お坊さんが憎いです。
私の妻とお坊さんが不倫をしました。同じ会社で勤めていたことから関係がスタートしたようです。発覚から、半年程連絡もなく手紙だけをよこして謝罪終了。
手紙の内容もどこからか引用したようなもの。
お坊さんだけでなく私にも妻にも原因はあると思います。
また、そのお坊さんとはお世話になっているお寺の息子さんで、高校からの知り合いということもあり、特にお坊さんを責め立てると言うことはせず、穏便に済ますことにしました。
しかし、後日知人からそのお坊さんが結婚式を挙げたと聞きました。
また、そのお坊さんは私の叔父の会社に私が紹介して勤めており、何食わぬ顔で未だその会社に勤めています。(叔父は不倫のことを知っています)
妻は退職し、私は叔父や関係者に謝罪に回りました。
その間お坊さんは何もせず、普段と変わらぬ生活を送っていたようです。
手紙には1人のお坊さんとして、人間として信頼を取り戻せるように努力すると書いてありましたが、謝罪もなく謝罪の手紙を出す前に結婚式を挙げる人をどう再度信頼すれば良いのか。
何故、それで信頼を取り戻せるように努力すると言えたのか不思議でなりません。
私はそのお坊さんに対しての怒りが収まりません。
この怒りはいけないものでしょうか?
いけないものであれば、どのように収めればいいのでしょうか。
お坊さんも1人の人間です。時には過ちもあると思いますが、あまりにも不誠実と思えて仕方ありません。
決してそうではないと思いながらも、お坊さんはこのような方ばかりではないのかと思うようになってしまいました。
このままお坊さん、お寺、仏教を嫌いになるということは避けたいです。
新たにお坊さんと出会う方法はないでしょいか?
伝わりにくく、拙い長文失礼しました。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ここにいる人たちもまたお坊さんの一人
大変な目に遭いましたね。
怒りというのは正当な感情で、大きなエネルギーです。
しかし、怒りに"支配"されるとダメだよ、というだけなのです。
貴方がそのエネルギーを良い方向に昇華できるのが一番ですが、それが難しいことも理解できます。
ですが、貴方の本題はそこではないようですね。
ここでお答えしている私も、また別の回答に顔を見せておられる方も皆お坊さんです。
中にはお寺を公開しておられる方もいらっしゃいますので、その方々に会いに行ってみてはいかがでしょうか?
しかし、先ほど言ったように、"怒りに支配されて"訪ねては偏見の目を持って相手に接することになりますので、あくまで冷静に。
怒りは尤もです。
私も同業としてそのような方がいることに非常に不愉快な感情です。
しかし、それでも冷静に、他の方に目を向けて会いに行ってみましょう。
法律にのっとって粛々と進めてよいのでは?
本物の出家(テーラワーダ)は在家の権利も義務も放棄したので法律に訴えることもしません。彼らにあるのは自分を縛り守る戒律だけです。
日本の僧侶を含む在家は、法律に縛られ、法律に守られます。怒りを自然に収められたら一番良いのでしょうけど、収まらない場合は、法律である程度の審判や補償をしてもらうことは正当な権利だと思います。
奥さんと相手の坊さんに慰謝料を請求したり離婚したり謝罪を公開したりを要求できます。自分の怒りを鎮めるためにも、一つの事件がとにかく終わったと思えるようにけりをつけるためにも、在家者には法律に頼ることは良いことだと思います。
質問者からのお礼
藤本晃さま
ありがとうございます。
法的な手段も考え今後行動していこうと思います。
啓誠さま
ありがとうございます。
いろんなお寺さん、お坊さんを訪ねてみようと思います。
怒りに支配されることがないように気を付けていきたいと思います。
御二人様ありがとうございました。
御礼のコメントが遅くなったこと大変申し訳ございません。