長男が17歳で、遠い空へと旅立ってしまいました。自死でした。
あまりにも突然で、今だに受け入れられなくて… やりきれなくて、気持ちをはきだすところもなく、ネットで、自死という言葉を知りました。
何のために生きているのか、 生きていていいのか、、、 生きていることがつらくてつらくて、、、
次男にまた身内がいなくなる悲しい思いをさせたくないという気持ちだけで、毎日をすごしています。
口げんかをし、でも、そのあと、なんとか話をして、笑顔で出かけていった長男。
その5日後、戻ってくることはなく、旅立ってしまいました。
できることなら、口げんかをしてしまったあの日に戻りたい。
けんかしないで、もっと冷静に話をしていたら…
おちこんでいた長男の気持ちに全く気づかす、 私がおいこんでしまったんだ…
夢だったら、どんなにいいかと願い、
毎朝目覚めるために現実とむきあい、
私がお母さんでごめんなさい、、、 と…
長男が自死したことは、わずかな身内しか知りません。
あまりにも突然で、気持ちが不安定で、
事実を受け入れられず…
でも、実際は、周りにいろいろうわさされることに耐えられない…
そんな、私の弱さなのかもしれません。
生きていることが、こんなに苦しい…
残された家族で過ごす時間。
そこに長男はいません。
でも、日常過ごす中、
少しずつ笑うときがあってもいいのですか?
何か食べたとき、おいしいと思ってもいいのですか?
自死した長男は、今でも苦しんでいますか?
こんな私を長男は、いつか許してくれるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご長男さんが突然お亡くなりになり本当におつらいおもいをなさっていらっしゃっるのですね。またその死を受け入れることはとても大変なこととお察し申し上げます。亡くなった事実を周りの方にお伝えすることやうわさ話になることも耐えがたいことですよね。
ご長男さんが亡くなられたことは全てあなたのせいではありません。ご長男さんが生きている中で様々な出来事があり生きることがつらく耐え難い状態となり止むを得ず死することを選ばざるを得なかったのではないでしょうか。また精神的にも追い込まれ普段通りに過ごすことができなくなり心の病になってしまったのかもしれません。
若い方がその命をたたれてしまうことは本当に残念なことです。そしてできるのであれば本当に生きて頂きたかったと思います。
ご質問に戻りますがご長男さんは今仏様ご先祖様のもとで心安らかに苦しみからすっかり解放されておられます。
そしてあなたやご家族の皆様や親しい方をあたたかく見守っていらっしゃっいます。あなたやご家族の皆様が笑いあい楽しくお食事なさることをきっと心近くで微笑んでいらっしゃっいます。ましてやあなたやご家族の皆様をきっと許してくれています。今目には見えなくともご長男さんはあなたや親しい方々の心の中で生きていらっしゃっいます。
できればあなたは自分自身を決して追い込まずにご家族の皆様としっかりと生きて頂きたいと思います。あなたやご家族の皆様が生きることを何より喜ばれるのはご長男さんですから。できれば心を休め身体も休めてから自分や人を追い込むことなく毎日を生きて頂きたいと思います。
もしお独りで抱えてお辛い時には私が所属しております「自死自殺に向き合う僧侶の会」で毎月開いております自死遺族の分かち合いの『いのちの集い』にいらして頂き、あなたの想いを伺えればと思います。http://www.bouzsanga.org/share.html
あなたは決してひとりではありません、どうか心を少しずつ緩め穏やかに毎日をお過ごし頂きますように。
長男様のご命終、謹んでお悔やみ申し上げます。南無阿弥陀仏。
私たち僧侶は、身近な方の死に際し悲しみに暮れるご遺族に対して、どうにかその悲しみをとりのぞきたいと、経典や教えの中から「魔法のことば」のようなものをつい探してしまいますが、そういったものは残念ながら見当たりません。
未熟な私から申し上げられることは数少ないですが、どうか
少しずつでも笑えるときは笑ってください
おししいものを食べた時はおいしいと思ってください
夏海様ご自身が夏海様ご自身のことを許してあげてください。
長男様は今はもう苦しんでいません、夏海様のことを恨んだりもしていません。
長男様は必死にこの世で生きる意味を問うたのでしょう。今生きている誰よりも強く激しくそのいのちの意味、人生の意義というものを問うたのだと思います。死を選ぶほど、真剣にです。
その求道心から自死ということを選ばれたことについて賛同はできなくとも、責めることはできません。誰から何を言われようと恥じることもありません。
今はもう、その激しく問うた心のざわめきも、苦しみも、迷いもない静かで穏やかな世界、私どもが浄土と呼ぶ世界にいかれたのだと思います。
ヴィクトール・フランクルの言葉に
「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなく、人生が何をわれわれから期待しているかが問題」
というものがあります。私たちが人生の意味を問うのでなく、人生から問われていることに答えながら生きていくということなのでしょう。
人生には様々な困難がありますが、その降りかけられる問いにどう応えていくか、そこに私たちがどう生きていくかの自由があります。
この点においてどんな人生においても意味は失われません。
残された夏海様の人生も次男様の人生も、そして先に逝かれた長男様の人生も、限りなく意味に満ち溢れているのです。
今度は夏海様が長男様からいただいたこの問いを大切に、次男様と、周りの方々とともに支え合って生きていきましょう。
ただ今は少しお休みください。
落ち着いたらまた歩みだしていきましょう。
私たちはまだこの世で生きておりますので心のざわめきも、苦しみもいつまでも起こります。
どうか無理なさらずお辛い時、苦しい時はいつでもその思いをまた吐き出してください。
死因がなんであっても、家族の死を受け入れるには長い時間がかかります。
今は楽しいことも心から楽しめないのは仕方のないことです。
宗教や宗派によって死の受け止め方は様々です。
浄土信仰では、人は命が尽きると極楽浄土にいくという教えを拠り所としています。
死は永遠のお別れではないのです。
いつかは極楽浄土で会えるのです。
極楽浄土は覚りに至る為に仏道修行をする場所ですが、再会の場所でもあります。
先に極楽浄土に行かれている多くのご先祖様と会われていることでしょう。
ですから、息子さんは寂しくありません。
また、極楽浄土には苦しみもありません。
どうか息子さんのことは安心してください。
息子さんは短い人生でしたが、短いながらもその命を全うしたのです。息子さんなりに懸命に頑張って生きたのだと思います。
そこには後悔も恨みも無いのです。
自死というのは現世で十分頑張ったから、これからは極楽浄土で頑張ろうという事なのです。
極楽浄土から見守っている息子さんの為にも、あなた達はお互いに助け合って幸せな家庭を築いてください。
息子さんはきっとそれを望んでいると思います。
いつかまた極楽浄土で会えますように。
ご回答ありがとうございます。
何度も何度も読み返しています。
これからも、何度も読み返すことでしょう。
圓常寺様
長男は、苦しんでいない…
死は永遠のお別れではなく、
いつかは極楽浄土で会えるのですね。
一向寺様
長男が旅立ってから、数ヶ月、家から出ることができませんでした。
今でも、どこに行っても長男を思いだし、涙があふれてきてしまうことがあります。
一歩を踏み出すまで、しばらく時間がかかりそうですが、もう少し気持ちをコントロールすることができるようになったら、つどいの会にも参加してみようと思います。
法覚寺様
長男の人生も、限りなく意味に満ち溢れていた…
今は少し休んで
落ち着いたらまた歩みだす。
少しずつゆっくりゆっくりでいいのですね。