人格否定について
奥さんから、モラハラを受け1年ほど前に離婚しました。
夫婦生活は1年ほどで共働きでしたが、奥さんは家事の分担など二人で決めたことを破ったり、自分の家のルールを怒鳴って強要したり、寝る間も音楽をかけて眠れないようにしたり、悪口や陰口をほとんど毎日していました。約束を守らず注意してもそのたびに自己肯定感が低いからと言って、一日中テレビを見ているだけでした。
私は過労で寝込んでしまったのですが、迎えにきた私の両親に家事をしたくないと言ったのが気にさわったらしく、戻ってきた私に、[倒れたのは家事をやっていたお前の自業自得、掃除や料理をやっていることが私の負担になっている、お前が私のために食べ物を選んで料理を作っていること自体が私を否定している]と言われ、私はショックで不眠症になりました。
健康志向だからといっていたので、図書館で本を読んだり休日も休めるよう進んで私が家事をしていたのですが、そう言われて自分の信じていた思いやりや人格を否定された思いです。
奥さんは道徳の教師でカトリックだったのですが、外で人への思いやりについて教えているのに、家ではウソをついたり、悪口を言ったり何を信じればいいのかわかりませんでした。
離婚こそできましたが、受けたことのフラッシュバックが起き、私は自分の人間的な感情や人格を否定され、何を信じればいいのか自分の心が死んでしまったような感覚です。
私の中に自分を否定するような感覚があり、この気持ちを取り払いたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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夫婦に誠実であろうとした、その事実を大切に
映画好きさん、こんにちは。
私も映画大好きです。
「夫婦生活は1年」だったそうですが、よくこの状況を「1年」も耐えられたなと正直思います。
「自分の家のルールを怒鳴って強要」というのは、百歩譲って、まあ夫婦によってはそんなケースも有るとも思えますが、「寝る間も音楽をかけて眠れないようにしたり」は別格です。映画でも自白を強要するようなシーンで見たことがありますが、これをリアルでやられたら精神が持たなくなるのは必然です。
あなたは、夫婦として誠実に、忠実に、真面目に自らの役割を果たそうとしたのでしょう。言われても、やられても夫婦であろうとした。助け合うのが、思いやりを持ち合うのが夫婦だと。あなたの実直な人柄が伺えます。それは、あなたの美徳と言えるでしょう。
しかし、真面目にということが反面マイナスに働くこともあると思います。
それは、「私は自分の人間的な感情や人格を否定され、何を信じればいいのか自分の心が死んでしまったような感覚」、「私の中に自分を否定するような感覚」と書いているところです。
真面目だからこそ、相手の主張を正面から受け取ってしまう。
一見、暴論であったり、暴力であったりするものが日常化すると、もしかしたら相手が正しいのかもしれない、こういう扱いを受ける自分に問題があるのでは、と自省的になってしまうのです。
これが逆の性格だったらどうでしょう。暴言を受けたら、すぐさま何を!と反論する。暴力を受けたらやり返す。そういう反応になります。
しかも、元奥さんには「道徳の教師でカトリック」というラベルがある。一般社会的に一目置かれる教育者、聖職者、篤信の信者である。その人が言うこと、することなのだから一定の理があるはずだ。もしかしたら自分のほうが間違っているのでは、いやそうなんだ。
こういう経験の繰り返しと、自分を常に引っ込める思考があなた自身を参らせてしまったのだと思います。
「何を信じればいいのか」、それは今すぐに見つけられないかもしれません。私はその「何」を押し付けたりしません。ただ、自分は夫婦に誠実であろうとした正直者であった。今の段階で、そのことだけは「信じればいい」のだと思います。あなたは精一杯努力した、頑張った。その事実を事実として胸のうちに収めてください。まずはそこからです。
ジャイアンが悪い
たまたま身勝手なジャイアンと結婚してしまっただけです。
悪いのはジャイアンです。
あなたが自分を責める必要はありません。
ただ、あなたの女性の好みが、そのような強引なタイプが好きである場合、次に新しい恋愛をしてもまた同じようなタイプを選んでしまう可能性がありますので、そこは意識して気をつけましょう。
過去は過ぎ去りもう無い。
瞬間ごとに新しい自分に生まれ変わっているのだから、新しい今日の自分をちゃんと操縦すればそれで良いのです。
質問者からのお礼
御返事ありがとうございます。
心の整理のため、相手がしてきたことを書き出してみることにしました。
今は自分の興味のあることにチャレンジして少しずつですが、あせらず前に進んでいきたいと思います。