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なんでも買ってもらえる友達が羨ましい

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私の友人は現在うつ病により大学休学中でバイトをしていません。

それなのに、インテリア用品を月に10数個もポンポン買っていて妬ましく思います。
財源は実の親や、パパ活をしていた頃に出会ったパパ達らしいです。

うつなのでバイトをしていないこと自体は仕方ないと思います。
ですが、簡単に苦労もせずお金を貰えるという環境が羨ましすぎます。

私は毎日残業しても、月に娯楽費として使えるものは僅かなのに…。馬鹿馬鹿しくなります。

友人は裕福な家庭で、こどもの頃から欲しいものは何でも買ってもらえてたと聞きます。

反対に、私は貧困家庭ではないものの、欲しいもの(おもちゃ類)は「将来役に立たない」と買ってもらえないことが多かったです。

友人とは小学校からの付き合いなので、当時から「なんでも買ってもらえて羨ましい」と言う気持ちがありました。

この気持ちをスッキリさせる方法が知りたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

売春(パパ活)という自分売りを羨ましいと思わないでね💕

「パパのパパ活」💄👠
('Д')アナタドコイクノ?(*‘ω‘ *)二丁目に体売りに。
('Д')ナンデ?ドシテ?(*‘ω‘ *)今月欲しいものがあるから。
('Д')別れマショ。(*‘ω‘ *)ナンデ?ドシテ?
(# ゚Д゚)自分の尊厳よりモノに価値を置く人間は夫も父親も人間も失格よ!
世の中には欲しいものがあるから代償に体を売る人も沢山おられるでしょうが人の道に外れるようなことは自分の為にもしないほうがよいものです。貴女はしないでしょうが。何でも人に買ってもらえる人は本人の向上や成長ゼロ。努力しないで他人にたかるので自分で努力して手に入れるスキルが養われない。つまり一番大事な能力を売り飛ばして搾取されている。能力は誰も買ってあげられない。ただしその子はパパ活スキルはあるのでしょう。パパ活とは言葉がソフトなだけで本質は援助交際。💀売春。将来のパートナーからドン引きされるでしょうし親も泣きますから人の道に外れたことはしない・させない・羨ましがらないことっスよ。ご家庭も裕福なのに結局自分を安売りする道外れなことをするなら何のための裕福さだったのでしょうね?💀自分をディスカウントしてまでモノ・物質・商品の方を欲しがる品性はその時点でヤバいです💦冒頭のように自分の家族がやっていたら嫌でしょう。
✨ゲームをする、遊びをする、勉強する、ものを必要とする、学ぶ、スキルを得る、努力する…、これらはまさしく貴女の親御さんのご教導の通り「将来役に立つためにこそ!」手に入れるべきなのです。何でも買ってもらえる女子がパパに買ってもらってもその道具は周りのまともな感性を持っている人たち陰で指差し笑っている。
世界的なプレイヤーであるサンタナさん(ジョジョでお馴染み)はライブ中にギターを盗まれました。(>_<)大事にしていた楽器なので「返してほしい」と呼びかけました。ギタリストにとって弾きこなされた楽器を奪われることは苦痛です。楽器も泣いてます。泣きのギターのサンタナさんはそれによってさらに泣きのギターに深みがかかったとの一説もありますが(アルンカイ)酷い話です。
そのギターはカルロス・サンタナさんが弾いてこそ初めて価値が出るのです。
ものも大自然も命も真の所有者があるものです。
貴女はモノに使われても買われてもいけない。真の尊厳こそ最高の価値。
貴女の尊厳に合掌致します。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます🙇‍♀️
パパ活はかなりリスクも伴いますもんね…。
「数時間で数万円が手に入る」と勧められましたが、万が一のことがあったらと考えると怖くやりたいとは思えませんでした。

確かに、あの時親の言った『将来役に立たない』人間にはならなかったな、思いました。
だからと言って役に立つ人間になったわけでもなく、無難に生きてるだけですが笑
それに気づかされることができたのはかなり大きいです!本当に、ありがとうございました。

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