仏様に懺悔を預けた際などの反応について
最近また悩みが発生したため、ハスノハを訪れては様々な質問や回答を参照し、自分の将来への糧にしようと努力しています。
様々な回答を拝見していく中で、一つ疑問に思ったことがあります。
「過去に起こした過ちや罪悪感をため込んで苦しい」という趣旨の質問に対しての多くに、「仏さまに詫び、許してもらう」や「仏さまにつらいことを預ける」という主旨の回答(多少違うかもしれませんが)がありました。
確かにそうすることで、当事者は過去の懺悔を清算でき、「幸せ」とまではいかなくとも「平凡」な生活をすることができるのだろう、と思いました。
しかし、仏様がそれを受け取り、また詫びを許す、などに関して、実際にそれを視認することはほとんど不可能なのではないかと思うのですが、どうしてお坊さんはそれを認識できるのでしょうか。
ちなみに、仏様が許さなかったことや受取を拒否されたことはあるのでしょうか。
これからもつらい時にここに頼りたいからこそ、どうしても気になってしまいました。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏は懺悔を拒まない
"仏様"という存在を視認できないのに会話出来るかってのは気になりますよね。
仏像と話してたらそれはそれで不気味に感じる人もおることでしょう。
例えば、「師匠だったらなんて言うだろうか」と目の前にいない師匠に教えを受けることができます。
あなたの心の中に映った像ではありますが、それは間違いなくあなた以外の存在なのです。
理屈を言ってしまえば、
「あなたの心の中の"仏様な部分"」に問いかけるのです。
もちろん、その時には許してくれないこともあるでしょう。
しかし、償いの道は示してくれるはずです。
仏様とは、全ての人にカスタマイズした教えを授かることができる人が受け取る称号なのですから。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
やはり結局は「自分」なのですね…。
なんか複雑で難しいですね。。。