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檀家でないお坊様の法話を聞きに行て良い?

回答数回答 2
有り難し有り難し 50

お世話になっております。
供養や祈願をして頂いているお寺さんには遠方なのですが大変お世話になっています。
私は法話を聞くのが好きで、YouTubeや本で聞いたりしています。
最近、生で聞きたいと思い、公民館で月一回ある法話会に参加しています。
写経することもあります。
お話を聞くのは楽しいのてすが、普段お世話になっているお寺、御本尊様、お坊様に後ろめたい気持ちもあります。
失礼なことをしてきるのかな、あっちもこっちも欲深いのかな、やっぱり法話を聞きにいくのは辞めた方がいいのかなと悩んでおります。
よろしくお願いいたします。

2022年3月11日 18:43

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様さまのみ教えに包まれて、安心をいただいてくださいませ。

仏法に触れることは、様々なお育てに遇うことです。同じ宗旨でも、表現の仕方も僧侶によって違いますから、味わい深いです。(説く教えが違ったら大変ですが、表現は様々だったりするのですよ)お寺の雰囲気(空気感)も印象が変わったりね。住職の人柄など、いろいろです。

私は浄土真宗ですが、お聴聞はどなたが参っても構いません。
ようこそ〜ようこそ〜ですよ。
他のお寺さまも、そうなんじゃないかしら。

是非、足を運んで、仏様さまのみ教えに包まれて、安心をいただいてくださいませ。

2022年3月11日 19:42
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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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一つしか見ないことは視野を狭くする

私の所属する宗派は日蓮宗です。
「日蓮って、他の宗派はだめって言ったんでしょ?」という風によく聞かれます。
おそらくですが、最も排他的・攻撃的なイメージのある宗派でしょう。

ですが、日蓮大聖人は「人が学ぶべきものは儒・外・内の三つがある」とおっしゃいました。
儒とは、儒教のことです。
外とは、仏教以外の宗教のことです。
内とは、仏教のことです。

そもそも、日蓮大聖人や法然上人には一切経(日本にもたらされていた全ての経典)を読んだという逸話があり、最澄上人や空海上人は中国にあったたくさんの御経を読んでいます。
西遊記で有名な三蔵法師、玄奘は中国からインドまで行って各地で修業しました。

それに比べれば、私たち現代のお坊さんの勉強量のなんと少ないことでしょうか。
申し訳ないことに、私は儒も、外も、法華経以外のお経も、それどころか、仏教史上大切な書物のいくつかも、せいぜい触れた程度にしか知りません。
本当に恥ずかしいことでございます。

日蓮大聖人はご自分の信仰の最も核となる『開目抄』という書の序盤にて、『疑い強くして答えを構ふべし』と記しています。
私の書を、疑いを強く持って、論理を見なさいとおっしゃるのです。
学ぶというのはそう言うことであり、多くの人の見解を合わせ、良いものを作り上げることが肝要です。

2022年3月11日 19:07
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けいじょう
日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐...
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質問者からのお礼

早速にも温かなお返事ご解答を頂戴しまして感激です(T0T)
ありがとうございます。
日蓮宗の僧侶様、浄土真宗の僧侶様、ありがとうございます。
そうなんですね!ホッとしました!
法話を聞きに行きたいと思います!
ありがとうございました!\(^_^)/

「お寺全般」問答一覧

過去帳は絶対に必要ですか、

お世話になります。 10年ほど前に父が亡くなり、先日母も亡くなりました。 その時葬儀を行ってもらったお寺さんから「過去帳は?」と聞かれて初めて過去帳を作っていない事に気付きました。 父が亡くなった時にも言われたと思うのですが、失念したのだと思います。 そこで今回改めて過去帳とはどんなものか調べてみて、必要なものかどうか分からなくなってしまいました。 過去帳には先祖も記録するらしいのですが、父母共に7人兄弟の末の方ですので、それぞれの本家の過去帳には先祖代々記載されていると思うのですが、うちの場合過去帳の記載は父から始まる事になるのではないかと思います。 ただ、父母を記載してのち、この過去帳を継ぐ人がいません。 私は独身で、兄が居ますが遠方にほぼ婿のような形でお嫁さんのご両親と二世帯住宅で同居しており、疎遠です。 兄は父母の介護・病気・入院などにも経済的・人的負担は全く負わず、父母が亡くなる前後は私から連絡を取りましたが、普段はほぼ関わりがありません。 また、私が結婚しないことや病で長らく働けないこと等から厄介者として見ているようで、連絡を取るときも基本メールで電話を掛けてこないよう言われています。 この先私が亡くなった場合は死後事務契約を考えており、火葬のみで散骨にするつもりだという事は母の葬儀で会った時に兄に伝え了承を得ました。 その時に、私が死んだ場合は私の手元にある父母の位牌をそのタイミングで兄が引取るそうですが、過去帳については既にお嫁さんの家の物があり、あちらのお父様がそれに父の分も記載済であるので不要と聞かされました。 墓は両家連名で建てており、今は父だけが眠っています(両家共に曹洞宗です) 私が今父母だけを記載した過去帳を作っても、どこにも行き場がないように思います。 命日や戒名は位牌や今後の法要の予定を書いた一覧表みたいなものをお寺さんから頂いているので供養する際困ることはないと思うのですが、それでも無ければならないものでしょうか。 お坊さんのご意見を伺わせてください。

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名古屋で日曜学校をしているお寺

私の親はちょっとした毒親でした。 賢くなれ、強くなれというメッセージはしっかり受け取りましたが、 優しさや思いやりは一切ありませんでした。 (体調不良で吐いたら怒鳴られた思い出があります) 両親、祖父母が不仲で、争いの絶えない家庭でした。 私が思いやりを学んだのは家庭でも学校の道徳でもなく、本やお寺の日曜学校でした。 日曜学校に通っていなかったら私も母のような人間になっていたと思います。 そんな私が二児の母になり、自分の母にされて嫌だったことだけは絶対にしないと思いながら育児をしていますが、 残念ながら夫とは不仲になり、離婚にも応じてもらえず、家庭内がピリピリしています。 (子供たちは鈍感なのか何も気づいていない様子ですが) 子供たちには穏やかな人間になって欲しいと思っていますが、 私自身が穏やかでないのに、穏やかな人間に育てられる気がしません。 私が知っている偉人のエピソードや、お釈迦様の話をしたところで 「お前が言うな」って感じです。 日曜学校に通わせて、まずは心を落ち着けることから覚えてほしいと思っています。 (二人とも発達障害傾向があって落ち着きがありません) ネットで調べてみましたが、日曜学校自体、今はあまりないのですね。 更にコロナ禍でもっと減ってしまったようです。 名古屋で今も日曜学校をしているお寺さんがありましたら、教えて下さい。 よろしくおねがいします。

有り難し有り難し 8
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