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煩悩が捨てられません

回答数回答 2
有り難し有り難し 88

淋しかったり苦しかったり、楽しいより辛い事が多く
振り返ってもやることなすこと失敗だらけ。
思い出すたび気が滅入るような恥の多い人生で
もう消えてしまいたい、死にたいと思ったら・・・

ちょっと待って!
せっかく稼いだお金を使ってからにしましょう。
食べたい物は食べつくしたい。
世界中行きたいとこへ旅行して
あれもしたいこれもしたいとやりたいことを次々思いつき
私は一人ですので、仕事や身の回りのことを済ますと
好奇心のおもむくままに、忙しい日々を過ごしています。

煩悩いっぱいの
このような生活で良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いいんですよ!!それが人生です。

煩悩を完全に捨てられたら、まさに生き仏様。菩薩の位ですよ。
私もかくありたいとは思っていますが、そうはいかないのが人生ですね。
誰でも同じ悩みを抱えているです。だから煩わしい悩みと書きますよ。
幸せそうな人と、不幸そうなことその差は何だと思います?
不幸だなと思っている時間が少ない人が幸せな人。
不幸だなと思っている時間が長い人が不幸な人です。
少しでも気持ちが暗い方へ、悲しい方へ行ったら、
その気持ちの尻尾を捕まえて、グーとこちらに引き戻すんですよ。
幸せでいるって結構努力がいるんですよ。
あの人幸せそうでいいわね。なんだかからかわれたみたいな気になりますよね。
何にも考えていないように思われがちですか、逆なんですよ。
考えすぎないように考えているという意味で、よく考えているんです。
だから幸せなんですよ。
たとえばね、転んでけがをしたとしますね。
「ツイてないな~~。最悪。」と思えば不幸ですよ。
逆に「「こんなもんで済んでよかった!!ラッキー!」
これは幸せな人ですよ。
言葉遊びと思わないで下さいね。考えの積み重ねが自分自身を作っていくんですよ。
人生いろいろありますよ。お互いに。そこをグット踏みとどまって、私は幸せだと思い込み。
そのうち、本当の幸せ者になるです。
どうぞ幸せ者になってくださいね!!あなたの幸せを祈っています。

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おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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欲望=煩悩ではありません

Rosaさん、初めまして。
沙門 亮鷹と申します。

ご自身は煩悩まみれと仰られてますが、それは少し勘違いされてます。

よく煩悩と欲望は混同されますし、欲望を全て認めてしまうと煩悩となってしまいますが、
本来、欲望と煩悩は似て異なるものです。

そもそも欲望とは否定しても否定しきれないものです。
なぜかというと欲望を無くしてしまえば人間は社会生活はもちろん生きることもできないからです。欲望を完全に失ってしまえば、誰しも生きる意味を失います。

欲に溺れると身を滅ぼしますが、欲が無ければ生きていけません。

現在、日本に伝わる伝統仏教の大半は大乗仏教です。
簡潔に言うと欲望を完全に滅していくのではなく、釈尊の教えの形は変えながらも精神を守りながら、欲望をより良い形で活かす、正しい教え・正しい行い、仏の智慧によって昇華させてより良く生きるためのエネルギーとするのが大乗仏教です。

※ただし、くどいようですが、我慢することを忘れ、欲望をそのまま全て認めてしまうと煩悩そのものとなり、欲望はとめどなく増大して争いごと不幸の種になりますので誤解なきように

>もう消えてしまいたい、死にたいと思ったら・・・ (中略)
仕事や身の回りのことを済ますと好奇心のおもむくままに、忙しい日々を過ごしています。

素晴らしい!!

それこそ、欲望をより良く生きるためのエネルギーとされているわけで理想的な生き方の一つだと思います。

ぜひ、これからも好奇心を大切に、時に悩み滅入る事があっても前向きにお過ごしください。
今後とも貴女の人生がより良いものとなっていくことを祈念して回答とさせていただきます。
合掌(^人^)

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有り難し
おきもち

未だ愚迷凡夫の身ではありますが、皆様の一助になるようなお答えができれば幸い...
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質問者からのお礼

ありがとうございます!
さすがお坊様、私の心の中を理解していただけ涙が出ました。

三浦様
落ち込んで暗い日もありますが、グーッと気持を引き上げます!

沙門様
欲望と煩悩は違うのですね。よかった!
欲をプラスに導けるよう、正しい考えと正しい行いを心がけます。

数年前、旅行気分で泊まった宿坊で深く感じるものがあり、
自分は不幸だと思っていたのが一転して幸せと考えられるようになりました。
これからも生かされている事に感謝して、一生懸命(楽しく)生きます。
そして出来れば社会の役にたてるよう、お勉強していきたいと思います。
本当に有難うございました。

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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