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煩悩が捨てられません

回答数回答 2
有り難し有り難し 75

淋しかったり苦しかったり、楽しいより辛い事が多く
振り返ってもやることなすこと失敗だらけ。
思い出すたび気が滅入るような恥の多い人生で
もう消えてしまいたい、死にたいと思ったら・・・

ちょっと待って!
せっかく稼いだお金を使ってからにしましょう。
食べたい物は食べつくしたい。
世界中行きたいとこへ旅行して
あれもしたいこれもしたいとやりたいことを次々思いつき
私は一人ですので、仕事や身の回りのことを済ますと
好奇心のおもむくままに、忙しい日々を過ごしています。

煩悩いっぱいの
このような生活で良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いいんですよ!!それが人生です。

煩悩を完全に捨てられたら、まさに生き仏様。菩薩の位ですよ。
私もかくありたいとは思っていますが、そうはいかないのが人生ですね。
誰でも同じ悩みを抱えているです。だから煩わしい悩みと書きますよ。
幸せそうな人と、不幸そうなことその差は何だと思います?
不幸だなと思っている時間が少ない人が幸せな人。
不幸だなと思っている時間が長い人が不幸な人です。
少しでも気持ちが暗い方へ、悲しい方へ行ったら、
その気持ちの尻尾を捕まえて、グーとこちらに引き戻すんですよ。
幸せでいるって結構努力がいるんですよ。
あの人幸せそうでいいわね。なんだかからかわれたみたいな気になりますよね。
何にも考えていないように思われがちですか、逆なんですよ。
考えすぎないように考えているという意味で、よく考えているんです。
だから幸せなんですよ。
たとえばね、転んでけがをしたとしますね。
「ツイてないな~~。最悪。」と思えば不幸ですよ。
逆に「「こんなもんで済んでよかった!!ラッキー!」
これは幸せな人ですよ。
言葉遊びと思わないで下さいね。考えの積み重ねが自分自身を作っていくんですよ。
人生いろいろありますよ。お互いに。そこをグット踏みとどまって、私は幸せだと思い込み。
そのうち、本当の幸せ者になるです。
どうぞ幸せ者になってくださいね!!あなたの幸せを祈っています。

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浄光寺の花山雲吉です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...

欲望=煩悩ではありません

Rosaさん、初めまして。
沙門 亮鷹と申します。

ご自身は煩悩まみれと仰られてますが、それは少し勘違いされてます。

よく煩悩と欲望は混同されますし、欲望を全て認めてしまうと煩悩となってしまいますが、
本来、欲望と煩悩は似て異なるものです。

そもそも欲望とは否定しても否定しきれないものです。
なぜかというと欲望を無くしてしまえば人間は社会生活はもちろん生きることもできないからです。欲望を完全に失ってしまえば、誰しも生きる意味を失います。

欲に溺れると身を滅ぼしますが、欲が無ければ生きていけません。

現在、日本に伝わる伝統仏教の大半は大乗仏教です。
簡潔に言うと欲望を完全に滅していくのではなく、釈尊の教えの形は変えながらも精神を守りながら、欲望をより良い形で活かす、正しい教え・正しい行い、仏の智慧によって昇華させてより良く生きるためのエネルギーとするのが大乗仏教です。

※ただし、くどいようですが、我慢することを忘れ、欲望をそのまま全て認めてしまうと煩悩そのものとなり、欲望はとめどなく増大して争いごと不幸の種になりますので誤解なきように

>もう消えてしまいたい、死にたいと思ったら・・・ (中略)
仕事や身の回りのことを済ますと好奇心のおもむくままに、忙しい日々を過ごしています。

素晴らしい!!

それこそ、欲望をより良く生きるためのエネルギーとされているわけで理想的な生き方の一つだと思います。

ぜひ、これからも好奇心を大切に、時に悩み滅入る事があっても前向きにお過ごしください。
今後とも貴女の人生がより良いものとなっていくことを祈念して回答とさせていただきます。
合掌(^人^)

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未だ愚迷凡夫の身ではありますが、皆様の一助になるようなお答えができれば幸い...

