檀家でないお坊様の法話を聞きに行て良い?
お世話になっております。
供養や祈願をして頂いているお寺さんには遠方なのですが大変お世話になっています。
私は法話を聞くのが好きで、YouTubeや本で聞いたりしています。
最近、生で聞きたいと思い、公民館で月一回ある法話会に参加しています。
写経することもあります。
お話を聞くのは楽しいのてすが、普段お世話になっているお寺、御本尊様、お坊様に後ろめたい気持ちもあります。
失礼なことをしてきるのかな、あっちもこっちも欲深いのかな、やっぱり法話を聞きにいくのは辞めた方がいいのかなと悩んでおります。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏様さまのみ教えに包まれて、安心をいただいてくださいませ。
仏法に触れることは、様々なお育てに遇うことです。同じ宗旨でも、表現の仕方も僧侶によって違いますから、味わい深いです。(説く教えが違ったら大変ですが、表現は様々だったりするのですよ)お寺の雰囲気(空気感)も印象が変わったりね。住職の人柄など、いろいろです。
私は浄土真宗ですが、お聴聞はどなたが参っても構いません。
ようこそ〜ようこそ〜ですよ。
他のお寺さまも、そうなんじゃないかしら。
是非、足を運んで、仏様さまのみ教えに包まれて、安心をいただいてくださいませ。
一つしか見ないことは視野を狭くする
私の所属する宗派は日蓮宗です。
「日蓮って、他の宗派はだめって言ったんでしょ?」という風によく聞かれます。
おそらくですが、最も排他的・攻撃的なイメージのある宗派でしょう。
ですが、日蓮大聖人は「人が学ぶべきものは儒・外・内の三つがある」とおっしゃいました。
儒とは、儒教のことです。
外とは、仏教以外の宗教のことです。
内とは、仏教のことです。
そもそも、日蓮大聖人や法然上人には一切経(日本にもたらされていた全ての経典)を読んだという逸話があり、最澄上人や空海上人は中国にあったたくさんの御経を読んでいます。
西遊記で有名な三蔵法師、玄奘は中国からインドまで行って各地で修業しました。
それに比べれば、私たち現代のお坊さんの勉強量のなんと少ないことでしょうか。
申し訳ないことに、私は儒も、外も、法華経以外のお経も、それどころか、仏教史上大切な書物のいくつかも、せいぜい触れた程度にしか知りません。
本当に恥ずかしいことでございます。
日蓮大聖人はご自分の信仰の最も核となる『開目抄』という書の序盤にて、『疑い強くして答えを構ふべし』と記しています。
私の書を、疑いを強く持って、論理を見なさいとおっしゃるのです。
学ぶというのはそう言うことであり、多くの人の見解を合わせ、良いものを作り上げることが肝要です。
質問者からのお礼
早速にも温かなお返事ご解答を頂戴しまして感激です(T0T)
ありがとうございます。
日蓮宗の僧侶様、浄土真宗の僧侶様、ありがとうございます。
そうなんですね!ホッとしました!
法話を聞きに行きたいと思います!
ありがとうございました!\(^_^)/