死ぬ準備をしてしまいます
貯金が尽きたら死のうと考えています。もう少しで無くなります。
過去のいじめや嫌なことを忘れることができません。
プロフィールに過去の出来事を書きました。
怖かった両親は今は少し丸くなって、穏やかに笑うようになりました。同級生とは顔も合わせなくなりました。
周りの人達はどんどんいい方向に向かうのに、私はずっと落ち込んでて、皆忘れていくのに私だけ全て覚えています。
プロフィールにはとても書くこともできないことも何度かありました。最期まで誰にも言わないと決めた秘密もあります。
もう生きていたくないと思いました。死ぬ準備を進めています。
貰い物以外の私物はほとんど処分して、持っているいろんなアカウントも削除しました。
後はカード類の解約だけです。
死ぬと決心した日から、心が軽くなりました。昔は同級生や両親に嫌な感情を持っていたのですが、今は何もありません。
この人たちが幸せになろうが不幸になろうがどうでもいいと思います。
少し願うとするなら、同級生たちにもし子供ができた時は、いじめをしない優しい人に育てて欲しいと思います。
私物の片付けをしている時に、少し考えることがありました。
もしかしたら私は自殺を考えるほど悲しんでいると両親に知って欲しくて、こうやって準備をする姿を見せているのではないかと。
現在私は実家暮らしなので、こういうことをするとかなり目立ちます。
結局両親はなにも気づくことはありませんでした。
死ぬことは怖くありません。今の自分の思考が正常では無いことは感じています。
死んで人生から逃げるのはずるいでしょうか。自殺はどれくらい恐ろしいことなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生きて出来ることがまだあると思います。
こんにちは。
プロフィールも拝見させていただきました。
子の学費を使い込むとか、まさにじゃ〇ン子チエのテツのような親ですね。
ここからは私の個人的な提案なのですが、親元から離れることはできませんか?
それまでバイト代をそれなりに貯めることができて、親にも貸すことができていたことから山場様にはそれなりの生活力や根性が備わっていると思うのです。
後は御自身のためだけの環境を整えるために一度そこから避難するべきではないかと思うのです。
寮付きの派遣や期間雇用など今でも探すと結構あります。外国から働きに来てる人もいますが、基本皆陽気で結構居心地は悪くなかったですよ。
死ぬことを考えるのは一度死んだ気になってどこかでやり直してみてからでも絶対に遅くはないと思うのですが、いかがでしょうか?
環境を変えて一年くらいしばらく自力でやってみて、それでもまだ死にたい気分が消えなければ、その時改めてもう一度私に相談していただけませんか?
南無阿弥陀仏
プロフィールも拝見しました。
辛いことが重なって、自己肯定感もなかなか得られない毎日のようですね。
浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)える者は誰でも、その臨終時に阿弥陀仏が迎えに来てくださり、極楽浄土に往生できる(生まれかわる)と説かれます。
ですから、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏していれば、仮に自殺しても極楽へ往けますから、まずは安心してください。
念仏を一定リズムで連続して唱える場合は、
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
もう少しゆっくりなら
なーむあーみだーぶ
なーむあーみだーぶ
なーむあーみだーぶ
という感じです。
念仏しているときにさまざまな妄想雑念が頭に浮かんで消えてゆくかもしれませんが、それでも大丈夫です。
妄想雑念があるままで、また、善人も悪人も生まれながらのままで、南無阿弥陀仏と念仏すれば往生できます。
プロフィールであなたの苦しみを推察しました。
しかし、南無阿弥陀仏を忘れなければ、人生のハッピーエンドは確定です。
あとは、死ぬまで生きれば良いだけです。念仏してれば合格人生。
ただ、「仏様は私をを見捨てない」という安心感のシャワーを浴びるように、念仏してみてください。
仏様の救いの光があなたを照らす。
月は自らは光らないが、太陽の光を反射して闇夜に輝くことができる。
もしもまだ時間と貯金があるなら、お寺巡りでもしてみて、さまざまな仏像(闇落ちしたあなたを照らしてくれる智慧と慈悲を具現化した姿)を眺めて拝んでみましょう。