見返りを求めてしまいます
こんにちは。お忙しい中、相談を見ていただきありがとうございます。
私には何かをした時に見返りを求めてしまう癖があります。
同僚を手伝う時、何かを取り仕切る時、親の手伝いをする時等…
相手の幸せを考えて、素直に行えるようになりたいと強く思う一方で、どこかで見返り(感謝されたいや認められたいなど)を求めている自分がいます。
しかも相手に下心が薄々伝わってしまう(本当はそんな下心抱きたくないです)→思うような反応が得られない→さらに見返りを求める という負のループにハマってしまいます。
見返りを求めそうになった時、どう考えればいいのか分からず、コントロールできず、モヤモヤしてしまいます。
お坊さん方の知恵をお貸しください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
見返りのために善意を行うなら貫く
ほのかさん、善行お疲れ様です。人のために何かするのも大変な労力です。ご自愛下さい
私は見返りを求める理由であっても、善行はしないよりした方がよい。相手に下心がみえてしまうときがあると言いますが、こちらは場合によっては命を張ってる時もあるのだから、報酬が欲しいくらいですよ。
このように善行が出来るのはあなたがしているのではありません。あなたの縁起、ご縁がそうさせているのです。
達磨大師と中国の梁の武帝の問答
武帝「私は仏教興隆のため、寺院建立や僧侶増加、写経などをしてきた。私にどんな功徳がありますか?」
達磨「功徳なんか無いよ」…
この問答で達磨さんは武帝を怒らせました。言葉足らずだったので私が付け加えるとしたら。「功徳なんか無いよ。てゆうか、もう功徳あるよ。この国が穏やかで平和なのはあなたのお陰ですよ。お寺を作り僧侶を増やし、人々の心の拠り所を増やしたことは王である財力と権力を持ったあなたしか出来ませんよ。」
これが縁起ですね。自分の立場により出来ることは違います。今あなたが出来ることはあなたが色々な人に助けられて生きてきた証です。あなたの価値観が見返りを求めているだけでパンを買って、お金を支払う感覚と何も変わらないのです。だったらそれを貫く気持ちで生きなさい。無理しない程度に。
こんにちは
誰かのために何かをしたら「ありがとう」くらいは言って欲しいものですね。
あなた自身も家族や同僚、友人から何かをしてもらったら、どんなに小さな事でもしっかりと大きな声で丁寧にお礼を言うようにするといいですよ。あなたの「ありがとう」を聞いてうれしいと思った人は、他の人に「ありがとう」を言うようになるものです。気持ちの良いことですのでこれは周囲に伝染します。そしてまわりまわってあなた自身がお礼を言ってもらえるようになるでしょう。
さて、例えば家の手伝いとして、あなたはお風呂のお掃除をしたとしましょう。家族からはお礼を言われなくても、あなた自身がお風呂に入った時、きれいなお風呂で気持ちが良いなぁと思うでしょう。ああお風呂をきれいにして良かった、ってなると思います。その気持ちは、あなたがお風呂をお掃除した見返りといえるでしょう。
例えば会社の新年会を取り仕切ることになった時、頼んだ人(上司など)からは特にお礼がなかったとしても、新年会をしている時の楽しさとか周囲の喜んでいる様子をみたり、無事に終わったときの満足感はあなたにしか味わうことのできない事です。これ以上の見返りはないでしょう。
人の手伝いや命令を、やらされていると考えるのではなくて、楽しんで相手のことを思ってやることが、結果として自分自身へのご褒美になるんじゃないのかなぁって思います。
質問者からのお礼
御二方の回答を拝見し、人が喜んでいる所を見て自分も嬉しくなる気持ちを思い出しました。認められたい気持ちに潰されていましたがたしかに、何かをしたことによって周りが喜ぶことは見返りなのだと感じました。気づきを与えてくださり、ありがとうございました!