心配しすぎる性格を治したい
子どもの心配をしすぎてしまうのがつらいです。
中学生の子どもに対して、心配しすぎてつい先回りをしてしまいます。忘れ物を無理にでも届けたり、疲れすぎないように困らないようにと日々あれやこれやと考えてしまいます。本人にも面倒がられますし、成長の機会を奪っている気がします。
ペットがいるのですが、この子も子どもと同じです。コロナを機に在宅の仕事に切り替えてからというもの、それまで普通にさせていたお留守番が可哀想になってしまい、日々の買い物すら罪悪感いっぱいです。いつも焦って出かけるのでつらいです。
自分が暇だから気になるのでは?と思ったこともありますが、仕事も日々わりと忙しく、それほど子供のことで頭いっぱいにできる環境ではないのです。
でも、子どもが電車通学している時間は、正直心ここに在らずになってしまいます。(学校は信頼できる学校なので、着いてしまえば安心できます)
昔はそこまで臆病な性格ではなかったと思います。主人が忙しく、乳児期に子どもにひどいアレルギーと持病(今は完治)があり、張り詰めたワンオペ育児をしたことも要因かなと思っています。
親やきょうだいからも「心配性すぎる」「もっとおおらかに」と言われます。でも、おおらかな人に「細やかになれ」と言っても難しいのと同じく、心配性な私はそう易々と「おおらかに」なれないようです。
毎日辛いですし、自分で自分が嫌になります。
もう少し、心の緊張をほどきたいのですが、どのようなことを心掛けて過ごせば良いでしょうか。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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子どもの今を心配することと、将来を心配すること。
大切なお子さまを心配するお心、とても尊いことと感じます。
ご相談内容を拝読しまして、その心配されるお気持ちを、少しの将来、またその先の将来へ向けられたらと思いました。
小さいころから何でも親が手を出し過ぎてしまうと、温室育ちといわれるような、ひ弱な人になってしまうかもしれません。そうなってしまっては大切なお子さまの将来に大きな不安を抱えてしまうことになってしまいます。
ことわざに、「可愛い子には旅をさせよ」「ライオンは我が子を千尋の谷に落とす」など、古くから私たちの戒めとして語り継がれてきたのは、まさに、私たちが目先の不安に振り回されやすいからこそです。
ただ、ご相談者さまは、お子さまの成長の機会を奪っているかもしれないと自覚されながらも、なお、心配でしかたがなくなってしまうということですね。
余命宣告を受けたお母さんが、5歳の子どもにお味噌汁の作り方を教えるという実際のお話が大きく取り上げられたことがありました。そのお話が参考になるかと思うのですが、心配されるからこそ、その大切なお子さまに、そのお子さまの将来へ向けて、何を伝えていくことができるのか?
それがご相談者さまご自身の中で明確になっていくほど、お気持ちは収まれていくのではないかと思います。
とはいえ、今度はその気持ちをお子さまに押し付けてしまってはいけないし、、、
など、やはり親は、お子さまとともに、いつも向かい合いながら、共に成長していくものだと思います。
ご相談者さまの心配されるお気持ちを感じることのできる、立派な人に成長されると思いますよ。