批判を掲示板に書き込んでしまった事を後悔
初めまして。
子育て動画を配信されているチャンネルを見つけ、楽しそうな家族のファンになり、配信される動画を楽しみに見ていました。
しかし、徐々に配信される内容にビジネスを感じ、子供のプライバシーや守られるべき内容までを配信されていることに疑問を持つようになりました。
動画内でしかわからない事ですが、子供にとって危険な行為をさせたり、ある病気の人が見たら心苦しむような内容の動画を配信するようになり、私はコメント欄で丁寧に指摘をしました。
ところが、気がつけばそのコメントが削除され、ブロックされて二度と書き込めないようになっていました。
私は好きなご家族だったからこそ、「気がついてほしい」という勝手な正義感ですが意見を言いました。
どうしても腑に落ちず、検索してみると私と同じような人達があつまる掲示板を見つけました。
その掲示板には色々な人がいて、私のように子供が心配がゆえという人もいれば、単純に誹謗中傷のような事を書き込む人もいました。
私はそこに「子供にそんなことさせるなんて危険だと思う」等と批判を数件書き込んでしまいました。
私の勝手な物差しで判断して、理不尽な書き込みには「そういうことを指摘するのはよくない」等とそこでも正義を振りかざしていました。
私は自分が人生で初めて幸せな日々を送るようになり、その心の余裕を豊かな生活の向上に向けるべきだったのに、コロナ禍で閉じ籠もる事が多く
ネットばかりで、他人の指摘や批判をしたことを、本当後悔して反省しています。
その動画の子供が大きくなり、いつか自分でネット検索をした時にその掲示板を見つけてしまったらと思うと、私のした事は結果的に子供を傷つけてしまったと後悔しています。
澄んだ瞳の我が子と見つめ合うと、こんな心の汚い母親で、申し訳なくて生きている事が毎日辛いです。
これをきっかけに、昔の出来事を沢山思い出して自分という人間を毎日批判して、自問自答して苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
批判するなら最高のクオリティをめざす
「世界一賢いスネ夫がジャイアンと世界を救う」という法則があります。
菩提心の話です。
批判がいけないのではなく、批判したことによって生まれる結果、どうなるか。どうなったか。そこを学びにする。良い効果を生むか。生んだかどうか。
助言をしても相手に良いカタチで響かなかった、届かなかった、ブロックされた、ダメだったら、そこで凹んでも誰も救われない。
市町村でも提案や改善案、アイデアを出して皆が喜ぶようナイスなアイデアを出せばそれは批判を超えて「布施」です。グッドアイデア(・∀・)イイネ!!
菩薩のナイスアドバイス法。
それは相手の心情を読みとって高い立場でも低い立場でもなく同格・同心・同事の精神で施しを行ない、自分と相手(他)にとって利益となるような行になるように工夫して上手に批判すればそれは「愛語」となり、おおきな功徳となるのです。
あなたは単に上手にご助言ができなかったというだけでしょうから、そこまで反省する必要はありません。言い方伝え方、表現方法を改善すればいいのです。
相手を思うのであれば、それも伝えなければ口うるさい人と思われかねない。
あなたも救われて相手も救われるように工夫するのです。
結果的に良い効果が生まれるようにする。
国家のトップが独裁者で国民が貧困・困窮している中で、大臣・側近が暴君におもねて保身ファーストで沈黙すれば国民や弱い立場の人は助からない。
助言・提言・ナイスアドバイスをするのであれば、暴君のプライドを損わないように申し上げなければいけません。うかつに口を出せば国によっては処刑され一族も危険にさらされる。ですが、状況が悪い中なにもせずに放置すれば国が滅ぶ。佞臣(ねいしん)となれば、今の世の中のようなエゴイズム至上主義になる。
人は誰でも時として、ジャイアントスネ夫のような関係になることがあるものです。
そこで、ずるがしこいスネ夫タイプはジャイアンに媚びて一緒に弱者をいじめるようになるでしょう。私も子供をダシに使った我が子を親のおもちゃにするようなビジネスは大嫌いです。誰も言わなければ小さい子をビジネスに使う某気持ち悪いYOUTUBERさんのような人があふれる。病んだ子供があふれるでしょう。
さて、賢いスネ夫であればどうするでしょうか。教えてください。あなたなりの答えを。批判を辛辣な批判にしないためにはどう表現すればよいでしょうか?
建設的な批判(意見)は、大切です。
ご相談の文章を拝読いたしました。
動画配信者への丁寧なコメント、掲示板での意見の書き込み、他の人の誹謗中傷を諫めること。
それらは単に相手を傷つけるような批判ではなく、いわば、建設的な意見というもので、それも過度にされたわけでもないので、ご自身を責められる必要はないと思います。
価値観が多様な世の中だからこそ、私たち一人一人が感じたことを伝えることが大切です。
ご相談者さまの意見を閲覧した誰かが、その意見に共感して、その後、そのような行為をしないようしたり、また、何かのルールを作っていくときに、貴重な意見として検討されることなどにつながっていきます。
ルールや道徳、倫理や法律は、最初から絶対的なものがあるわけではなく、変わりゆく世の中や価値観の中で、私たち一人ひとりが関わりながら、できあがっていくものだと思います。例えば、昔は日常的にあったハラスメントについて、一人一人が声を上げ続けた積み重ねがあってこそ、状況の改善が進んできています。
時に行き過ぎて、正義を振りかざしてしまい、なかなかそのこと自体に気づけず反省できない人が、私も含めてですがとても多く感じられます。
ご相談者さまのように、配慮をして意見して、言いっぱなしではなく自省される方こそ、是非、ご自身の思いを大切にしていただければ何よりと思います。
澄んだ瞳のお子さまにとって、とても素敵なお母さまだと思います。
質問者からのお礼
お忙しい中ありがとうございます。
自分の心の奥深くにスッと入り込むまで何度も繰り返し拝読しました。今の世の中では批判が良くないという風潮があります。
ネットのニュースコメントも問題になっています。
私は今回の件をきっかけに、他人に意見を述べる事が恐怖となり、人を傷つけてしまうくらいなら何も言わない方が良い。と思っていました。
しかし、仰る通りただの批判ではなく、相手の心情を思いやって愛語となれたなら、それは素晴らしいことなのだと学びました。
以前「正義の教室」という本を読んだことがあります。
この世の中には3つの正義が存在すると。
私の行いが正しかったのか3つの正義に当てはめてみても、納得ができず後悔する日々を送っていました。
批判を辛辣な批判にしないためには。まだまだ自信を持てる答えは導きだせませんが、常に心に留めておきます。
中村健岳様。この度はお忙しい中ありがとうございます。
母親としての自信を少し取り戻せました。
批判は良くないとお叱りを受けるかと思っていましたが、様々な意見がある多様な時代、1人1人の意見は大事と気持ちを尊重して下さったことに心救われした。
これからは心改めてこれを学びとして、皆が善く生きるられる為に、ただの批判ではなく、全ての人にプラスなれる言葉になれるよう心に留めておします。