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恐怖を忘れることは良いことか?

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お世話になっております。いつも温かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。

今回お聞きしたいのは、「恐怖を忘れて過ごすのは良い傾向なのか?」というものです。

以前より、死の恐怖を克服する方法についてご教示頂いております。怖くなったらお念仏を唱えたり、仏教に関する本を読んだりして、少しでも悟りに近付けるよう勉強しています。

その中で、以前よりも、恐怖を感じる時間が少なくなっていると感じます。しかし、決して死が怖くないわけではなく、ただ別のことに気を取られて恐怖を忘れているだけなのです。
日々が忙しくなるとそのような「忘れている時間」が増えていくのですが、隙間の時間に死の恐怖を思い出して、絶望感に苛まれます。

そこで、
・死の恐怖を忘れている時間は、仏教の修行的にはあって良いのか?それは、克服へと繋がっているのか?
・それとも、何度も恐怖を思い出し、その度に勉強したり念仏したり…と繰り返す方が好ましいのか?
の2点について、ご教示願いたいです。

どうしても、文献に触れたり念仏を唱えたりすると、死の恐怖を連想してしまうので、精神的に疲弊してしまいます。そのため、どうでもいい娯楽で恐怖を誤魔化してしまうこともあります。
一方で、死に対する絶望感から、「早く死の恐怖を全く感じないようになりたい」と思い、つらくても修行した方が良いのか、と思うこともあります。
また一方で、自分のしたいことは「死の恐怖の克服」だけではなく、ほかの勉強や趣味にも勤しみたいので、少なくとも現状では、やることを仏門修行だけに絞るのは避けたいと思っています。

長文かつ、わかりづらい文章になってしまい、申し訳ございません。お時間ある時で構いません。ご教示頂けますと幸いです。

2022年4月19日 20:34

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死隨念

仏教の修行法の一つに、死について観察する死隨念があります。
 誰でも必ず死ぬ、私も必ず死ぬ、という、当たり前なのに何となくみんな避けている現実を正しく冷静に思いながら生きる、特別な修行というより毎日の生き方の訓練です。
 どうしても、死と死別が怖いので、人はなるべくそれを考えないようにするのですが、それだと、いざ自分や親しい人の死に出会うと、冷静でなくなり取り乱し、しかもその状態で死ぬと恐れ=怒りで死ぬので、来世があるとすると転生先にも影響してしまいます。
 普段から落ち着いて、今ある幸せも本当は私のものではない、借りているだけ、いつかは全部返して手ぶらで次に進まなければならない、というふうに生きると、最初は悲しみや恐れが出ますが、やがて、それが真理だと落ち着けるようになります。落ち着くと、生き方もよりしっかりしてきます。
 スマナサーラ長老のYouTubeに死について語ったものがあります。誓教寺ホームページ https://seikyoji.jimdofree.com/ に『死ぬ覚悟できてますか?』という冊子が画面で見られます。ご参照ください。

2022年4月20日 8:32
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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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一日一日を大切に

拝読させて頂きました。
あなたが以前から死について恐怖を抱いておられること、そして以前よりもその恐怖がうすらいだりなさっておられることを読ませて頂きました。今までの回答を参考になさりあなたが日々の生活をご精進なさっておられる様に感じます。
ご質問の死の恐怖を忘れることが良いことなのかどうかは正直なところ分かりません。
私達は誰もが生きており必ずその死がきます。それを本当に忘れることができることはないのではないかと思います。ただ毎日あわただしく生きていたり、毎日を充実して生きていたりするといつの間にか死を忘れている間もあるかもしれませんからね。
元気で健康な人は自分はまだまだ元気で生きていけると信じているでしょうから、次の瞬間には自分が死ぬとはなかなか思わないでしょうし、しばらくは生きていられると思っておられるでしょうからね。
とはそれはあくまでも仮のことに過ぎません。もしかしたら今この瞬間にも自分が死ぬ時が来るのかもしれません。来年にはもう死んでしまうかもしれませんからね。
それは誰もが厳密にはわからないことなのです。ただわかっていることは私達は誰もが死ぬということなのです。
あわてることでもないかもしれませんし、それによって動揺したり錯乱してしまうことではありませんけれども、いつかは必ず死ぬということを心にとどめながらもかけがえのない毎日を自分のできることをできる範囲で誠実にお向き合いなさり一つ一つ行っていくことは大切かと思います。
私もここハスノハで回答させて頂いておりますが、もしかしたら今この回答が最後の回答になるかもしれないと思うことはありますよね。ですからできるだけ誠意を込めて一つ一つ回答させて頂こうと思っております。逆にその一つ一つの積み重ねが大切なことでしょうし、一つ一つが大切なご縁かもしれませんよね。
人生は旅の様なものですから、袖ふれあうも多生のご縁ですし、旅は道連れ世は情けかもしれません。一期一会の一つ一つがとても大切かもしれんよね。
どうか死を思いながらも一日一日を一瞬一瞬を一期一会を大切に生き抜いて下さいね。あなたを心より応援させて頂きます。

2022年4月20日 17:03
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

藤本晃(慈照)様
お礼が遅くなり大変申し訳ございません。「借りているだけ、いつかは全部返して手ぶらで次に進まなければならない」というお言葉、大変わかりやすく、勉強になりました。「死」を忘れずに日々を生きることが重要なのですね。まだ恐れが強いですが、しっかり生きていけるよう、頑張ります。
スマナサーラ長老の動画、存じております。今後も拝見させて頂こうと思います。また、ご紹介いただいた冊子もぜひ拝見させて頂こうと思います。

この度はあたたかなご回答、本当にありがとうございました。

Kousyo Kuuyo Azuma 様
お礼が遅くなり大変申し訳ございません。精進できているとのお言葉、本当に嬉しく思います。死の恐怖に立ち向かうべく質問させていただいて一年ほどたちますが、前進できているのか常に不安でしたので、安心しました。
やはり死を思うことは重要なのですね。精神を乱すほど焦ることではないけれど、死を適切に意識しながらも安心して生きられることを最終的なゴールにしたいと思いました。すごく難しいことだと思いますが、ご回答いただいた通り、ご縁を大切に、できることを一つ一つ行うことで少しずつ精進したいと思います。

この度はあたたかなご回答、本当にありがとうございました。

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