発達障害者としていかに仏教から学ぶべきか
たびたびお騒がせ致します。いい年齢をして、老親と同居しつつささやかな自営業を営んでおります。発達障害にて手帳と年金の恩恵にも浴しており、国家と社会とへ、いつも深い感謝をいだいております。
とはいえ、片親が死にかけており、その人が世を去った場合、すぐに困窮するということはありませんが、それでも今後何かと頭を悩ますことも出て参りましょう。なんとか勇敢に向かい合って参りとうございます。そのための力を自分にとって縁深い仏教から得てゆきたいと念じてやみません。
ただ、これまでの人生において「生きづらさ」からの救いを求めていくつかのお寺さんの聞法会に通ったりもしましたが、決してお寺様やそこに集う法友のせいではなく、私自身の至らなさ(むろん障害と無縁ではありません…)から結局疎遠になってしまいました。私自身、私のせいではありますが、心に痛みを覚えたこともございます。まさにいわゆる「ヤマアラシジレンマ」そのものです。どうしたら、こういう失敗を繰り返さずに済ませられるでしょうか。
むろん、一般的な人間関係については主治医さんや専門家さんで相談できる相手に恵まれておりますが、こと仏教がからむとどうにも相談しづらいというのが率直なところでございます。回答僧諸師から厳しくも率直なアドバイスを頂ければ幸甚至極でございます。私自身お寺に通うばかりが仏教と結縁する道ではないと思いつつあります。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こうして仏縁に遇えたことを、共に喜ばせていただきましょう。
どんな時もある。いのちをかけて、人生を問い、悩みながらも、求め続ける あなたのそばで。
それでも見離さず、一緒に生きてくださる仏様なのですよ。
ひとりじゃないよと呼んでくださり、包んでくださる。
私たちは、そうやって仏様に想われて、願われて、繋がっています。
お寺参りも、行ける日もあれば、そうでないときがあってもいい。仏様は、誰も責めたりなさいません。
お寺によっても雰囲気があります。行きにくい空気もあったのかもしれません。
あなたが思うように、手を合わせて参られたらいいのですよ。
失敗などではないのです。こうして仏縁に遇えたことを、共に喜ばせていただきましょう。あなたも私も、法友ですよ。
質問者からのお礼
中田三恵先生:
毎回のことですが、幾日も幾週間も幾か月も心に響き、心を温めてくださる御回答の数々、衷心より御礼申し上げます。
中田先生から今般うかがったことをベースに、自分に与えられた条件下で可能な聞法に勤しんで参ります。今という時代はいろいろな聞法手段があることをうれしく感じております。画面の向こうに御慈容を拝しつつ、心より御礼申し上げます。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
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(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
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