「ありがとうの花」という歌が好きでした。

なんだかわたしは、祖母から「ありがとう」という、
花を貰ったような気持ちになりました。

介護の現場は、出来ることが限られます。
そんななかで、あなたの叔母様や、お母様は
奮闘されているのだろうと思います。

お父様も、お仕事があるなかで、きっと御心配は
あるのだろうと思うのです。だから、じぶんができない
ということの苛立ちが出てしまうのだと思います。

あなたにできるのは、「ありがとう」という花を、
お父さんやお母さん、叔父さん叔母さん、
そして、おばあちゃんに届けることぐらい。だけど、
そのはなは、きっとみなさんのこころに「やすらぎ」を
届けると思います。

もちろん、言ったあなたご自身のこころにも、
ありがとうの花が咲くはずです。

花をみれば自然に顔がほころぶように、
あなたの笑顔から咲き出る、ありがとうの花を届けて下さい。

みなさまに、さちあれ。さちあれ。合掌

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有り難し
おきもち

お勉強をしっかりなさい

あなたが本来やらなければならないこと、それをしっかりとやることが一番役立つことなんだと信じなさい。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

感動しました。
自分にできることを精一杯頑張ります。
ありがとうございました。

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