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「自分が」という感情を抑えたいです

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12年程前に育児ノイローゼのようになりました。
常にイライラして怒り続け、暴力も出て、エスカレートしていく自分が止め方られなくなりました。
精神科に行ったり、めまいでメニエール病と診断もされました。

数年悩む内に「自分は人を大切に出来ない人間だ」と思うようになりました。

当時の旦那さんに「お母さんをやめたいと思ってしまった、怒るのを自分で止められない、どうしたらいいか分からない」と助けを出しましたが「大人だから自分で何とかして」と言われ見捨てられた気がしました。

最終的に「子供をもっと傷つける前に、自分を子供から離さないといけない」と思うようになり、10年前に離婚して家を出ました。

当時の旦那さんに「もう連絡しないでほしい」と言われ連絡もしなくなりました。

離れて数年たち、子供を大切に思っていたから自分を離さないといけないと思ったのかも、と思うようになりました。

3月中旬に突然子供達から連絡がきました。
長男が大学入学、次男は高校入学、会いたいと言ってくれました。

約10年ぶりに会いました。
「子供達には悪かったところは1つもなく、私が自分をコントロールできなかったせいで、大切に思っているのに大切にできなくてごめん。産まれてくれてありがとう」と伝えました。
子供達は本当に良い子達で、ハグしようと言ってくれました。
会えたことを喜んでくれたように見えました。

会った後、突然昔感じた感情を感じ、今イライラすることなんて1つもないのになんだろうと考え、心配でいてもたってもいられない感情なのかも、と思いました。

当時も心配でたまらない感情とイライラを全部ごっちゃにしていたのかも、と思いました。

その感情に気づいてから、
私の事をほとんど覚えていなく今更悲しいこと
2人の成長を見守れなかったこと、
今更子供達と少しでも絆がほしいと思ってしまった事が辛いです。
どうにか折り合いをつける考え方のヒントがほしいです。

こんな産みの母を持ったのに、まっすぐ元気に育ってくれて本当に良かったと心から思っています。
自分の感情なんて図々しい、と頭では思っても、自分が、という感情をうまく抑えられず、常に考え続けてしまいます。

突然涙が出てきたり、めまいも出てきてしまいました。
「自分が」という感情を抑えるヒントのお言葉を頂けたらありがたいです。よろしくお願いします。

2022年4月14日 8:48

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

抑制より成仏

成長した二人を見れてよかったですね。

あの時のソーシャルディスタンスを保つ辛い選択は間違いじゃなかったですよ。

人生経験が積み重なっていくにつれて、幼き古い記憶は薄れていくのは、みんな同じです。そこはみんなが通る道です。

『自分が』は消滅より転用をオススメします。
子どもさんのためにお金を貯める。
就職、結婚、万一元夫さんが要介護になった時など、エリさまとの絆が必要とされる状況はでてきますよ。

頭で感情を抑制したい気持ちは分かりますが、たいがい失敗することが多いです。
押さえつけようとするから葛藤がストレスとなり、心身のバランスを崩す人を私はたくさんみてきました。
理性も感性もどっちも生きる上で必要なので、共存路線をオススメします。

子どもは親の無事をいつまでも願ってると思いますよ。
まずは自分だけでなく子のためにも『自分が』健康でいること。
よろしくお願いします。

2022年4月14日 17:02
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有り難し
おきもち

泰庵  一法
「変えるべきは自身ではなく歩む方向」「時間とお金の使い方」「向きが変われば...
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自己にも元々「わたし」という主語が「ない」と知る

「わたし」という意識はこの身心に起動した不要なポンコツアプリのようなものです。寝ている時に私という意識はないでしょう。あればあるほどわがままでエゴイストになるから害悪そのもの。某国の独裁者をご覧ください。みんなめーわく。
だから我・私という意識を手放すことが人類の義務。そうでないと永遠の中二病が続くのです。
深い坐禅・瞑想状態に入ることで「私」という意識は起動しなくなる。ですが、意識がないわけではなく、私という意識からフリーな状態で安楽なのです。主人公をわがままで主語の強い私意識にするから苦しい。
ONの時には自分の都合が立つ。
OFFの時は自分の我が立たないから「自分が自分が」という意識が起こらない。
我をおさめたければマトモな指導者の下で坐禅をまなぶことです。
この世に生まれた時の事を振り返ってみましょう。
オギャー。👶
吾輩はあかちゃんである。
いや、赤ちゃんではなく、ナンダコリャ。感じる。これそのもの。それそのものだ。
名前はまだない。たのむからキラキラネームだけはやめてくれ。
この大らかな世界と同化していた存在に勝手に小さな囲い、名前をつけないでくれ。🐈
人は本来名無しのごんべぇ。ごんべぇという名前すらない。
なぜならこの世は常に新しい時という滝に洗い流され続けているからだ。
さっきの様子はもうどこにも存在しない。(あなたも)
それが人の体・心の真相である。私という意識とは関わりなしに。☚ここ大事
😼
吾輩は自分が自分・私であるという意識なしに存在している。
「われ思うゆえにわれあり?」嘘だ。身心はあっても我はない。それは後からラベルを貼っただけ。
知らずに呼吸をしている。
自分と世界との境界線はまだない。
目を開ければ見たくもないものも映す。
聞きたくもないのに耳は音を拾う。
いつから人は、この自分の身心を私とか自分と名づけたの?
どうして、自分を認めて自分が自分がと自分の中心を認めたの?
自分だけが正義で自分だけが正しいと思い、自分だけのおかしなルールで相手にまでそのルールをしいるのか。自分ですら苦しいのに。それがマイルール。
いっそのこと、我という意識だけOFFにすればよい。
只ものが映る、聞こえる、感覚があるだけじゃ。
その映し出される世界とはこのわが身とはいつでも無条件でともだち。
吾輩(貴女)を嫌うこともなく追い出すこともないのだから。

2022年4月15日 22:00
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

泰庵様
優しい回答ありがとうございます。

「あの時のソーシャルディスタンスを保つ辛い選択は間違いじゃなかったですよ」
というお言葉に号泣しました。

そして「自分が」は消滅ではなく転用、
思いもしない教えを頂き、目からウロコとともに、心の締め付けがゆるみました。
そういう工夫もできるんですね。
やってみます。
少しづつ貯めてたお金に今後も足していきます。

理性と感性の共存、
感性はあってもいいんですね。

私にとって救いになるお言葉をたくさん頂けて、少し足に力が入りました。

日々の生活をきちんとおくり、健康にすごせるよう頑張ってみます。
また困ったら頂いたお言葉を何度も読み返して元気をもらいます。

ありがとうございました。

丹下 覚元様
回答ありがとうございます。

難しい内容で、すぐに理解はできないですが、何度か読み返していくうちに、なんとなくイメージがわくような気がします。
なかなか外に学びに行く体力はなさそうですが、座禅や瞑想について少し調べてみようと思おます。
ありがとうございました。

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