質問者からのお礼

ありがとうございます!
さすがお坊様、私の心の中を理解していただけ涙が出ました。

三浦様
落ち込んで暗い日もありますが、グーッと気持を引き上げます!

沙門様
欲望と煩悩は違うのですね。よかった!
欲をプラスに導けるよう、正しい考えと正しい行いを心がけます。

数年前、旅行気分で泊まった宿坊で深く感じるものがあり、
自分は不幸だと思っていたのが一転して幸せと考えられるようになりました。
これからも生かされている事に感謝して、一生懸命(楽しく)生きます。
そして出来れば社会の役にたてるよう、お勉強していきたいと思います。
本当に有難うございました。

「煩悩」問答一覧

煩悩について

お世話になっております。 浄土真宗では煩悩をどう捉えているのでしょうか。 煩悩を自覚することで慚愧し、内省するのですよね。具体的に、慚愧とはどういうことなのでしょうか? 例えばですが、僕も男(人間)ですから性欲というものはありますが、性に関する煩悩を自覚した時には性欲をどうするのですか?消そうと試みるのですか?(煩悩を否定的に捉える)まあ、いいやと開き直るのですか?(煩悩を肯定的に捉える)その辺がよく分かりません。 ちなみに、煩悩を消そうと試みる場合は、それはもはや「菩薩」という概念になってしまうように思います。 また、仏教においては分別心があればそれは煩悩ですよね。好き嫌い、善悪、優劣など。 しかし、そういうものに関しても慚愧するのでしょうか?僕達は人間ですよ。嫌いな人もいれば、好きな人もいます。そもそも、「好き」という感情が無ければ恋愛さえできないのではないですか。 僕はまだ学生ですが、将来仕事する時にも良し悪しを判断しなければいけない。もちろん、世間的(主観的)な善悪に過ぎませんが。でも生きていくためにはどうしても必要な判断ですよね。なので、人間の知恵も大切だと思うのですが...。 詳しい方、回答お願い致します。 南無阿弥陀仏

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執念との向き合い方

こんにちは。私は自分の執念深さに悩んでいます。 ある知人(知人Aにします)と交流してます。 その知人Aは私の事を馬鹿にしています。 というもの私は何をするにしてもうまくこなす事が出来ないので周りからも周知で馬鹿にされています。 一方知人Aは明るくて友達がたくさんで何でもうまくこなして自信に溢れているように見えますが、人の成功を喜んだり挑戦を応援できないので自己肯定感の低い人なんだろうなと私は勝手に認識しました。 私に対して今の言葉で言うとマウントに似た行為をよくされるのですが、これを言葉に出してしまうと倫理に反してしまうので黙って聞いていていつも自分の心が濁り怒りや悲しみ自己否定の沼に浸かっていました。 そして知人Aと会話をしていたある日、自身の嫉妬心やねたみで嫌な行動をしてしまい罪悪感を感じ後悔している事が過去にたくさんあると聞きました。 知人AはSNSをしています。 私は知りませんでしたが、別の方が私に知人AがSNSしているよと紹介してくれました。 見てみると私の印象が悪くなる嘘を何個か書いていました。 怒りが湧きました。そして私は知らないフリをしました。 とある日知人Aがマウントをとりながら曲がった事が嫌いだとか悪口が嫌いだと話し出しました。 じゃあ嘘ついた事ある?と私は犯意を持って試しました。 出来る事なら嘘はつきたくないと濁った返事をしました。 ふーんそうなんだと返しました。 私の心は確実に知人Aを侮蔑し馬鹿にしていました。 そして誰より私が一番ひどいマウントをしていました。 1人になった時に猛烈な自己嫌悪と罪悪感が湧きましたが、すぐに負の執念がやってきてそれを取り払い自分を正しました。 そして頭の隅に見えないようにして存在している『知人Aにも感情があり過去の行いで罪悪感で満たされている事実』を意識すると後悔するのですが、今までされて来た事を思い出すと怒りや悲しみが湧きまた執念で満たされます。 そして後悔と執念のループと思いきや私は執念ばかりです。 執念について理由を考えてみたら自分が一番自己肯定感が無く、自分を低くしてマウントを取ってるからと感情と向き合って出た答えでした。 相手も自分も大切にしたいです。 どうしたら執念を抑える事が出来るのか。 自分の行動の愚かさ、感情の醜さが苦しいです。 こんな自分にお言葉いただけたらと思います。

