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子育ての後悔

回答数回答 2
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35歳女性、5歳の娘がいます。
5年働きながら子育てしてきました。
いまになってこれまでの子育てを振り返り後悔することが多く、反省しています。
具体的に言うともっと子供と遊んであげれば良かったとか、仕事に精を出さなくてもよかったんじゃないか、もっと長く育休を取ればよかった等々です。
子供と向き合ってこなかったことを悔いています。
幸い、子供は元気にすくすく育っています。
でも、どうしても自分の中で後悔でいっぱいになってしまい苦しいです。 
現時点で子育てに失敗したとは思っていないのですが、もっと可愛い時期を楽しめば良かったと思っています。
ぐずぐず考えてしまい眠れない日が続いています。
今は精一杯子供に向き合おうと頑張っていますが、先述の後悔の気持ちでいっぱいで苦しいです。どうしたらこの気持ちを消化できますでしょうか。

2022年5月24日 5:12

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今から一緒に過ごしてあげる

喩えは悪いですが(あなたがそうだというわけではありませんが)
毒親がある時からその毒親を反省したとします。
子供は親が変われば変わります。
人間関係というものがすべてそうでしょう。
あなたが苦手な相手がある日を境に急にガラッと変わるようなことがあれば一緒に居ても何も問題はないでしょう。仲良くなればもっといいでしょう。
人間関係というものは5年間の態度もそうですが最後の印象が大事です。
別に一緒に過ごしていなかったというわけでもないのでしょうから、これからだって愛情ははぐくむことはできるはずです。
もっと大切なことはあなたがそこで嘆くより、その嘆く時間を転じて子供と楽しく過ごすことではないでしょうか?
今まで一緒に過ごしてあげられなかったその分、十分すぎるほどに愛情を注いであげてください。
ただしお気を付けください。
今の時点においてもあなたはお子さんと一緒にいる事、向き合うことよりもあなたがあなたの考えたことを優先する癖があるように感じます。
よって、私がこれ良かれと思って行う愛情の注ぎ方ばかりを優先しないことです。
あなたに限らず多くの人がそうでしょうが、自分が良かれと思ってやっていることは時としてずれてしまっていることがあるものです。
よって、お子さんと接する際に主役・主人公・場のメインの主導権を完全にお子さんサイドにゆだねることを心がけてあげるとよいでしょう。
その為にはよろこび・たのしみ・そのことを主人公とすることです。
つまりは「喜びそのもの・喜べることを主人公となす」ことです。
あなたがお母さんとしてうれしいということを先立てるようなママエゴでもなく、お子さんのわがままちゃんだけを主人公として先立てることでも無く、人間が人間として誰であってもうれしいような。人から教わったわけではないのだけれど、どういうわけかこうすることで人はうれしいなぁと思えることがあるはずです。
心に我を立てない。
我を立てたり、先立てることがなければ人はどんな嫌いだった音楽でさえも楽しめるようなゆとりが生ずるものです。その心が生ずればあなたのその考えすらも手放せるゆとりが生じるものなのです。

2022年5月24日 14:58
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

今からでも十分間に合います

こんにちは
お子さんとの時間の使い方、向き合い方って難しいですよね
正解はありませんし、初めてのお子さんだと後悔は募る一方なのかもしれません。

ただ、後悔ばかりしていると、お子さんに伝わってしまうのでは?と心配です
そして、また何年か後にあの時うじうじしていたから…などとなってしまっては、負の連鎖ですね

過去は変えられません
今からを素敵に過ごしたらいいのではないでしょうか?
後悔した分、今から沢山可愛がってあげたらいいのではないでしょうか
愛情は伝わります
おそらく、後悔するくらい真剣に子育てをされている方なので、沢山の愛をもって接することができるのではないでしょうか?
この言葉をプレッシャーに感じないでほしいのですが、今できる最大限で良いので、一緒に時間を過ごしてあげてほしいです。

少ない日があってもいいです
忙しくてあまりお話できない日もあるでしょう
人間ですから毎日完璧にはいきません
ただ、その日を精一杯に過ごしてもらえたら、
今を大切に生きていただければと思います。

そうすれば、後悔の念は自然と消えていくのではないかと。

2022年5月24日 20:10
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有り難し
おきもち

個別相談可能
臨済宗という宗門のもと修行をさせていただいております。 皆さんがご存知なのは、坐禅ではないでしょうか? 庭をきれいにし、坐禅をし、お経を唱える 心の安住をはかる そのような宗門でございます。 少しでも皆様のお役に立てますように。

質問者からのお礼

ありがとうございます。

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