後悔しています
自分は大学入試の英語の試験で隣の人の答案を見るカンニングをしてしまったことをとても後悔しています。
その時は二浪目でもうなぜ大学に行きたいかもよく分からなくなっていて親にそのことを打ち明けたら「やれるだけやってダメやったらその時考えよう」と言われ、なんとなくで受験したのですが、自分は英語が苦手でどうせ落ちるのだしと思い、横の子の答案をみてカンニングしていました。その時ぜんぜんなんとも思わなかったのですが、成績優秀者としての合格が通知されてからだんだんと罪悪感と不正によって利益を得ている自分への嫌悪感がましてきて、自分なんていっそ死んでしまったほうがいいのではないかと思ったり、このままでは地獄に落ちるのでは思ったりして夜も眠れなくなります。
もう二度とこんなことはしないと誓って生きているのですが、ふとした時に思い出してはなんとも言えない不安感?罪悪感にさいなまれます。
どうすればこの罪悪感や不安感を沈められるのでしょうか?
また自分はやはり地獄行きなのでしょうか?
贖うことはできるのでしょうか?
学校に打ち明けることはできない屑な自分ですですが、どうかお力をおかし ください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
嘘から出た誠にしよう
英語の勉強をしてください。
そして、嘘を誠に変えたらいいのです。
成績優秀者にふさわしい英語の学力があればいいのです。
ちょっと順番が前後しただけです。
そうすれば不安も無くなるでしょう。
堂々とできるでしょう。
学校に打ち明ける必要もなくなります。
これからのあなたの努力次第ですよ。
懺悔(さんげ)
仏教では人は罪を犯す事がぜんていです。
しかし犯した後何をすべきか、それが懺悔をし二度と同じ過ちをしない良い行い(善行)をすすんでする。
<懺悔>
人は誰しも罪過を造らずには、生きていけません。
してはならないことをし、言うては成らない事を言い、思うては成らない事を思う。例え一つ一つが軽くても一生の間に積み重なり大きな罪過となり、私たちを引きずり回し迷いをもたらす事となる。
お釈迦様のお教えの元、どんな罪業も懺悔文をお唱えし悔い改め心より善行を行うるならば消滅する事ができます。ご安心下い。
(懺悔文)
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
【現代語訳】
私が、過去に行ったあやまちは、全て始めもわからない深い貪り、怒り、愚かさ(三毒)によります。それは、身体の行い、口の行い、心の行い(三業)から生まれ起きたものです。全てを、私は今、仏様に照らされて悔い改めます。
【コメント】
釈迦の教えは、苦しみから解放され幸せになることです。その苦しみの原因は自己中心的な欲望です。己が今日までに造ったあらゆる罪の報いの恐ろしさを痛感し心から悔い改めることが大切です。
貪(とん)「貪り」
淫欲、財欲、食欲、名誉欲等
瞋(じん)「怒り」
自分を見失い怒りにまかせた状態
痴(ち)「愚かさ」
(貪、瞋、痴)の三毒
心が欲望におかされ道理のない状態は、己の身と口と心から生じたものである。
もちろん、懺悔したからといって全て帳消しになる訳ではない。益々煩悩の深さを知り、心から懺悔し、決して悪業の報いを忘れないことである。 その苦しみから離れるにはあらゆる善行に施すのです。その善行が心より己の喜びとなったとき、そこで初めて懺悔の功徳が現れてくるのではないでしょうか。
無責任な人間、己を見つめ直し懺悔しましょう。
質問者からのお礼
山口秀徹さん
ありがとうございます。ご回答のおかげ私もまだ贖えると思えるようになり、少し心が落ち着きました。
これからは思い出すたびに懺悔文を唱え、自らの生き方を見直し善行を積めるように生きていきます。
聖章さん
とても勇気をもらえ生きる希望が湧いてきました。
このような私に手を差し伸べていただき、本当に感謝してます。
ありがとうございました。