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マインドフルネスについて

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瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。

そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。

どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。

そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。

しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。

マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。

仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

2022年3月8日 8:35

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏教の止観とマインドフルネス

菜の花さま

仏教の瞑想や坐禅をマインドフルネスと混同なさられている方もいらっしゃいますが、色々と似て非なるところもございます。

仏教の場合は、止と観の実践となり、その具体的な方法論としては、中国・日本の仏教の場合であれば、天台摩訶止観、チベット仏教の場合であれば、ツォンカパ大師の菩提道次第論・止観の章に説かれてあるものとなります。

確かにマインドフルネスも、ティク・ナット・ハン師により仏教的なものとして認識されていますが、それもティク・ナット・ハン師による独特な華厳禅的な要素のあるもので、伝統的な仏教における止観の実践とはやや異なっているところがあることには十分に注意が必要でございます。

世間で流布されているマインドフルネスの解説本も、止観行とは違うところが多いため、本当の止観行の実践を学ばれたいとなりましたら、天台摩訶止観もお勧めですが、ツォンカパ大師の菩提道次第論・止観の章が役立つものになるのではないだろうかと存じます。

いずれにしても、仏教の止観行は、「空」をいかにして悟っていくべきかというところに重点があり、マインドフルネスとはその点で大きな違いがあるものとなります。

合掌

2022年3月8日 10:24
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三休さん
二休みも三休みもしてしまう怠け者。三休です。 最新の仏教論考はこちら...
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心にスペースを設けるような感じです

菜の花 様 相談ありがとうございます。

マインドフルネスは、いろんな方法がありますね。
でも、基本は、今ここに、ただ集中していられることですね。
(言葉で表現するのは難しいですね)
菜の花さんも実践しておられますね。
素晴らしいと思います。
で、集中が途切れたり、雑念が入ったり、いろいろ惑わされたりするのは、
誰でもあります。心配いりませんし、完璧にできる人なんていません。
だから、ただ難問に向き合うだけでも問題はありません。でも難問の場合は、すぐに気が散ってしまいますし、悩まされてしまいます。まさに「あっちこっち気持ちが散らかる」ですよね。
ですので、そんな時は、
惑わされてもいいと思い、
優しく自分を取り扱い
優しく自分の呼吸に意識を戻していきましょう。
自分のゆったりとした呼吸に、出る息、入る息に、意識の注意を
優しく戻すことで、悩ましいことを悩ましいこととしてそのまま
受け入れる準備が整っていけると思います。
心にスペースを設けるような感じです。
あとは繰り返し実践して、慣れていくことだと思います。

アドバイスになったでしょうか?
必要なことだけ取り入れてくださいね。
難しければ、何度でもご相談ください。
一礼

追申:お礼メッセージありがとうございました。
当方、コンパッション(慈悲)の瞑想のスクリプト(誘導文)を多少用意しております。よろしければお尋ねください。
ご縁に感謝申し上げます。再礼

2022年3月8日 19:05
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お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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質問者からのお礼

eishun様
ご回答ありがとうございます。止観行は知りませんでした。調べてみました。少しずつ学んでいきたいです。

釋 孝修様
ご回答ありがとうございます。説明がとてもわかりやすく、実践してみたいと思いました。また、わからなくなったら相談させてください。

「仏教における瞑想」問答一覧

仏教の瞑想について教えてください

実家が浄土真宗という事もあり、瞑想に縁が無く、なんとなく勉強もしてこなかったのですが、最近になって仏教の瞑想に興味を持ち、インターネットでざっくり調べてみました。 ですが、まだ分からない部分があり疑問がいくつか解けないままです。 そこでhasunohaのお坊様方に瞑想について詳しく教えていただきたいと思い質問させていただきました。 まず前提として仏教の瞑想には止(サマタもしくはシャマタ)と観(ヴィパッサナーもしくはヴィバシャナ)の二種類があるということ、法相宗の瑜伽や天台宗の止観は止と観を包括することまでは分かりました。 ただ分からないのは禅宗の坐禅と密教の阿字観です 禅は禅定という言葉からして止なのかな?と思ったのですが、臨済宗の公案によって自己を見つめる、というスタイルは観と言えなくも無い様な気がします。 阿字観や月輪観も一見止に思えますが、ウィキペディアの古式の阿字観瞑想の項には、奢摩他(シャマタ)と毘鉢舎那(ビバシャナ)と書いてありましたし、真言宗のお寺のサイトには「阿字観は観を止より重視する」と書かれていました。 真言宗や禅宗のお坊様、或いは仏教の瞑想に詳しい方がいらっしゃれば、お聞きしたいのですが座禅や阿字観は止ですか?観ですか?それとも瑜伽や止観の様に両方を包括するのでしょうか? もし知識としてご存じないなら、実際に瞑想をした体感からくる答えでも構わないので教えてください。 よろしくお願いします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