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結婚しても良いか悩んでいます。

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初めまして。
私は同棲している彼がいます。
今年9月に籍を入れる予定です。
結婚式場は早目に取らないと行いたいところで出来なくなってしまうため、もう結婚式場を決めました。籍を入れて1年以内に式が良いよねという話になり、9月に籍、来年9月に式を予定しています。

ただ、親にはまだ結婚をすることを伝えていません。
理由は、まだ婚約指輪をもらっていなくてプロポーズもまだだからです。

なぜ結婚することになったかと言うと、1月に結婚したいと思ってる、ただ給料が低いから結婚式も今のままでは挙げられない…と言われたので、結婚式は毎月貯金出来る額を計算し、来年9月には貯まるという結果になり、じゃぁ今年の9月に籍を入れようかということで決まりました。

結婚式のお金は少しずつですが、私が貯金しています。
ただ、婚約指輪は彼の祖母から受け継いだものがあり、その指輪のサイズを私のサイズに直してから渡すと彼に言われてずっと待っています。彼は貯金がありません。
また、給料が低い為に毎月残るお金もほとんどありません。(少し残っても、私の好きな果物を買ってきてくれたり、パチンコをしたりします。パチンコは月に1.2回行く程度です。)

このような状況で、プロポーズをしてくれるのか不安で仕方がありません。親にはプロポーズをされたと報告しようと思っており、言っていません。

彼は周りの友達や会社の人に今年籍を入れることを伝えています。
彼は婚約指輪を直しに行かなきゃと口では言っていますが、行動にはうつしていません。
私は毎月500円でも余るのであればコツコツ貯めていけばいいのにと思います。

お金の管理が出来ていないように感じ、口ばっかりのように感じています。結婚は本気で考えてくれているとしても、考えが甘いのか私が考えすぎなのか…。

このまま結婚して良いのか、それとも考え直した方が良いのか悩んでいます。

長くなりましたが、回答して頂きたいです。よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それが一つの答えです

20年30年先のことを考えてください。
人は結婚によって幸せになるというより、自分自身の心のありようによって幸せになると言っていいでしょう。
用心した方がいいと思いますよ。
妥協で結婚してみんな失敗していまうわけですから。
お互いの向上心の無い結婚は、今後も難しくなってきてしまいます。
一番大切なのはお互いの冷静なコミュニケーションです。
これは残念ながら、こちらにご質問されるより、その事をズバリ彼にはなすしかありません。
あなたと彼は今後、生涯一緒に人になる(仮の)予定の人です。
ですが、まだ、仮です。
そのまま、惰性でゴールインしなくても良いのです。直感も大切です。
実際の関係が分からないので、あまりいい加減なことを申し上げられませんので「ご用心」なさってください。人と人とは金銭的な事が何もなければいくらでも仲良くなれるのです。
ですが、結婚は子供が出来たり、生活費や本人が調子を崩したりでお金もかかります。
よくよく親御さんや人生の先輩がたともご相談の上、そして何より、その彼とよく話して、決めていくべきであろうと思います。

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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