有り難し有り難し 18
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強すぎる独占欲、我が儘と向き合うには

はじめて相談させて頂きます。 現在「何もかもが自分の思い通りにならない不満感」そして「そんな自分に対する嫌悪感」に日々振り回されている状況です。 常に自分の世界に閉じこもる癖があり、他人に踏み込まれるのが嫌で仕方ありません。 誰かと楽しい時間を共有したり、趣味を通じて繋がるといったことが絶望的に下手で、他人と向き合うと必ず相手を消耗させてしまい、悪い結果に終わります。 自分の好きなものは独り占めしたいし、他人と好みが被ると不愉快な気持ちになります。 自分自身がコミュ障なだけでなく、他人が目の前で仲良く楽しげに振る舞っていると苛立ちを覚えます。 (私がこんなに嫌な気分なのに、何でお前達は笑ってるんだ!という感じです) 最近は他人の話し声そのものが不快になってきたので、聴覚過敏の傾向もあるのかもしれません。 幼少の頃から何度も指摘されてきましたが、私は非常に自己中心的な人間なのだと思います。 不満があるのに、それを表に出せずイライラしているので、いつも人に避けられてしまいます。 家族とも遠く離れて一人暮らしをしていますが、この状況はきっと今後も続くのだろうと思います。 時折「我が儘を通せる強い人」に憧れることがあります。 私と同様に自己中心的な性質であっても、パートナーや友人に恵まれていたり、社会で一定の役職についている人を見ると、この歳で何も得られていない自分にまた腹が立ちます。 すみません。何だか支離滅裂な文章になってしまいました。 物凄く生きづらい性格なのは承知していますが、それでも生きていかなければならず、自分の中でどう折り合いをつけたらいいのか分からないのです。 恋愛や結婚は諦めていますし、孤独死も覚悟の上ですが、せめてこれからの人生を心穏やかに過ごしていけたらと思います。 アドバイス頂けたら幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 5
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煩悩も欲も消さなくていい。

煩悩も欲も消そうとする必要はない。この世の理(ことわり)だから。 煩悩や欲はありのままの心の在り方であり、決して消えるものではなく、そのままを受け入れることでその縛りから解き放たれる。 辛い苦しい悔しい腹立たしいだけでなく、ありがとうと感謝の言葉を発することも、何か良いことをするという徳を積む行動も、お念仏さえ煩悩や欲のひとつである。煩悩と欲は人として生きるには逃れられないものである。 また、煩悩は108あるという。言葉遊びではあるが永遠(とわ)とも読める。 これは、煩悩や欲などはこの世の時空間が始まる時から(科学的にはビッグバンか)終わるまでの限られた「永遠」という中に存在することを意味する。 煩悩がこの世の物理的な法則決まりごと、欲が化学結合などを起こすエネルギーとして考えるなら納得してもらえる人もいるだろう。宗教や哲学、科学などは人のごく限られた能力の中で作られたものであり、大した差はない。 別の世、違う時空間には違った煩悩や欲があるだろう。 人は人としてこの世に産まれる前から生命体(あるいは物質)として遥か昔から存在し、煩悩と欲のおかげを受けながら、産まれてからだけでなく、死んだ後も物質やエネルギーとして森羅万象の中で存在しつづける。 自分とは?自分はなぜ?ということに捕らわれず、今の状態、周りの言動はその存在を認め、自分の感情をはじめ、他人の行動や起こった出来事は仕方がないと赦して労わり、その経験をありがたしと感謝しながら、経験を活かして自分の趣くままに行動する。 そうして、普遍的に存在する煩悩や欲にも感謝しながら、うまく活用できれば、自ずとこの世も極楽と気づくことができる。 悟ることができて仏になるであろう。

有り難し有り難し 10
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